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F先生に会った







 仕事の帰り道、電車の中でF先生に会った。
 今の住まいに越してから、時折先生に会うようになり、もう十年が過ぎる。今日の先生は柄にもなく、模様の入った白いニット帽を被っている。
 先生は、高校三年の時の担任である。物理の先生だった。洗いざらしのジーパンをはいた三十歳位の無口な人で、クラスの女の子たちはシャイな先生をよくからかっていた。理系の苦手な私は、余り親しくなることもなく卒業した。
 だから今、電車で会っても声を掛けることはない。あれから三十年近く経ち、白髪の増えてきた私に先生も気付くことはあるまい。

 三年の何月だったか、進路相談があった。理科室に呼ばれた私は、珍しく先生と向かい合って話をした。その時、先生は、「君は国語が出来るから、英語も出来るようになるよ」と言った。中学以来英語が不得意だった私は、半信半疑に聞き流していた。しかし一年間の浪人生活を送って、英語は私の得点源になった。
 あの時先生は、「君は日本史が得意だから、将来は学芸員になるといいよ」と思っていたのだろうか。

 F先生は、今も、きっと高校の教壇で物理を教えている。



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節分「恵方巻」(丸かぶり寿司)のルーツは?






 もうすぐ節分ですね。
 コンビニやスーパーに行くと、「丸かぶり寿司」とか「恵方巻き」とか「幸運巻き寿司」といった商品が、予約受付中です。


節分のコンビニ

 節分に巻き寿司を丸かぶりする風習は、大阪で始まったといわれますが、果たして、いつ、どのように始まったのか?
 この方面の第一人者である岩崎竹彦さんによると、いつくかの説があるそうです。
 たとえば、大阪の船場で商売繁盛などを願って、幕末・明治初期におこったというもの。
 あるいは、大阪の花街で、願いごとをかなえるために行ったというもの。
 その他、いくつか説があるようなのですが、これだという決定打はありません。

 今日は、ご参考のために、ひとつの資料を紹介しましょう。



巻き寿司チラシ

 
 写真は、大阪歴史博物館に所蔵されている「幸運巻寿司」のチラシです。
 次のように書かれています。

**************************
 
 幸運巻寿司
  節分の日に丸かぶり

 巳の日に巳寿司と云ふてお寿司を喰べるやうに毎年節分の日にその年の恵方に向つて巻寿司の丸かぶりをすると大変幸運に恵まれるといふ習しが昔から行事の一つとなつてゐて年々盛になつてゐます。
 お得意様にも一家揃ふて御試食願ひ本年の幸運をとり逃さぬやうお勧め申上ます

 昭和十五年 節分 二月四日
       恵方西(申酉の間)
 幸運巻寿司  一本 金二十銭
        大阪市東区上本町一丁目
         美 登 利
           電東一五六七
 御得意様
        (昭和十五年二月 大阪鮓商組合後援会発行)

**************************

 どうでしょうか。
 昭和15年(1940)に、大阪の鮓(すし)商組合後援会から、このようなチラシが発行されていたのです。
 大阪の寿司店にも、これに似た昭和7年(1932)のチラシがあるそうですから、昭和初期にこのようなキャンペーンが行われていたことがわかります。
 値段は金20銭とあり、いまの400~500円の感覚でしょうか。すでに、恵方(えほう=その年の縁起のよい方角)に向かって巻き寿司を丸かぶりすると幸運が訪れる、と記されています。昔からの行事だともあるので、岩崎さんが指摘するような風習を踏まえているのかも知れません。

 ところが、近年のブームをうけて、大阪の年配の方にきいてみると、案外、そんなん知らんなぁ、という反応が多いようです。どうも、戦後にはほとんどやっていなかったらしい。
 文字の資料で古いものは、当館などが所蔵する昭和初期のものです。ただし、このころどのくらい普及していたのかは定かでありません。
 そして、戦後さかんになるのは、かなり時間がたってから。1970年代に、のり業界などの宣伝活動が行われ、1990年代のコンビニ、スーパーでの販促活動により、爆発的なヒットになったようです。

 いろいろ不明点も多く、当館の資料でも、「巳(み)の日に巳寿司と云ふてお寿司を喰べる」というくだりは、ナゾ。この巳寿司、よくわかりません。
 形に残らない風習なので、なかなか調査が難しいのですね。いずれ新たな資料が発見されれば、もっとルーツに迫れるかも知れません。
 


 

