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「発掘された日本列島」、閉幕御礼






 本日、特別展「発掘された日本列島2010」が閉幕しました。
 2万人を超える皆さまにご覧いただきました。ありがとうございました。

 ご覧いただいた方も、ご覧いただく機会がなかった方も、次回は4月に特別展があります。
 詳しくは、3月になりましたら(もうすぐです!)、このブログでもお知らせします。ご期待ください!

 また、特集展示「幕末大坂の絵師 森一鳳」は、好評開催中です!
 お見逃しのないよう、ご来館ください。




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「数」の前に立ち尽くす学芸員(1)






 劇作家・平田オリザさんの著書に、「あるディスカッション」という一項がある(『芸術立国論』集英社新書、2001年)。
 大学の授業などで、劇場運営に関して、次のようなテーマで議論するそうだ。


 【課題1】
 市民から議会を通じて、
 「我が市では、福祉行政さえもまだ不充分であるのに、なぜ直接市民の生活の向上に役立たない文化行政に多くの予算を割くのか、理想は分かるが時期尚早なのではないか」
 との指摘がなされた。議会で、どのように答弁するのか? 答弁書を書け。

 【課題2】
 また、その指摘の中で、具体的に、あなたが選んだ舞踏の公演が、
 「海外でいかに評価されていようとも、前衛的すぎて、多くの市民の共感を得られるものではない」
 との指摘も受けた。どのように答弁するか? 答弁書を書け。

 
 どうでしょうか?
 平田さんも、もちろん「答えはこれだ」などとは書いていません。

 ここに出てくる芸術分野の話と、私たちが日々運営している博物館とは、ほぼ同じような状況にあるといっていいでしょう。

 私が、敏感に反応してしまったのは、やはり「舞踏」という言葉です。
 舞踏、ご覧になったこと、ありますか? 私は学生の頃に観たことがありますが、確か1度きりだったと思います。それ以来、生では観ていません。
 日本の舞踏は世界的に評価されてきたけれど、では国内でどのくらい観られたかというと、たとえば劇団四季などと比べれば、とても少ない数でしょう。

 平田さんの課題に沿って、自分が地方自治体の担当者になって、公立ホールで舞踏を上演しよう、と考えたとき、それをどうやって実現するのか? なかなか、むずかしいものがあります。
 
 私たち学芸員も、展覧会などの企画を考える際、とにかく、どのくらいの方に支持していただけるのか、ということに無関心でいられません。

 すでに一昨年の出来事になってしまいましたが、2009年3月~6月、東京国立博物館で「国宝 阿修羅展」が開催されました。61日の会期で、約94万6千人の来館者があったそうです。1日平均にすると、約15,000人です。
 近年、この例のように、50万人を超え、100万人に近づくような展覧会が首都圏で出始めています。1960~70年代に、ツタンカーメンやモナ・リザの展覧会で100万人を超えた例があるのですが、それはずいぶん以前の話。個人の趣味・嗜好が多様化して、同じものにワッと集まらなくなった今、なぜ展覧会に何十万人もの人が集まって来るのか。
 阿修羅展は、九州国立博物館でも開催されましたが、こちらも約71万人の入館者だったそうです。福岡県の博物館ですから、この数は東京以上といえるかも知れません。

 私は、折にふれて、好きなスポーツや映画の状況と比較します。映画界で、次のようなことがいわれています。東宝の中川敬さんの指摘です。


 なんで死屍累々の状況(興行的にヒットしない作品が多数発生する状況)が生まれたのか、何がそうさせたのか。送り手の問題もありますが、それは観客が選んだ結果でもあるんです。そこで問題にするべきなのは、映画を選択するうえで「話題性」が大きな位置を占めるようになってきたことでしょうね。本来、映画というのは、作品のテーマとか、撮った監督とか、出ている役者さんとか、作品に内在する要素で選んでいたわけです。でも今ヒットした作品を見ていくと、「みんなが話題にしてるから」ということが観客の心理を後押ししている。それは、映画の話題性そのものがコミュニケーション・ツールになっているからですよね。だから、コミュニケーション・ツールにならないような作品は特に若い人からは選ばれなくなってしまう。
     (「急変する製作配給興行システム」、「映画芸術」431号、2010年)


 近年ヒット作をたくさん出している東宝の方がこういう発言をするところに、逆説的な説得力を感じました。映画界では、テレビ局が絡んだ映画、つまりテレビ(などのマスコミ)で露出度が高い映画が、よく観られる結果になるのですね。またPRのため、毎週、週末になると主演俳優が朝の帯番組に出てくる… その傾向に拍車がかかっている。

 おそらく、首都圏や九州で、数十万人を集める展覧会は、≪話題性≫が高く、その展覧会を観ることが、友人・知人との≪コミュニケーション≫に役立つ、ということなのです。

 「あなた、阿修羅展、観た?」という会話が、一昨年の東京でどれだけされたのだろうか。

 コミュニケーション・ツールという概念。「内在する要素」で選ばれるのではなく、コミュニケーションするためにどのくらい役立つのか、という観点で選ばれること。ここに新しい問題が潜んでいます。
 映画でも展覧会でも、内容に対する評価は十人十色でしょう。たとえば、2010年、日本映画の興行収入で第2位だった「THE LAST MESSAGE 海猿」。興行収入は約80億円、つまり500万人以上の人が観たということです。私も観たのですが、なぜ500万人もの人に支持されたのか(日本の人口でいえば、25人に1人が観ている)、どう理解したらよいのか難しいものがある。
 こういった状況は、作品や展示の内容評価とは別の要因が働いていると考えることができるでしょう。

 (この項、つづく) 
 





「白夜行」と歴博の秘かな関係






 遅ればせながら、映画「白夜行」を観た。


 白夜行チラシ


 ある町で起こった質屋・桐原の殺害事件を追う刑事(船越英一郎)。容疑者にあがった西本(山下容莉枝)は、真相が明らかになる前に事故死する。女の一人娘・雪穂(堀北真希)は成長して唐沢家へ養女に入り、美貌を備えた女性となる。しかし、彼女の周辺では謎の事件が続発し…
 ミステリーなので、詳しいストーリーは控えるが、1980年から時間が経るにつれ、過去の事実が明るみに出され、戦慄する。

 原作は、東野圭吾のミステリー。1999年に発表された。
 私にとって、この小説はたいへん思い出深い。
 


 白夜行表紙


 「白夜行」を読んだのは、2000年の初めだった。その頃は、この博物館を作る仕事に追われていた。オープン1年半前である。
 作品の舞台は、1973年の東大阪・布施周辺である。殺された男の質屋は布施にあり、その店員の男は寺田町に住んでいる。容疑者の女は今里のうどん屋で働いている。事件を追う刑事は八尾に自宅がある。具体的な地名とともに、事件の起こったありさまが彷彿としてくる。500ページにわたる長編は、意外な展開を呈し、衝撃的だった。

 そのとき私は、新しい博物館の近現代フロア(7階)の原寸大復元を作り始めていた。まだ工場での製作は始まっておらず、シーンの設定を行っていた。「白夜行」にはまり込んでいた私は、≪郊外住宅のくらし≫復元シーンの登場人物に、この小説にあらわれる「桐原」と「唐沢」という名前を付けた。確か、復元住宅が桐原家で、そこに訪ねてきた老紳士が唐沢だったか。
 この設定上の名前は、古い書類を調べれば、たぶん出てくると思う。しかし当時は誰も、その名が「白夜行」から取られているとは気付いていなかっただろう。
 いま公式にはもちろん、この名前は使われておらず、私の頭のなかだけに残っている。長らく忘れていたが、映画を観て久しぶりに思い出した。

 あれから11年。公開された映画では、舞台は大阪とはわからない形になっていた。刑事の自動車が走る河原の道は、布施あたりとは思えぬ光景だった。容疑者とその娘・雪穂が住むアパートは、映画では貧しい長屋となっているが、そのイメージだけが原作の装丁に現れている木造家屋の写真に重ねられている。




戦国飴って?






