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いまさらインターネット時代を考える






 われながら、いまさら、という感じの雑感である。

 若い学生たちが、どのように勉強するかを見ていると、やはりまずウィキペディアを引いてみるらしい。
 別に若い人たちを非難しているわけではなく、永らく百科事典派だった私でさえ、そのウィキペディアを四六時中引いている有り様である。
 なにもウィキペディアだけではない。先日聞いた話では、歴史研究で広く使われている基本史料の叢書「国史大系」も、図書館利用者向けの“ネットライブラリー”なるものが提供され始め(2011年から)、全66冊を全文横断検索できるのだという。

 検索。

 こう聞くと、ちょっと待てよ、と思うわけである(歳を取った証拠)。

 なんでも検索すりゃいいってものじゃない…

 と思ったりする。

 確かに、最近の若い人たちの研究のなかには、膨大な史料を統計的に分析したようなものも見受けられる。若い頃、書庫に籠って「カード」を取っていた身からすれば、時代も変わったなぁと思う。
 
 そんななかで、最近読んだのが、この本。


   和本3


 中野三敏著『和本のすすめ』(岩波新書、2011年)。

 いいですなぁ、と感じるのもまた歳を取った証しだろう。
 中野氏は江戸文学の碩学で、私の学生の頃から第一線で活躍しておられた。本書を読めば「和本」とは何ぞや、ということが、一目瞭然にわかる。


   和本1


 念のため、和本とはこんな本のことで、『和本のすすめ』によれば「古くは奈良朝から近くは十九世紀末辺りを境に、近代活版印刷の本にとって代られるまで、いわゆる手漉き和紙を用い、木版印刷の技法を以て出版された「板本」と、手書きのままの「写本」と、大まかには二通りの姿で営々と作られ続けた」ものである。
 ちなみに、橋口侯之介氏の定義では「有史以来、明治の初め頃までに日本で書かれたか、印刷された書物の総称」ということになる(『和本入門』平凡社ライブラリー、2011年)。
 『日本国語大辞典』のように「日本風に装丁した本。和紙を用い、和風に仕立てた本」云々とすると、それは和装本を指すことになる。

 中野氏の本の帯に「和本リテラシーの回復のために」と書かれているのは、今日、和本を読める人がごく少なくなっており、「近代主義的」ではない江戸(時代)理解のためには、あらゆるジャンルを網羅した原典である和本に接しなければならない、という意味である。

 つまり、「国史大系」はデジタル化されたけれど、百万冊以上あろうという(中野氏)江戸の和本は、デジタル化はおろか、およそ1%しか活字化されておらず、つまりは和本そのものを読めなければ時代の理解は不可能ということである。



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博物館で広報をするということ(その1)






 特別展「幽霊・妖怪画大全集」も終わって、特別展示室は次の展覧会の準備に向かい、エントランスホールには早い夏休みなのか、海外からの来館者が訪れている。

 最近、新聞で国立天文台の渡部潤一副台長のコラムを読んだ(日経2013年6月7日付夕刊)。
 「研究者が広報に携わって」というタイトルで、渡部氏の体験が綴られている。

 国立天文台は、1994年、広報普及室を設けた。当時30歳台半ばだった氏は、ある日、見学しようと国立天文台を訪れた高校生グループが、正門で守衛さんに追い返されているのを見た--という話を奥さんから聞いた。
 “若者を追い返すとは言語道断”と感じた氏は、そのとき“誰かが変えなくては”と広報室を立ち上げる決心をしたという。

 以下、氏のコラムからの引用である。

 広報の道に入ってからの道のりも平坦ではなかった。最近でこそ重要性は認識されるようになってきたが、当時はまだまだ。「貧乏くじを引かされたね」といわれながら、新規の企画はことごとく抵抗に遭い、実現させても「国立天文台の品位に悖[もと]る」と批判される始末。何度折れそうになったことかわからないが、それでも頑張れたのは、会津人としての頑固さだけでなく、天文学の面白さをもっと多くの人に知って欲しいという気持ちゆえかもしれない。(日経2013年6月7日付夕刊)

 現在は、国立天文台は誰でも自由に見学できるようになっていると、コラムを結んでいる。

 渡部氏のこの短文には、私たちミュージアムに勤務するものにとっても、うなずかされる面が多いだろう。
 そもそも、広報に携わることが、なぜ「貧乏くじを引いた」ことになるのか、また一般の方に親しみやすい事業を行うことが、なぜ「品位にもとる」ことになるのか、理解できない方もおられることだろう。

 思い出すと、私が学芸員になった頃は、博物館内では「広報」という言葉をあからさまに使ってはいなかったような気がする。一般の広報に当たる言葉は「普及」という語だった。博物館が行っている活動を世の中に「普及」させる、という意味である。だから、講座・見学会の類も「普及事業」と呼んでいた(呼んでいる)。
 いつから、はっきりと「広報」というようになったのだろうか。
 いま私が属するセクションは企画広報課と言っていて、明確に「広報」という語を用いている。この課が出来たのは12年前で、少なくとも2001年の当館オープン時には<博物館は広報に力を入れるべきだ>という意識があったことがうかがえる。

 また、博物館に来館される方を何と呼ぶかも、時代によって変わってきた気がする。
 比較的ニュートラルな言い方として、いつの時代も「来館者」という言葉が使われてきた。一方で、最近では一般の店舗などと同様に「お客さま」という表現をするケースも増えているが、かつてはそのような表現は使われていなかった。
 おそらくその理由は、博物館は社会教育施設であるのだから、そこに学びに来る人たちは「お客さま」ではないだろう、という考え方に基づいていると思われる。学校で学生・生徒をお客さまと言わないのと同様である。
 時代が移り変わって、博物館を単なる社会教育施設であると考える人が減ってきた。それと軌を一にして来館者もお客さまへと変化していった。博物館も、一般の商業施設と同じような性格を帯びてきたと捉えられている。

 博物館へ来館される方がお客さまであるのなら、お客さまに来ていただくために広報をするのも当然だということになるだろう。

 (この項、つづく)



臨時休館のお知らせ【10月13日】






 10月13日(月・祝)は、台風19号による暴風警報が大阪市内に発令されたため、臨時休館しております。

 予定されていた「大阪の歴史を掘る2014 講演会」は、延期となりました。詳しくは、大阪歴史博物館ホームページをご覧ください。


10月6日(月)は、9時30分より開館しています





 10月6日(月)は、台風18号による暴風警報が解除になりましたので、午前9時30分より開館いたしております。

 特別展「村野藤吾」も、通常通り観覧いただけます。

 なお、ボランティアスタッフによる案内業務は、終日中止させていただきますので、ご了承ください。

臨時休館のお知らせ【8月10日】





 台風11号の接近にともなって、大阪市内に暴風警報が発令されたため、8月10日(日)は、大阪歴史博物館は臨時休館しています。



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なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

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