海外からのお客さま -大阪歴史博物館とインバウンド-






 今日(2011年1月28日)の日本経済新聞・朝刊に、「東京都写真美術館、集客増のミステリー」というコラムが載っています。来館者数が手堅く伸びているが、その理由に「これといった決め手はなく、秘密を聞きに来た人をがっかりさせている」(福原義春館長)とか。
 昨今、どこの博物館・美術館でも、来館者数が問われるもの。しかし、どんなお客さまが来られるかは、その館によって特徴があります。

 近年の大阪歴史博物館の年間来館者数は、常設展だけで、およそ20万人くらい(特別展は別カウント)。常設展のみで、1日650人程度のお客さまが来られている勘定になります。
 当館の場合、小中学生の社会見学や修学旅行も多いのですが、もうひとつ見逃せないお客さまがあります。それは、海外からのお客さまです。


外国語リーフレット


 これは外国語のリーフレット。開館当初から、4か国語(日・英・中・ハングル)対応を行ってきましたが、最近では、中国語版に、簡体字に加え、繁体字のバージョンを用意しています。台湾などから来館される方へのサービスアップですね。

 では、ひとつクエスチョン。当館の来館者のうち、海外からのお客さまの占める割合は何パーセントくらいでしょうか?

 
 平成21年度(2009年4月~2010年3月)の常設展への来館者総数は、約18万人でした。新型インフルエンザの影響で、例年より1割ほどダウンした数字です。
 このうち、海外からのお客さまは、個人・団体合わせて23,000人程度とみられます。つまり、約13%でした。

 どうでしょうか? 意外に多いという印象ではないでしょうか。

 次に、どの国・地域から来られるお客さまが多いのでしょうか?

 一般に、関西2府4県へ来られる外国人の方は、各種統計によると(宿泊者ベース)、中国の方が最も多く、次いで台湾・米国・韓国の方となっています。中国語圏(中国・台湾・香港)の方で35%程度を占めるとみられます。
 大阪の場合、中国語圏の方が多いのですが、韓国の方も多く来訪される傾向があります。

 大阪歴史博物館の場合、実は、圧倒的に韓国からのお客さまが多いのです。海外からのお客様の6割近くが韓国の方です。
 個人ツーリストの場合、どの地域から来られたか判然としないケースもあり、統計として揺れが生じますが、この割合はほぼ信頼できると思います。
 つまり、毎年1万人を優に超える韓国人の方が、歴博に来館されるということなのです。

 これは、大阪全体の傾向や、他施設の傾向とは、異なっています。
 なぜ韓国からのお客さまが多いのか? この理由は難しいのですが、いくつか気づくこともあります。

 私が“目で見た”印象ですが、韓国のお客さまには、若い方のグループやカップルが多いということ。これは中国・台湾などの方とやや異なります。
 同時に、「大阪周遊パス」などの“お得な割引券”を使われる方が大多数で、その「パス」の割引対象に歴博が含まれている、ということ(大阪周遊パスは、2000円で電車・バスが1日乗り放題で、26の施設に無料入館できる大変お得なクーポンです)。
 また、館内でやっているキモノが着られる体験、これが韓国の若い女性に人気で、赤い、かわいいキモノを着て、記念写真を撮っているのです。
 他にも、中国などの方に比べて、旅行日程に余裕がある(余裕がないと、近くの大阪城天守閣だけで終わってしまう)とか、伝統文化や歴史への関心が高いとか、いろいろ推測しています。
 いずれにせよ、こういった歴博の評判が、口コミやネットで伝わり、来館を促しているのでは、と考えています。

 海外の方にウケる地域・スポットは、意外にあるもの。
 たとえば、北海道のニセコがオーストラリアの方に人気だとか(スキー客)、福島県矢吹町に韓国の方が年に2万人以上も来ているとか(ゴルフ客)…
 工夫しだいで、人気に火がつくということもある。

 今年も、希望を持って取り組みましょう!