 大阪歴史博物館には、いろんな方がいらっしゃるのですが、今日は「戦国飴」というアメを扱っている会社の方が来られました。

 戦国飴?

 こんなのです。



飴2


 戦国武将の家紋の金太郎アメ。これは石田三成。抹茶味。
 ほかにも、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、上杉謙信など… 直江兼続のアメは、やっぱり「愛」の一文字だった。
 名古屋方面では、やはり家康人気らしいです。

 斎藤道三の「蝮飴」というのもあって、ショウガ味! 渋すぎる。ご承知のように、道三は“美濃のまむし”といわれたんですよね。
 えっ、チラシには「マムシ粉末入」って書いてある!!



飴3


 今年は、「浅井三姉妹」というアメも新発売されたらしい。大河ですしね。
 この会社は名古屋のお店なのですが、関西でも戦国ショップなどには売っているそうです。戦国ブーム、いまださめやらぬ、という感じ。

 最後にオマケ。これは戦国飴と違うのですが、うちの同僚が入手した金太郎アメ。



飴1


 滋賀県の北の方の有名なネコのキャラクターですね(笑) まあ、ひこにゃんですけど。

 いろいろあって、おかしいです。




「森一鳳」展、学芸員の展示解説があります






 展示は、説明を受けながら見るとわかりやすい。

 これは、みなさんがおっしゃいます。今日も、ガイドツアー≪難波宮遺跡探訪≫に参加された取材のY社の方が、やはり解説を聴くとよくわかる、と言われていました。ボランティアさんの解説が上手でした、と。

 大阪歴史博物館では、常設展示、特別展、特集展示、難波宮の地下遺構など、いろいろな解説を行っています。


列島展列品解説  [特別展 展示解説の様子]


 私たち学芸員は、お客さまを見ながら説明しますから、同じテーマでも1回ごとに変化をつけ、工夫して話しています。
 一番むずかしいのは、大人の方に小学生がまじっているとき。こどもさんにもわかるように易しくしながら、大人の方にもきっちりと伝える。これが至難の業。でも、結果的に、こども向けに話した言葉が、大人にもわかりやすかったりするので、不思議です。
 笑ってくださったり、あいづちを打ってくださったりと、お客さまの反応がいいときは、とても話しやすいですね。どんどんサービストークするようになります。
 私は学芸員ですが、なぜか、どうしても笑いを取りたくなるのです。関西人の性でしょうか?

 最近では、展示解説の日をねらって来館される方も増えてきました。

 今日から始まった特集展示「幕末大坂の絵師 森一鳳」でも、美術史が専門の岩佐学芸員による展示解説があります。

 日 時 : 2月26日(土)、3月5日(土) いずれも午後2時から(30分程度)
 場 所 : 大阪歴史博物館 8階 特集展示室
 参加費 : 無料(ただし、入場には常設展示観覧券が必要です)

 当日、直接会場へお越しください。




特集展示「幕末大坂の絵師 森一鳳」、オープンしました!






森一鳳1


 今日から、特集展示「幕末大坂の絵師 森一鳳」が始まりました。
 森一鳳(1798~1871)、養祖父は猿の絵で有名な森狙仙、養父は円山応挙の高弟・森徹山です。ともに写生をよくして名をあげた絵師で、一鳳も彼らの画風を受け継いでいます。
 今回の展示は、次の5つのコーナーにわけて、一鳳の作品を紹介しています。

  1.藻刈舟
  2.神仏と人
  3.鳥や獣
  4.四季を彩る
  5.風景


森一鳳2


 森一鳳といえば、やはり「藻刈舟」(もかりぶね)の画題が有名ですよね。“藻を刈る舟を一鳳が描く”なので、“藻を刈る一鳳”=“もうかる一方”で、お金儲けにつながる縁起のよい絵として好まれたのです。江戸時代らしい語呂合わせ感覚ですね。


森一鳳3


 これが、その絵のひとつ。藻刈舟図(個人蔵)。雨の中で刈っていますが、“雨が降るほど儲かる”に通じるということで、とても歓迎されたそうです。
 取材の方をご案内して説明したら、「大阪らしいですね」と笑っておられました。


森一鳳4


 「孔雀図屏風」(大阪天満宮蔵)。梅の木に孔雀がとまっている絵柄。応挙の流れをくむ画題ですね。今回一番の大作です。 


森一鳳6


「浪華勝概帖」(本館蔵)のような大阪の風景画も展示されています。天保山、難波橋、尻無川など、江戸時代の名所ですね。

 わたし的におすすめなのは、この作品。
 


森一鳳7


 「男山図」(個人蔵)。毎日、男山を見ながら通勤している私ですが、この絵は幻想的です。海に浮かんだ島のようですね。江戸時代なら、霧の朝など、こんな光景になったのかも知れない。このあたりは、よく霧がかかるところです。
 よく見ると、石清水八幡宮なども描かれています。

 特集展示「幕末大坂の絵師 森一鳳」は、4月4日(月)まで、大阪歴史博物館・8階・特集展示室で開催中です。




思わぬ雪景色に出会った






雪景色4


 快晴の空のもと、雪山を背負った並木道。なにか“北の国から”みたいな風景ですね。
 どこかわかりますか?



雪景色3


 路肩にも、雪の山ですね。
 実は、ここ、関西です。湖北の滋賀県高島市マキノ町。スキー場もあって、雪がたくさん降るところです。
 並木は、メタセコイア。30年ほど前から植樹され始めたそうです。2.5kmほどにわたって並木道が続いていて、関西離れしていますね。

 今日は、マキノに行くつもりもなかったのですが、なぜか足が向いて来てしまいました。訪ねたのは、マキノ白谷温泉。久しぶりです。温泉のまわりは、雪で真っ白! 