会議の一日






 昨日、休館日(火曜日)には、会議をすると書きました。
 今日は、明けて水曜日。にもかかわらず、朝から会議・打ち合わせが4つも!
 とりわけ、最後にやった特別展を検討する会議は、ちょっとした緊急事態? 発生で、少し頭をひねりました。
 
 私たちの大事な仕事に、将来の特別展のラインナップを決める、ということがあります。
 来年、再来年、その先と、特別展はずっと続いていきます。特別展の準備は、だいたい2年くらいかかりますから、早めのラインナップ決定が必要です。

 特別展には、大きく2種類あります。当館の学芸員が企画立案する≪自主企画展≫と、外部の企画を受け入れる≪巡回展≫(持ち込み展)です。
 いまやっている「発掘された日本列島2010」は、巡回展(ただし、地域展の部分は自主企画)。昨秋やっていた「水都大阪と淀川」は自主企画展です。

 うちの自主企画展は、だいたいが≪大阪もの≫。私も過去に「大阪/写真/世紀」という写真展や、「阪神タイガース展」などをやってきました。学芸員の平素の調査研究がベースになって、具体化します。
 巡回展では、大河ドラマ「篤姫展」などをやりました。これは、ヒットしたんですねぇ、6万人以上の方に来ていただきました。

 そんなわけで、1年通して、将来の特別展企画を練っています。
 新年度(この4月~)の特別展ラインナップ、すでにみなさんからお尋ねいただいていますが、“大人の事情”でもう少し公にできないので、あと1カ月ほどお待ちください。
 巡回展、自主企画展とりまぜて、魅力的な展覧会をお送りする予定です!




休館日の仕事






 大阪歴史博物館は、火曜日が休館日。

 仕事関係の方などから、よく「火曜日は(職員は)お休みですか?」と、聞かれることがあります。
 実際には、出勤していることが多いのです。
 では、いったい何をやっているのか?

≪展示替≫

 展示している資料を入れ替えることです。開館時間中は、当然できないので、休館日にやることになります。
 当館の場合、休館日にやる一番大きな展示替は、8階の「特集展示」の展示替でしょうか。
 特集展示は、いわば“ミニ企画展”なのですが、火曜日1日で、昨日までやっていた展示の撤収(片づけ)と、明日から始まる展示の陳列の両方をやるのです。想像通り、なかなか大変で、前の展示の展示品が多数ある場合などは、前日(月曜)の夜に片づける場合も多いのです。そして、次の展示の陳列も、当然5時とかには終わらなくて、夜の8時、9時までかかることも、しばしば… 段取りよく進むように準備しているのですが、展示作業はこだわりだすと、やっぱり時間がかかるもの。苦労しますが、できあがったときは爽快! ですよね。

≪機械類・模型などのメンテナンス≫

 これは、われわれ学芸員ではなくて、専門の方がやることが多いです。エレベータやエスカレータ、コンピュータのメンテナンスもありますし、大阪歴史博物館は“動く模型”や映像装置が多いので、そういうものも定期的に点検・修理してもらっています。
 開館して10年近くたつと、映像装置やコンピュータなど“寿命”になるものも多く、交換も必要です。
 変わったところでは、いつもやるわけではないのですが、人形の衣装のクリーニングなどもあります。やっぱり、一年中立ちっぱなしだと汚れるんですね… 

≪全員で会議≫
 これは、うち独特かなぁ? 開館日は、「難波宮遺跡探訪」の解説をはじめ、いろんな当番業務があります。そのため、学芸員がそろって、ゆっくり会議できるのは休館日だけなのです。それでも、展示替や出張などがあって、なかなか全員そろわないのですが…
 
 すぐ思いつくのは、このくらいでしょうか。
 火曜日は、世の中は動いていますから、仕事関係の方からの電話はフツウにかかってきます。なので、展示室はお休みでも、事務室のなかは平常通りという感じでしょうか。
 逆に、土曜・日曜は、展示室のお客さまは多いけれど、事務室のなかは電話も少なく静かな雰囲気です。土日は、通勤電車も空いていて、のんびり通勤できていいという、変な感想もあるのですが… ちなみに、休日朝の通勤電車の乗車率は、土曜>日曜>祝日の順で下がっていく、というのが私の印象です。



纒向遺跡の出土品






 昨晩のNHKスペシャル「“邪馬台国”を掘る」(総合、21:00~21:49)、ご覧になりましたか?