雪景色1


 いくらかは溶けていると思いますが、この雪の“地層”、60cmくらいあります。
 雪の温泉につかって、ホッと一息。

 今年、湖北は大河ドラマ「江」で人気アップですね。こちらは琵琶湖の北西の方で、長浜などからは少し離れていますが、史跡めぐりの帰りにいかがでしょうか。

 大阪市内は雪が少ないので、雪景色を見るとうれしくなってしまいます。でも、暮らしておられる方は大変。
 知人に湖北出身の人がいるのですが、年明けに会ったら、鋲(びょう)のついたゴム長靴を履いているので、驚きました。実家では雪かきなどもあり、この長靴が必要だそうで、湖北のホームセンターには普通に売っているそうです。苦労がしのばれます。

 湖北の「江」人気は、また機会があればレポートします。




なにわ歴博講座のご案内






 少し暖かくなってきましたね。大阪城の梅も、そろそろ見頃です。観梅のお帰りに、当館にお立ち寄りくださる方も増えています。

 今日は、講座のご紹介です。

 なにわ歴博講座-3月 春の講座-「学芸員のさまざまな研究から」

 金曜日に開催します。演題は、こんな感じです。

  3月4日  和辻哲郎と考古学者
         -『日本古代文化』にあらわれた論説の変化と考古学者-(伊藤 純)
  3月11日  中世大阪の道 再考(大澤研一)
  3月18日  明治・大正の観光コースを踏破する(船越幹央)
  3月25日  江戸幕府は“王権”か?
         -中国・朝鮮・越南・琉球との比較から-(井上智勝)

 初回の伊藤純学芸員の話、おもしろそうです。
 伊藤学芸員は、ここ1、2年、和辻哲郎の古代文化観について考察しています。大正8年(1919)に発表された『古寺巡礼』は、和辻が二十歳のときの著作。私も岩波文庫で読んで、情熱にあふれる文章だなぁ、と思った記憶があります。
 ところが、初版は岩波文庫版とはずいぶん違うらしい。同じく『日本古代文化』も、版を重ねるごとに内容が変わるといいます。和辻は、自身の考えの変化にともなって、著作に手を入れていったそうなのです。
 今回の講座では、そのあたりの詳細や、考古学史との関係が聴けそうです。楽しみですね。

 詳しくは、大阪歴史博物館ホームページをご覧ください。


   大阪歴史博物館ホームページ


 会 場:大阪歴史博物館  4階 講堂
 時 間:午後6時30分~7時45分(開場:午後6時)
 参加費:200円
 定 員:250名(当日先着順)
 受 付:申込みは不要です。直接会場へお越しください。



難波宮跡からトウゴマ(ヒマ)の種子が出土






 共同通信が配信したニュースで、大阪文化財研究所(大阪市博物館協会)が行った難波宮跡の発掘調査で、薬用植物トウゴマ(ヒマ)の種が出土していたことが、報道されました。

 ヒマというと聞きなれないのですが、“ひまし油”というと聞き覚えのある方も多いはず。トウゴマの種子から採る油だったのですね。

 詳しくは、こちら。



   難波宮跡でアフリカ薬草の種


 発掘に携わった大庭重信学芸員のコメントも掲載されています。うちの同僚に聞いてみると、丁寧に土を洗いにかけて調べていると、こういう種子も発見できるということで、地道な調査の成果ですね。



「発掘された日本列島」、あと1週間です!






地域展3


 大阪歴史博物館で、1月からスタートした特別展「発掘された日本列島2010」も、会期末まで、あと1週間ほどとなりました。
 今日は、大阪独自の地域展「なにわの考古学 30年の軌跡-足の下に眠る歴史-」から、少しご紹介。


地域展2

 
 今日、私が注目したのは、下の資料。



地域展5


 大阪市中央区の瓦屋町遺跡から出土した土製品です。小さいものですが、約400点出たんだそうです。よくみると、亀とか鶏とか人形とか、おもちゃの土人形でしょうか。結構、緻密です。
 


地域展7


  右下は、たぶんお地蔵さん(頭が取れていますが)。奥は、灯篭(とうろう)や祠(ほこら)ですね。おもちゃなのか、信仰的なものなのか。
 これらの土製品は、この瓦屋町で作られたものらしく、型も出土しています。


地域展4


 玩具の生産は、今日まで市内でも行われていて、先日訪問したある町工場では、戦後長く玩具の部品を作っていたそうです。例えば、仮面ライダーの人形のマントに穴を開ける仕事(細かい!)とか、です。
 この土人形も、そんな感じで作られていたのかなと想像したりします。

 江戸時代の大阪は、“商いの町”のように思われがちですが、ものを生産する産業都市でもあったのです。


 展示は、2月28日(月)まで。




ずっと、つづける。






 将棋の棋士には、独特の勝負観、人生観、人間観を持っている方が多い。昔、米長邦雄さんの著書を読んでいて、ひとを判断するには靴を見よ、という指摘を読んで驚いたことがある(文字通り、“足元を見る”だ)。

 本屋をぶらついていたら、羽生善治さんの『大局観』(角川oneテーマ21)という新書が出ていた。
 そこに、加藤一二三さんのことが書いてあった。加藤さんは、一度採用した戦法をかたくなに守りつづけて変えない。おまけに、出前の食事も、半年も一年も同じものばかり食べる。
 羽生さんは、同じ戦法は相手に研究されるので損するのではないかと、かつては思っていたそうだ。しかし、最近は見方が変わってきて、同じ戦法を繰り返すことで、その神髄を理解し、深い技術を身につけているのではないかと考えるようになったという。

 加藤一二三さんは、「神武以来の天才」と騒がれて以来、半世紀以上、プロとして将棋を指し続けている。若い羽生さんでも、25年もやっている。プロ競技としては、スポーツなどに比べて、格段に息が長い。

 私たち博物館の世界も、息が長い仕事だ。大阪歴史博物館は、前身の大阪市立博物館として開館した時点から数えて、50年続いている。館蔵品は、優に10万点を超え、未来の人びとに引き継がれていく。また、学芸業務にかかわる知識や技術は厚く蓄積され、博物館運営に対する哲学も長い年月をかけて醸成されてきた。

 いま、大阪歴史博物館は、指定管理者制度によって運営されている。大阪市に選ばれた組織が、館の運営を任されるものだ。2006年度からこの制度が適用され、2010年度(今年度)からは(財)大阪市博物館協会が行っており、期間は4年だ。
 この制度が始まる際、大阪市の認識としていくつかの課題があった。そのひとつに≪事業の継続性は維持できるのか≫というものがある。たとえば、継続的な博物館資料(館蔵品)の管理、中長期的な展覧会計画の策定などだ。

 最近、気にかかっている“継続性”が、学芸員・学芸業務における継続性の問題だ。
 ひとりの学芸員のなかで、専門的な思想・知識・技能を獲得するには、一定の時間が必要だ。大学・大学院を卒業・修了し、学芸員資格を取ったからといって、すぐに“使える”学芸員になれるわけではない。先輩学芸員に教えを請いながら、みずから場数を踏んで、はじめて一人前の学芸員になれる。
 一方、ひとつの博物館でも、学芸業務にかかわる哲学や態度、技術が確立するのは、数世代の学芸員による積み上げが必要だ。印象論的だが、当館では今、第4世代あたりの学芸員が現役で働いている。
 ところが、現役の学芸員の多くが、若くてもアラフォー(40歳前後)となっている。20歳代がいないのはもちろん、もうすぐ30歳代もいなくなる。そして、全員が40歳代になるころ、現在50歳代後半の学芸員が退職を迎え始める。新規採用に関するハードルが高い現状で、この問題を放置しておくと何が起こるのか、言わずもがなだろう。
 ちなみに、この問題は、現在の指定管理者を決める選定委員会で、委員の方からも指摘されている(第3回、2010年1月25日開催)。

 現在、当館の指定管理期間は4年間。全国的にみても、3年から5年という施設がほとんどだ。そうなると、どうしても短期的な成果に目が向きがちになってしまう。長いスパン-10年後、20年後、50年後、100年後-のことを、誰が考えていくのか?
 このことは、どの施設でも問題になっており、仙台市天文台では指定管理期間を30年にしている(平成20年7月~50年3月)。

 71歳になっても現役でありつづける加藤一二三さんは、ひとつの戦法をずっと続けることで、それに磨きをかける。私も、棋士半世紀の加藤さんには及びもつかないが、20年近く学芸員を続けてきた。

 長くやるから、考えられることもある。時間をかけてこそ、身につくものもある。

 なによりも、博物館は歴史という“時間”が生み出す事象に取り組む施設なのだ。その施設の運営に“時間”への配慮が欠けているのは、医者の不養生のようで恥ずかしい。
 



海外から見た大阪~「たかじん胸いっぱい」






 関西テレビ「たかじん胸いっぱい」(2011年2月19日、12:00~)で、≪海外から見た大阪≫を特集していました。

 海外のガイドブックに掲載された大阪のイメージを紹介。

 まとめていえば、大阪は、金儲け、食い倒れ、お笑い、ヤ○ザ、といったイメージ。ある国のガイドブックには、観光すべきところがない、とも… 私も以前、ある原稿で“大阪は、偏見で、吉本・タコヤキ・タイガースとイメージされている”と書いたけれど、どうも海外からもそんなふうに見られているらしい。

 そのあと紹介されたのは、大阪に住んでいる外国の方の感想。こちらは、わりと好意的でした。そのなかで、おもしろかったこと。

 御堂筋沿いのビル街に、桃山風の新歌舞伎座(1958年、村野藤吾設計。現在は移転)が建っている。その新しいものと古いもの(唐破風の意匠をもつ新歌舞伎座が昔の建物に見えるわけですね)が隣接しているさまが、おもしろいという。
 これは私も経験したことがあります。昔、大阪城内に勤めていたとき、天守閣とOBP(大阪ビジネスパーク)の高層ビルが並んで見える景観を、海外のツーリストが old and new と言って驚いている。大阪城天守閣も1931年に竣工した“近代建築”なのですが、知らない人が見ると、≪現代と江戸時代の揃い踏み≫みたいに見えるのでしょうね。

 大阪のような現代都市に、古い文化が残っている。それが新鮮だ… 海外のツーリストが魅力的と思う点は、意外なところにあるものです。異文化間にはギャップがあるのは当然ですが、それをどのように取り結ぶのか。親和させるのか、落差を逆手にとるのか。 
 海外のツーリストに来ていただくだけでなく、この異文化ギャップをどのように解釈し伝えていくのかが問われています。  


万葉仮名木簡、展示中!






万葉仮名木簡1


 2006年に難波宮の西南部で発見され、最古の万葉仮名が書かれた資料と注目された万葉仮名木簡。
 「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」と記されており、≪はるくさのはじめのとし≫と読むのではないかと考えられています。
 発見された地層から、難波宮に遷都された頃(7世紀中頃)に詠まれた歌の可能性があるもので、そうであれば万葉仮名の成立がさかのぼることを示す物証となる資料です。


万葉仮名木簡2


 現在、この木簡を久しぶりに展示しています。

 1月、宮中で行われた歌会始で、丹波陽子さん(茨城県水戸市)が詠まれた和歌、「一字一字指しつつ読みぬ木簡の万葉仮名の「皮留久佐乃皮斯米」」が披露されました。
 丹波さんは、当館でこの木簡をご覧になり、その感動を詠まれたそうです。
 今回は、これにちなんで展示しています。

 大阪歴史博物館の10階・常設展示室にて。
 期間限定で、2月28日(月)までですので、お見逃しなく!

 



博物館とツイッター






 今日話題のニュースは、ユニクロがUNIQLOOKSというフェイスブックを活用したサイトを立ち上げた、というものですね。
 フェイスブックやツイッターは、エジプトの政権崩壊でも大きな役割を果たしたと指摘され、注目を集める一方。

 ユニクロの新サイトを見てみると、おぉ、ユニクロのウェアを着た人たちが実名で登場している。ユニクロを着た自分の写真を投稿したり、他の人のユニクロスタイルを評価することもできる、という。
 雰囲気としては、ストリートスナップみたいな感じですね。私も、Sartorialist(スコット・シューマン)とか、STYLE from TOKYO(シトウレイ)などを見ますけれども、これらは彼/彼女が見たストリートの人々を撮影したもの。ほんとうにカッコいい市井の人たちが登場する。ストスナ自体、モデルでない一般の人を取り上げるという視点が、すごく新鮮でしたし、いまも斬新です。
 一方、今回のUNIQLOOKSは、自分で投稿でき、相互に評価することができる。ユーザーの姿を通して、リアルなユニクロの着こなしを知ってもらうことが目的、という。相互評価によって、どういった着こなしが人気なのかわかる。この双方向性がどう生かされるか、注目ですね。

 そんななか、先日あった大阪歴史博物館の展覧会を評価する外部評価委員会で、こんな質問が出た。

 「ツイッターの活用は、なさらないのですか?」

 それに答えた、わが課長。

 「えー、“追加”といいますと…」

 “追加”と違いますよ、課長! と言いたかったけど…(実話です)

 ジョークはさておき。ツイッター、NHKふうにいうと「つぶやきサイト」。
 当館は、やっていません。というか、このブログも先月始まったばかりだし… 私たちの周辺では、大阪市立自然史博物館や市立科学館などがツイッターを活用しています。

 活用している企業の事例を見ると、その気軽さと双方向性で、ユーザーの生の声が聞け、すぐにレスポンスできる、という特徴がありそうです。ちょっとしたQ&Aもできるし。
 ただ、心配は結構時間を取られそう、ということ。即時性がある分、それに掛かりっきりになるおそれもありそうです。

 ほんとに、ソーシャルメディアの急展開は凄まじい。今日のユニクロの例も、そう。でも、私は少し様子見。慎重派なので、もうちょっと研究してみようというところです。

 



映画「細雪」を観る






 九条(大阪市西区)に、シネ・ヌーヴォという映画館があります。
 2月になって、「浪花の映画の物語 その1」という特集上映をやっていたのですが、今日ようやく観に行ってきました(でも、明日で終わってしまう…)。


浪花の映画チラシ


  私は、学生時代から、谷崎潤一郎の愛読者。今回は、「卍」と「細雪」が上映されましたが、今日は「細雪」を観ました。1959年・大映、島耕二監督作品。
 
 「細雪」は、蒔岡家の4姉妹の物語なのですが(英訳のタイトルは、Makioka Sisters というくらい)、三女の雪子を山本富士子が演じている。これが綺麗なのですね。雪子は、おっとりしていて、お見合いをしたりしている。一方、四女の妙子(叶順子)は、行動的・開放的で、男性とラブロマンスを繰り広げる。その対照が、この映画でも軸になっています。

 原作に比べると、妙子のラブロマンスにかなりウェイトがある印象。中盤、妙子と啓ぼん(川崎敬三)と板倉(根上淳)の三角関係に描写が費やされます。
 板倉と死に別れ、勘当された啓ぼんにも愛想を尽かした妙子は、バーテンダーの三好と付き合います。名もある蒔岡家的には、みっともない関係という位置づけになります。