 ここのところ俄然注目されている奈良・纒向(まきむく)遺跡の発掘について、詳しくレポートされていました。

 吉備など各地から持ち込まれたと考えられる土器群、壊された銅鐸の破片、動物・魚類の骨片、そして2,765個の桃の種… 番組では、これらと『魏志倭人伝』にみえる邪馬台国の「鬼道」という祭祀とを関連付けていました。

 大阪歴史博物館で開催中の特別展「発掘された日本列島2010」でも、この纒向遺跡の出土品を展示しています。
 

 纏向1


 番組でも紹介された各地域から持ち込まれたと考えられる土器。それぞれの地域の特徴がうかがえます。

 こちらは、木製仮面(レプリカ)。なんらかの祭祀に使用されたものと推測されています。

 
 纏向2


 日本最初の「都市」、あるいは初期ヤマト政権最初の「都宮」とする見解もある纒向遺跡。興味が尽きませんね。

 最後に大切なお知らせです。

 昨日の番組にも登場されていた桜井市教育委員会の橋本輝彦氏が、2月11日(祝)に来館され、纒向遺跡について最新の報告をしてくださいます。より詳しい話が聴けるのではないかと、期待しています!
 展覧会とあわせて、講演会もお聴きになってはいかがでしょうか?

 
 記念講演会「古墳出現前後の河内と大和」

 日時:2月11日(金・祝) 午後2時~4時30分(受付は、午後1時30分から)

 会場:大阪歴史博物館 4階 講堂
     *大阪市営地下鉄「谷町四丁目」駅下車 9号出口前
      大阪市営バス「馬場町」バス停前
    電話 06-6946-5728
    ホームページ http://www.mus-his.city.osaka.jp/

 演題:橋本輝彦氏(桜井市教育委員会)
    「纒向遺跡-発掘調査の歩みと最新の成果-」
    田中清美氏(大阪市博物館協会 大阪文化財研究所)
    「加美・久宝寺遺跡の最新成果と邪馬台国問題」

 定員:250名(当日先着順)

 参加費:300円(ただし、特別展の観覧券、または半券をお持ちの方は無料)

 

   
  


 

「発掘された日本列島2010」 展示解説






 大阪歴史博物館で開催中の、特別展「発掘された日本列島2010」では、毎週日曜日、展示解説を行っています。

 これが前回のようす。


列島展列品解説


 担当学芸員が、詳しく解説します。

 2月28日(月)の会期末まで、毎週日曜日、午後2時から行っています(約30分間)。
 
 参加費は無料ですが、特別展観覧料が必要です。

 一度参加してみては、いかが?
 新しい発見があるかもしれません。



紋の答え






 紋のクエスチョンの答えです。

 答えは、「酢漿草」紋でした。

 この難しい漢字、「かたばみ」と読みます。
 あまりに難しいせいか、家紋の世界では、「方喰」「片喰」とも書きます。

 かたばみに、剣がプラスされたら、「剣かたばみ」になります。
 剣を加えた紋は、わりと多いですね。
 まあ、お酒の好きな方は、「剣菱」を思い出すかも知れませんが…



 

栃のような涙 ~ 文楽初春公演より ~






 国立文楽劇場の「文楽初春公演」に行ってきました(1月23日まで)。
 第2部は、「寿式三番叟」「傾城反魂香」「染模様妹背門松」です。

 あ、この写真は、いまの番付ではなく、戦前(昭和8年)の文楽座時代の番付です。
 1冊15銭というから、いまだと200~300円くらいの感覚でしょうか。
 手もとにあったので、ちょっと撮ってみました。


文楽座番付


 今回の番付は、こちら。
 いつもながら思うのですが、床本(太夫さんが語る詞章が載っている)がついて650円は安い!
 
 
新春公演番付


 最近は、人形をみるというより浄瑠璃を聴きにいく、という感じの私ですが、時折、「えっ、これは?」という言葉が出てくることがあるんです。

 今回は、「栃(とち)のような涙」というもの(「染模様妹背門松」)。

 栃のような? 
 どういう意味か分からず、帰って調べました。

 すると、栃の実くらいの大きさの涙、ということで、「大粒の涙」の意味だそうです(日本国語大辞典による)。

 なるほど。

 いつも聴きながら、文楽の言葉は、さぞかし江戸時代の上方言葉を反映しているんだろうなあ、と思います。
 今回あったのは、「~さかいで」。
 「さかい」という言葉は、いまでもよく使いますね。「明日休みやさかい、文楽みにいくわ」みたいに。
 けれど、今回は「さかい」に「で」がついていた。つまり、「さかいで」。
 この前、別件で調べ物をしたとき、江戸時代は、普通には「何々さかいで」と「で」をつける方が多かったと指摘されていました。まったくその通りのセリフで、新鮮な驚き。

 でも、もっと気になったのは「ぴこぴこ」という擬態語。
 帰って床本を何べんもみたけど出ていなかったので、文脈は不明(覚えてない)。
 しかし、確かに「ぴこぴこ」と言っていたのです。

 ピコピコなんて、現代語みたいだが、江戸時代にあったのか?