 ある日、雪子は、独り、飲み屋街にある三好の店を訪ねます。三好に追い返されますが、妙子を思う強い気持ちに、この人なら大丈夫との確信を持ちます。
 東京から長姉の鶴子(轟夕起子)がやって来ると、雪子は妙子の結婚のことを切り出します。幸子(京マチ子)は反対しますが、鶴子はあっさり認めてくれる。
 この前のシーンで、鶴子と幸子は、売り払った蒔岡家の跡地を通ります。そこでは、ビルディングの建設工事が行われている。幸子は涙ぐむのですが、東京で苦労した鶴子は案外サバサバした表情なのです。

 ラスト前は、阪急電車に乗り込む妙子と三好へ、雪子がガラスドア越しに、姉たちが結婚を認めたことを伝えるシーン。実は、原作の末尾は、嫁入りする雪子の話で、汽車に乗ってからも下痢が止まらなかった、というくだりなのです。そこに、雪子がかつてつくった「きょうもまた衣えらびに日は暮れぬ 嫁ぎゆく身のそぞろ悲しき」という歌が記されている。
 映画は、これとは対照的で、貧しい生活を承知で、好きな男性と結婚しようとする妙子のたくましさ、それを認められるようになった鶴子の強さ、そして迷いつつも前に進んでいく雪子の芯の通った生き方を、それぞれ強調します。

 戦後、昭和34年(1959)に撮られた作品ですが、女性の強さを感じさせ、こういう原作の解釈もあるかなと思いました。
 


“迷走”って?






 さきほど、日本経済新聞の夕刊(2011年2月16日付)を見ていたら、大阪市立近代美術館の建設計画について触れられていた。


日経近美記事


 「大阪市が市立近代美術館を2016年度に完成させる計画を打ち出した」というリード文で始まる取材記事。構想段階から紆余曲折を経た計画について、経緯や現状をまとめている。
 この記事の見出しは、「『大阪市立近代美術館』なぜ迷走」。「迷走」という言葉、あまりよくないイメージである。でもね、文化をめぐる事象は、ときとして“迷走”するものなのだ。

 思い出したのは、オランダのアムステルダム国立美術館の改築計画。レンブラントの代表作「夜警」やフェルメールの作品などを所蔵する著名な美術館だ。
 この美術館は、19世紀後半に現在使用している煉瓦造の建物を建設。2004年になって、リニューアル計画が持ち上がった。
 その内実を詳しく知ったのは、映画「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」(ウケ・ホーヘンダイク監督作品)だった。



アムステルダム近代美術館


 映画の冒頭から、美術館の中を通る自転車などの通路の廃止をめぐって、自転車愛好家から鋭い反発を受ける。また、新築する高層棟について、その高さをめぐって問題化する。館長のキャラクターや、現代美術をどう扱うかなど、問題は山積。レーウ館長はついに辞任し、退職する学芸員も出る始末。この事態、“迷走”という言葉以上にふさわしい言葉もない。

 しかし、文化にかかわる問題は、価値観の問題でもある。A氏とB氏の価値観が、まったく同じということは、そもそもない。ひとつのプランについて、賛否が分かれるのは当然のことだ。
 それを如何に折り合いをつけて着地させるのか。それが、文化に携わる人間の叡智でもある。

 「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」を観て思ったことは、≪アムステルダム国立美術館は、したたかだ≫という感想。
 こんな擦った揉んだの“迷走”も、みずからをPRする手段にしてしまう逞しさ。
 巨大な絵画を保管する収蔵庫の中まで見せてしまう。
 この映画を観た人は、誰もが一度はアムステルダム国立美術館へ行ってみたいと思うだろう。 

 そのアムステルダム、計画は現在も停滞中という。

 ぶつかったり、争ったり、挫折したり… それこそ人生、それこそ歴史。
 しんどいけれど、粘り強くやっていきましょうや。



学芸員の秘密の道具?






 学芸員の仕事のひとつ、展示替。
 大阪歴史博物館では、常設展示のフロアごとに、展示替用の道具箱があります。
 これは、7階用。



道具箱1


 開けると、こんな感じ。


道具箱2


 ボックス自体は、ホームセンターなどで売っているもの。中身は、コンベックス、ドライバー、ピン、テグスなど、まあ普通のものが多い。
 寸法を測るコンベックスは、資料を置く位置を決める際に、重要ですよね。私は目分量ではなく、展示台の端などから寸法を測って置いています。

 おなじみの白い手袋(“白手”などと略称することも)は、漆器など手の脂がつくのを嫌う資料などを持つときに使います。これは、個人持ちなので、このボックスには入っていません。私は、作業着のポケットに、いつも2揃いくらい入れており、別に真新しいものもストックしています。

 でも、ちょっと変わった品物も。
 なかに入っていたこんなもの。
 
 何かわかりますか? 



道具箱3



 うーん、これはわかりますよねぇ。

 展示替のとき、あるシーンに限って使うもの。

 ちょっと簡単だったかも…

 答えは、この写真。
 




道具箱4


 足につけるカバー。ビニール製。
 いわゆる≪靴下カバー≫でした。

 展示ケースのなかに入って、展示台などに乗るとき、台が汚れないように、このカバーをつけるのです。展示台は白いし、靴下も結構汚れていたりしますからね。

 他館では使うのでしょうか。
 もしかして、うちの館だけ?

 このカバーは業務用だと思うのですが、もちろん博物館・美術館専用ではなさそうで、他業種で使うものらしい。どんな仕事の方が使うのでしょうか。

 いろんな道具があるものですね。
 道具に凝ると、ちょっとプロっぽいでしょ(笑)





 

インターネット限定アンケートにご協力を






 今日の大阪は、また雪です。
 いま午後2時45分、かなり吹雪いています。

 この前、ご紹介した10階の踊り場から外を見ましたが、大阪城天守閣すら、かすんで見えづらい状態。今年は、本当によく雪が降ります。


 大阪歴史博物館では、いま「インターネット限定 10周年記念アンケート」を実施中!
 お答えいただくと、開催中の特別展「発掘された日本列島2010」の招待券をペアでプレゼント!!
 詳しくは、リンクしているホームページをご覧ください。
 (火曜日は休館日のため、受付しておりません)

 今回のアンケートの目玉は、過去10年間の展覧会でどれがよかったか? をお尋ねする項目。
 39の特別展が並んでいて、タイトルを見るだけでも楽しめます。

 私自身がやった特別展もあって、ちょっぴり懐かしい。
 昨日出していただいた1枚には、「18.阪神タイガース展」と「29.天璋院篤姫展」の2つにマルが…
 どちらも、私の担当した展覧会で、ステキな回答と感激!?

 学芸員も、お客さまから励ましの声をいただくと、うれしいもの。
 よい展覧会は、いっぱい誉めてやってください。
 


投扇興に挑戦!






 3連休の最終日。

 一昨日、昨日は、講演会をやりました。特に、特別展「発掘された日本列島2010」記念講演会は、桜井市教育委員会の橋本輝彦さんらによる纒向遺跡の話があり、大盛況、大好評でした(混雑してご迷惑お掛けしましたこと、お詫び申し上げます)。


投扇5


 今日は一転、趣向をかえて、優雅な遊び。
 「投扇興」です。
 “とうせんきょう”と読みます。江戸後期にはやった遊びで、まさに扇を投げて的に当て、愉しむもの。


 では、遊び方を紹介しましょう。


投扇1


 これが的です。下の台を「枕」と呼び、上にのった的を「蝶(ちょう)」と呼びます。
 投げ手は、的から1.5m離れて(当館の場合の距離です)、蝶に向かって扇を投げます。
 当たると、蝶と扇が落ちますが、その落ちた形を見て、点をつけます。
 


投扇4


 これが点数表です。


投扇2


 たとえば、こういう落ち方。これは、残念ながら、点にならない落ち方ですね(笑)
 それを「花散里(はなちるさと)」と呼びます。優雅な言い回しですねぇ。
 点のパターンには、源氏物語から名前が付けられています。
 これは「桐壺」(昨日の講演会で話があった!)