 調べてみると、やっぱりあったようで、「さからって、りきむさま」(日本国語大辞典)だそうです。
 
 「腕まくりしてねぢ寄れば、ヤアぴこぴこするない」(「生玉心中」)という用例が載せられています。
 
 うーん、「煙草すぱすぱ」くらいだったら、いまと同じだけど、ピコピコとは…

 奥が深いなぁ~  





この紋は?







 今日、博物館資料を整理していたら、いくつか紋の付いた資料が出てきました。

 紋が付いている、つまり「紋付き」といえば、「紋付き羽織袴」などという言葉で使いますね。

 いまでこそ、あまり家紋を使わなくなりましたが、昔は着物に限らず、持ち物や器物など、いろんなものに紋を付けたものです。

 では、1つめのクエスチョン。
 このお椀(わん)に付いている家紋は、なんというでしょうか?


黒塗椀の紋





 わりと、よく見る紋ですよね。

 
 答えは、「五三桐」紋です。
 「ごさんのきり」と読みます。

 桐(キリ)の3枚の葉の上に突き出している部分が、左から、3・5・3になっていますね。
 だから、「五三」なのです。
 5・7・5になっている「五七桐」などというものもあります。

 家紋には、自然をモチーフにしたものが多く、特に植物は多いのです。
 水戸黄門の印籠でよく見る徳川家の紋「三つ葉葵(みつばあおい)」も、植物のアオイがモチーフですよね。


 いまのは練習でした。

 では、今日の本当のクエスチョン!
 次の紋は、なんでしょうか?
 

朱塗椀の紋


 ヒントは、植物です。
 その名前は…

 答えは、また次回!





服部文祥 『百年前の山を旅する』







 昨日の摩耶登山に関連して、昨年末に読んだ本をご紹介します。
 
 登山家の服部文祥さんの『百年前の山を旅する』(東京新聞)です。

 服部さんは“サバイバル登山家”として有名な方で、極力装備を減らして山に登る(山で釣りや狩りもやる)というスタイルを取っています。
 本書は、昔の人の装備・衣類で山に入ったり、先人の登ったルートをたどったりと、サバイバルに歴史色が加わったものです。


百年前の山を旅する


 歴史家で、歩いて歴史学をする、といえば、戸田芳実先生とか小山靖憲先生(いずれも故人)らがおられ、熊野古道の踏査などがなされています。
 でも、登山家の方から、こういう歴史的なアプローチをされるのは珍しいのではないでしょうか。

 目次のをあげると、

   過去とシンクロする未来

   100年前の装備で山に入る

   日本に沢登りが生まれた日

   ウェストンの初登攀をたどる

   鯖街道を一昼夜で駆け抜ける

   「ある登攀」を追いかけて

   黒部奥山廻りの失われた道

   火を持ち歩くということ

 
 服部さんは、さかんに、現代文明や最新装備に慣れることについて疑問を抱く。例えば、現代人と明治の人たちとの違いについて。

 「肉体的なちがいではなく、その肉体をどう使うのかという世界観が現代と100年前とは根本的にちがうのだ。昔の人は強かった、とわれわれは簡単に口にするが、それはたぶん正確ではない。昔の人と同じことはわれわれにもできる。(中略)発達した交通機関とそれを可能にする土木技術により、現代人が移動にともなう時間と労力を省略することに慣れ親しんでしまっているだけなのだ」

 山の登り口まで、今ならバスに乗っても行けるが、かつては登り口までも延々歩いて行かなければならなかった。そういう違い。
 大正から昭和初期にかけて、信仰の山にケーブルカーや登山鉄道ができます。関西でも、比叡山、愛宕山、高野山、男山、能勢妙見、そして摩耶山など。これはまさに「時間と労力を省略すること」に他ならない。

 さらに、

 「『便利・快適』の裏には、本来体感すべき経験を捨ててしまうという方向性が含まれているのである」

 ふぅふぅ言いながら、1時間もかけて山に登ってお参りするのか、それとも、ケーブルカーで5分で上がって参るのか?
 これは価値判断なのだけれど、“歩いてする歴史学”をやってみると、やはりこういうことを考えてしまいます。

 テクノロジーの進歩は、人を自由にしたのか?
 