投扇7


 落ちた蝶が下で立っていて、扇は枕にのっている!
 どうやったら、こんなにできるのか? 75点です。さすが。
 ちなみに、最高は「夢浮橋」の100点。


 投扇3



 実際に、投げておられるところです。この方は、やっているうちに上手になって、3連続的中! という快挙も。
 
 私もやってみました。3回目で命中! ちょっと自慢。
 軽く、そっと投げるのがコツみたいです。
 
 意外におもしろい!
 お客さまも熱中。

 2月27日(日)にも開催します。午前10時~午後4時30分。場所は、大阪歴史博物館・常設展示場・9階。
 参加料は無料ですが、常設展示観覧券が必要です。
 「投扇点式」(点数のパターン表)も差し上げます。

 一度挑戦してみてください! とってもおもしろいです!!



同志社女子大学との歴史講座、開催しました!






 今日は3連休の中日。好天になり、4階・講堂では、同志社女子大学と共同で、歴史講座を行いました。
 タイトルは、「源氏物語の雅 なにわの華」。
 京都の大学と大阪の博物館とのコラボレーションらしいネーミングですね。



同志社女子大講座1


 大阪歴史博物館では、いろいろな団体の方々と共催で講座やイベントを実施しています。歴史のジャンルだけでなく、芸能あり、音楽あり、映画あり、とさまざま。バロック音楽のイベントさえあります。
 同女さんとの講座は3回目。京田辺のキャンパスは、大阪からもJR学研都市線で直結です。



同志社女子大講座2


 最初の講師は、同志社女子大学の吉海直人教授です。演題は、「『源氏物語』の桐壺帝後宮をめぐって」。
 お話の最初に、「伊勢物語」を例に、文学の受容に関する話をされました。「伊勢」に出てくる富士山について、それを知らない人に比叡山を20ばかり重ねたような山だ、と比喩するくだり。長崎出身の吉海先生は、比叡山を知らなかった自分などはその読者じゃないのだとおっしゃる。つまり、比叡山が見える場所に住んでいる人たちだけが「伊勢」の読者なのだ、と。もちろん、「源氏物語」も同様である、と。

 そこから考えなければならないのは、当時の読者(受容者)の“常識”ですよね。現代人の常識と当時の読者の常識とは異なるわけです。

 「源氏」の桐壺の巻について、先生は“桐壺”という用例が「源氏」以前には見出せないということから、当時の人にとっては目新しい言葉だと説かれる。
 桐壺と同じ意味の淑景舎(しげいしゃ=御所のなかの北東隅にある)の用例はあるが、実際にそこにいた女性は三条院の女御・藤原原子(定子の妹)だけである。
 つまり、桐壺と聞いて、当時の読者は、血を吐いて亡くなった原子をイメージしたのではないか、と。

 なるほど。
 ただし、先生曰く、この吉海説は、学界ではまだ受け入れられていないとのこと。
 私は国文学の専門ではないのでわかりかねますが、古典の読みは深い方が楽しいですよね!


同志社女子大講座4


 そのあと、当館の脇田修館長が、「元禄時代の大坂の町と文化」と題してお話させていただきました。


同志社女子大講座3


 それにしても、満員です。実は、別室でもモニター画面を通して、聴講している皆さんがおられるのです(ご不便お掛けしてすみませんでした)。
 人気の講座です。
 学校時代に嫌々やる勉強と違って、大人になってから自由に学ぶ学問はいいですよね。また、ご参加ください!


雪化粧した大阪城






 今日は、大阪市内でも珍しく雪が積もりました。
 これは、博物館の窓から見た景色。



歴博周辺の雪景色


 馬場町の交差点ですが、道路は積っていないものの、土の空地は積雪です。

 そして、大阪城も雪化粧しました!



雪化粧した大阪城天守閣


 これは、大阪歴史博物館のエスカレーター踊り場(9階)から撮った写真です。
 当館は、意外なことに、大阪城天守閣がキレイに見えるスポットなのです!

 今日も、大勢のお客さまが、窓から雪の天守閣を撮影されていました。

 一番高いのは10階。天守閣を真横から見るような感じで撮影できます。
 最近は、テレビ局や新聞社など、マスコミの方からも、≪大阪城撮影スポット≫として重宝されています。

 もちろん、一般のお客さまでも撮影OK。
 常設展示にご入場いただければ、この景色が見られます!

 春になると、桜の大阪城公園が見渡せて綺麗ですよ。
 カメラ持参で、ぜひ一度、体験してみてください。



職業病?






 学芸員をやっていて、“職業病”だなぁ、と思う性癖があります。
 2、3思い当たるのですが、今日はそのひとつを紹介。

 なにかというと、どこに行っても≪人の数を数えてしまう≫というもの。
 
 毎日、展覧会に何人お客さまが来て下さったかとか、講演会や見学会に何人来て下さったかとか、すごく気にしています。

 そのためか、たとえば、スポーツ観戦に行っても、スタジアムに何人入っているか、数えてしまう。
 結構、正確に数えようとするので、場合によっては、双眼鏡を使って数えてしまう。
 朝数えて、午後にまた数えてしまう。
 などなど。
 気になって仕方がない。

 継続的に数えているのが、映画館のお客さんの入りです。
 自分の観た作品に何人来ているのか、それを数える。

 今年から、新たに計測し始めたのは、その“白髪率”。
 後ろから見て、白髪頭などの数を数えるのです。
 これで、およそ40~50歳代以上の中高年の観客の割合が測定できます。

 今日は休みだったので、2本映画を観てきました。
 1つが、「冷たい熱帯魚」(園子温監督作品)。
 およそ50人の入り。平日の昼間、かつ園監督の作品としては、かなり入っていて驚き。
 そして、白髪率も約50%。予想よりも高い。園監督は、前々作の「愛のむきだし」でかなりメジャー化したのですが、どちらかというと過激な作風。「冷たい…」も、スプラッターな描写もありますから、中高年の方にこれほど支持されるとは、かなり意外です。

 そのあと観たのが、「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」(瀬田なつき監督作品)。
 お客さんは28人で、白髪は、なんと私1人! 詳しく観察したところ、私と同年輩の女性(白髪ではない)が1人いるだけで、あとはほとんど、学生など20歳代の若者でした。中高年の率は、わずか7%です。
 原作はライトノベル、主演は大政絢(20歳です)。中高年の方が観る要素は、ほとんどないのでしょうね。

 今年、白髪率が低かった作品は、「ノルウェイの森」で、約13%でした。他に米映画の「ソーシャルネットワーク」、これはフェイスブックというSNSの誕生譚なので、約15%と低いのもうなずけます。
 一方、「僕と妻の1778の物語」が約15%というのが、意外。若い夫婦(草剛・竹内結子)が主人公のせいかもしれませんが、やはり草クン人気なのでしょうか。

 近年の傾向と思いますが、若い人の観る作品と中高年の方の観る作品が割れる傾向にありますね。
 昨秋から暮れの「桜田門外ノ変」「武士の家計簿」「最後の忠臣蔵」などは、年配向きでしたしね。
 他の文化ジャンルと同じく、映画でも世代間ギャップが激しくなっているように思います。
 もちろん、博物館の展覧会でも、そのたびごとにお客さまの層が異なっていることが観察されます。

 それにしても。
 たとえば、昨年「名探偵コナン」の劇場版などを観に行くと、お客さんがほとんど高校生で、私など、最高齢です(笑)
 でも、若い人に交じって映画を観るのも、結構たのしくていいですよ。



10周年ロゴ、準備中!






 今年、大阪歴史博物館は、開館10周年。

 春からの≪10周年プロジェクト≫始動を前に、10周年ロゴマークを準備中!
 
 今日は、まだお見せできないのが残念ですが、あと10日ほどでお見せできると思います。

 当館ホームページ、そしてこのブログでも発表します。
 



パラモデル






 この前の土曜の夜なんですが…
 いつも見ているわけではないんですが、NHKの「トップランナー」を観たんです。すると、「パラモデル」が出てきました。

 パラモデル?

 現代アートなんですね。
 ふたり組のユニット。

 大阪歴史博物館の10周年イベントで、現代アートを生かして何かやってみようかと話していたところです。
 おもしろいんですよ、パラモデル。
 NHK的にいうと、“おもちゃのレール”を使って--もちろん《プラレール》ですけど--アートするんですね。

 それで、月曜の今日、職場に行ってみたら…
 同僚のYさんが、大阪市近代美術館建設準備室の展覧会「絶滅危惧・風景」(2月26日~3月21日)のチラシを渡すんですよ。
 ここにパラモデルも出品してる。

 そして、Yさんは言うのです。

  パラモデルの林さんのアトリエが、私の実家の隣なんです。

   え?
 
  実家の隣なんです。

 まあ、そう言われても…

 そんな縁なので、ちょっとパラモデルでやってみたいなぁ、変わったこと。
 頼んだらやってくれるかなぁ、パラモデル。




おおさかシネマフェスティバル(6日・表彰式)、完売御礼!






 3月5日(土)、6日(日)、大阪歴史博物館で開催される「おおさかシネマフェスティバル2011」。
 2月5日(土)からチケット前売りを開始しましたが、3月6日の《ベストテン発表&表彰式》については、即日完売となりました。
 ありがとうございました。
 また、チケット入手できなかったみなさん、申し訳ありませんでした。

 なお、3月5日(土)の前売り券は、発売中です。
 第一部 [追悼 名女優・高峰秀子]、第二部 [大阪城天守閣復興80周年記念特集]です。ぴあなどでお買い求めください。 




渋川玄耳『日本と世界見物』と文楽






 岡本一平と八千代のことを調べていたら、「渋川玄耳」という名を見つけた。おや、と思った。シブカワ・ゲンジ… そういえば、と書棚から本を取り出した。


日本と世界見物1


 渋川玄耳の著書、『藪野椋十 日本と世界見物』だ。初版は、大正6年(1917)、誠文堂刊。
 装丁も、結構イケてますね。
 
 渋川玄耳のことは、これまでよく知らなかった。今回知ったのは、この人が東京朝日新聞の社会部長であり、大正元年(1912)、岡本一平を同社に招いたということ。また、夏目漱石を招聘したのもこの人で、熊本時代から漱石の知り合いだったらしい(渋川は佐賀県の出身だった)。
 そのため、『日本と世界見物』の序文は、漱石である。内容は、「東京見物」「鎌倉見物」「京都見物」「奈良見物」と来て、ようやく「大阪見物」。そのあとは、「神戸見物」「朝鮮見物」「世界見物」と続く。915ページもある分厚い本だが、「大阪見物」は50ページ足らずである。でも、なかなかおもしろい。明治41年(1908)に書かれたものだ。
 


日本と世界見物3


 主人公の椋十先生は、心斎橋筋、道頓堀、大阪城など、大阪名所をへめぐるのだが、ここでは「文楽座」のくだりを紹介しよう。

 「文楽座に操人形を見た。
  摂津大掾といへば今日の世なら大阪府事務官とかいふものぢゃと苔野がいうた。併(しか)し府県の事務官などよりずっと此の浄瑠璃語りは貴い、日本一ぢゃもの」

 どういうことかというと、「掾(じょう)」というのは、受験で覚えた「守・介・掾・目」(かみ・すけ・じょう・さかん)という国司の四等官のことを指していて、「大掾」なら府の事務官クラスだと、ちょっとズラしてみたもの。
 この摂津大掾は、文楽太夫の竹本摂津大掾のことである。それはそれは、府の事務官より、ずっと偉いだろう。

 「好い顔ぢゃ、眉が長うて羅漢様の様、貌(かたち)からして人間離がして居る、芸はといふとちと困るが、(中略)摂津の大掾の浄瑠璃は其(自分の)心得て居る節とは全然違ふが不思議ぢゃ瞽女唄と違ふ許(ばか)りでなく、此座中の外の語り手とも違ふ、一口に言へば節といふ様なものはまづ無い、勝手に演説して居る、それで神祇釈教恋無常、喜、怒、哀、楽、愛、悪、慾、七情のつぼつぼを極めて居るから奇妙ぢゃ、」

 節はないが、喜怒哀楽などのツボを押さえた語りであると感心する。

 「芸題(げだい=外題)は何か忘れた、中途から聞いたで解らなんだが、無暗(むやみ)に人の死ぬる仕組ぢゃ、それでさア泣け泣けと責め立てる、勿論俺は泣いた。
 『苔野、お前も涙が出るか。
 『畜生、此んな脚色をしやがって、人を無理に泣かせアがる、外の人も皆泣いてまさア、泣かずに居られない様にして有るンですもの、其れにまた三味線の奴がサア泣け泣けと嗾(け)しかけるでせう、堪りませんや、」

 椋十先生も苔野クンも、ほかのお客も、泣きに泣いたというのである。


日本と世界見物2


 このときの文楽座は、御霊神社にあった。
 摂津大掾は、5年前に越路太夫から摂津大掾となり人気を博していた。しかし、この翌年(明治42年)、文楽座は経営不振によって松竹合名会社に譲渡される。摂津大掾も、大正2年(1913)に引退し、どのようにお客を集めていくのか難しい時代になっていくのである。

 このくだりを読んで驚かされるのは、お客がみんな泣いているということである。いま文楽をみると、心中ものなど悲哀に満ちた話も多いが、なかなか泣けるものではない(映画をみると、結構泣く私だが…)。やはり三百年以上たつと、社会背景も変わって共感できないのかなと思っていた。
 明治後期、百年前の大阪の人たちは、文楽に共感して泣いていた。いま、なんで泣けないのだろう… そして、泣けないということは何を意味しているのだろう… 考えさせられる話である。


 

岡本一平、富田屋・八千代に会う






 年末にしそこなった部屋の片づけを、年明けからコツコツやってきた。2月になって、ようやく“足の踏み場”くらいはできただろうか。

 山積みになった古本をぺラぺラめくっていると、目についた話題は、富田屋・八千代。大阪・南地の芸妓である。



一平全集


 それは、『一平全集』第9巻(先進社、1929年)に出てきた。一平は、漫画家・岡本一平。岡本太郎の父である。
 新聞に今ほど写真が活用される以前、漫画によるルポが盛んに行われていた。各新聞社には“お抱え漫画家”がいたが、一平は大正初年より東京朝日新聞で漫画を描いていた。探訪漫画や人物の戯画を得意とした。