 この問題には、単純に議論できない面があって、私のように「追体験」したらすべてが理解できるというわけではありません。
 このことは、もう少し考えていきたいと思います。


 

百年前の耐寒登山を追体験!







 昨日、六甲山系の摩耶山(まやさん)と再度山(ふたたびさん)に登ってきました。

 なぜ登ったかというと、ちょうど百年前の1月、大阪の、いま風にいうとハイキング団体の「大阪探勝わらじ会」が、このコースでハイキングを行っているからです。
 最近、見学会「昔の観光地を旅する」などを行って、明治・大正頃の大阪の人たちの観光感覚を追体験しようとしています。今回も、その一環で登ってみました。

 スタートは、阪神電車の大石駅。
 いま、ここから摩耶山に登る人は、まずいないでしょう。でも、百年前の明治44年(1911)、大阪から鉄道で行くとすると、一番の最寄り駅は、大石駅なのでした。阪急神戸線は、まだ開通していません。

 歩いて行くと、摩耶山が。案外高そう…


摩耶山


 当時にならって、上野道というルートで登ります。
 登り口には、江戸中期の天明2年(1782)に、大阪の人たちが建てた石碑が… 
 「摂州八十八ヶ所/第四十六番/摩耶山天上寺」とあります。


摩耶山登り口


 きつい登りに、ふぅふぅ言いながら、1時間ほどで、かつての天上寺の山門へ。


摩耶山門


  ここから有名だった石階(石段のこと)を延々上がると、お寺が…


摩耶山上


 …あったのは、かつてのことで、昭和51年(1976)の火災で、伽藍は焼失してしまいました。
 明治の人たちが見た摩耶夫人堂(摩耶山の名前の由来です)も、礎石しか残っていません。

 休憩もそこそこに、別の道(青谷道)から、さらに旧摩耶山参道にルートを取ります。
 かなり急な山道。登ってきたご婦人と二言三言会話しつつ、下っていきます。


摩耶山下り


 登りはしんどいが、下りは超スピードで、新神戸へ。
 再度山に向かう前に、まず布引滝を見学です。
 もう、11時半、というべきか、まだ11時半というべきか。
 なにせ、阪神大石駅スタートが、8時でしたから。


布引滝


 布引滝の雄滝。
 美しい!
 私の大好きな滝です。すばらしい…

 さて、ここから布引貯水池~市が原を経て再度山・大竜寺へと至り、そのあと大師道をひたすら下って、神戸市内の諏訪山公園に下山し、ゴールはJR三ノ宮駅となるのですが、あまりに長くなりますので、詳しくは3月の講座でお話します。

 なにわ歴博講座
 3月18日(金)午後6時30分~7時45分
 「明治・大正の観光コースを踏破する」(担当・船越)
 参加料200円(当日受付)

 摩耶山コースのこと以外も、話す予定です。


 実際に体験してみて、率直な感想は、やっぱり昔の人は体力がある、というもの。このコース(私は7時間かかった!)を、なんと60人以上で歩くのですから。相当朝早くに出発しているとはいえ、真冬の1月! まさに耐寒登山。21世紀の私たちからみると、驚異的かも。
 
 私といえば、1日経って、さすがに足とかお尻? に身が入りました(笑)

 

特別展 「発掘された日本列島2010」 オープン!







看板


 今日から、特別展「発掘された日本列島2010」がスタート!

 昨日は、新聞やテレビの記者さんに、展示を公開しました。

 みなさん、熱心にご覧になってますね。


内覧風景


 この展覧会は、昨年から全国を巡回しているもので、大阪が最終。

 なにわ歴博では、巡回展に加えて、オリジナルの「なにわの考古学30年の軌跡」も併催します!

 ちょっと展示室をのぞいてみると…


はにわ

 
 これは、円筒埴輪と朝顔形埴輪ですね。

 かなりの迫力です!

   ※赤土山古墳出土 円筒埴輪・朝顔形埴輪(天理市教育委員会)


 ほかにも、全国20遺跡から選りすぐりの考古資料を展示しています。

 2月28日(月)まで。

 お見逃しのないように!


なにわ歴博ブログ、はじめます!







 こんにちは!


 大阪歴史博物館、愛称は「なにわ歴博」。

 年もあらたまって、ブログをはじめたいと思います。

 なにわ歴博の情報-展覧会・講座・刊行物など-をご案内します。

 また、学芸員の日々の活動も紹介していきます。


 どうか、よろしくお願いします!
プロフィール

なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

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