 大正4年(1915)、たぶん2月のころ、岡本一平は大阪にやってきた。いま一番の名妓は誰かと聞くと、「あんた知らんか、八千代やがな」と鼻で笑われる。
 売れっ子の八千代は多忙であり、その方面に通じた△△博士に紹介状を書いてもらい、「俄大尽(にわかだいじん)」となって、なんとか富田屋に通された。
 もちろん、いきなり八千代に会えるわけもない。加えて、芸妓たちは「俄大尽」の相手をするのでもなく、延々と自分たちの会話にふけるのであった。

 「あんたの髷(まげ)、よう出来てまんなァ」
 「ををけに」

 「こんどの成駒屋はんええなァ、いきゃはったか」
 「いけへん」

 「箕面はどないやった」
 「しんどうて、しんどうて、かなわん」

 すでに5時間が経過し、夜の10時。さらに、わけのわからない身投げ話まで聞かされる始末。
 そうこうするうち、ついにその時が来る。

 「…一座の群妓、忽ち顧(ふりかえ)つて『早うおまったなァ』と一斉に叩頭(おじぎ)して見れば、襖の蔭より本ものの富田屋八千代が出現仕(ましまし)つつある」

 「名妓は、やをらわれ等に接近し始め経つる事、畳三十目にして坐った。して『おおけに』と挨拶したその声!」



一平えがく八千代


 八千代の風貌は、売れに売れていた絵葉書の写真によって、誰もが知るところだった。一平のいた東京でも、名妓として知れ渡っていた。
 一平は、こう思う。

 「画ハガキに依って期待せし八千代氏の音声(こわいろ)は、彼女の豊麗より推し、彼女の華奢より察して、少なくとも嬌音艶(なまめ)かしくも、亦(また)玉を転ばす如くあらねばならなかった」

 想像していた玉を転がすような美声…

 「然(しか)るに、畳二、三十目隔てて聴く彼女の第一声『おおけに』を聞くと、頗(すこぶ)る塩辛声である。左様さ、競売(せりうり)やが風邪を引いて引籠って居る徒然(つれづれ)に、浪花節を唸ってる時の声である」

 実際の八千代の声は、ひどい“しおから声”であった…

 これは一平だけの感想ではなく、当時、八千代の声はよくないというのが、もっぱらの評判だった。おまけに、鼻が大きい。一平だったか他の漫画家だったか、八千代の鼻をやけに誇張した似顔絵があった。
 一平は、のちに「富田屋八千代の結婚」という漫画で、八千代を妻にもらった画家・菅楯彦の美人画は、ことごとく鼻の大きな女性になるだろう、と書いたほどだ。
 加えて、背も高くない。なぜ人気があるのか。

 一平は、彼女の才女らしい能弁や、客や朋輩に対する気遣いを感じ取る。そして、絵の素養。
 絵筆をとると、南画のような線を描き始めた。それは唐の人のように見える。
 八千代いわく、

 『李白だっせ-後に瀑を描くのんと酒瓶を描くのんと知ってまんね、-ほたら、どっちにしまほ?」

 しかし一平らは、滝でもカメでもなく、「八千代」という落款を入れてもらった。
 これが、その絵。



八千代えがく李白


 絵をもらって、一平らは富田屋を辞した。
 この夜の出来事は、大正4年(1915)3月9日から20日にかけて、東京朝日新聞に連載された(「富田屋八千代を観るの記」)。
 なんとはなく、大正時代の南地の花街の雰囲気が感じ取れるルポである。

 ちなみに、岡本一平は明治19年(1886)生まれ、八千代は明治20年(1887)生まれで、1歳違いだった。

 八千代の声が、塩辛声という件だが、劇作家の食満南北(けまなんぼく)が言うように、浄瑠璃も漫才もニワカも落語も、大阪の声はすべて“にごり”に特色があるのである。
 いまでも、文楽を聴きにいくと、澄んだ声が必ずしも美しくなく、にごっていても味がある、ということがある。八千代も、人間的に味があったから、声がにごっていても、いっそう味わい深く感じられたのだろう。



 岡本一平の漫画は、たとえば、清水勲編『岡本一平漫画漫文集』(岩波文庫)などで手軽に見ることができる。また、『一平全集』も古書で安価に求めることができる。



tag : /岡本一平、富田屋・八千代に会う

戎橋の格子






 展示替の話の続きです。
 昨日紹介したコーナーの右横には、こんな資料が並んでいます。何かわかりますか?



展示替3


 これは、戎橋の高欄の金物。先年、架け替えられた戎橋には、橋の欄干に砲弾型の小窓が開いていました。そこに取り付けられていた格子がこれです(大阪市建設局蔵)。
 
 その戎橋は、大正14年(1925)に架橋されました。設計は、平松英彦・大阪市土木局。近年は、“ひっかけ橋”などと言われて親しまれていましたが、2007年に架け替えられました。

 大阪歴史博物館の7階には、この橋の高い親柱や高欄を復元しています。復元は、型取りの手法で行ったので、ほんものと瓜二つです。ただし、FRP(強化プラスチック)で出来ているので、内部は空洞ですが…
 復元したとき(2001年)には、この橋が架け替えられるとは想像もしていなかったのですが、いまとなっては貴重な復元となりました。

 建設局所蔵の貴重な設計図も展示しています。

 ちなみに、戎橋の名前の由来ですが、今宮戎神社(十日戎で著名な「えべっさん」)へお参りに行く道筋にあたっていたので、この名があるとも考えられています。
 幕末には、開国という政情をうけて、「戎」という字が外国人に対して侮蔑になるという理由で、一時、永成橋に変更されていたというのも、興味深いエピソードですね。

 



展示替、ビフォーアフター






 昨日は火曜日だったので、常設展示(7階・近現代フロア、都市の構造コーナー)の展示替をしてみました。
 この写真は、展示替前の姿。
 明治時代の大阪・千日前の興行プロデューサー、奥田弁次郎の資料でした。

 
展示替1


  そして、これが展示替後の姿。
 同僚のI学芸員が並べてくれました。
 大阪市内の「学区」(いわゆる「聯合」)の資料と、昭和初期の大阪城天守閣の復興にかかわる資料です。



展示替2


 がらっと雰囲気が変わりましたね。
 
 なかでも注目は、大阪城天守閣の復興にかかわる資料。
 現在の天守閣は、昭和6年(1931)に竣工した鉄筋コンクリート造の復元天守です。
 今年で80周年を迎えます。


展示替4


 これは、竣工記念に配られた扇。
 大阪城天守閣の建設資金は、一般市民の寄付によってまかなわれました。約7万8000にのぼる寄付者に御礼として配られたのが、この扇です。
 絵は、大阪画壇の画家、北野恒富(つねとみ、1880~1947)。
 黒田屏風に描かれた往時の天守閣のイメージをよく捉えています。

 天守閣の復興プロセスは、以下をどうぞ。 

 上記の展示に加え、天守閣と第四師団司令部のミニ写真展示も行っています。
 展示も、ぜひご覧ください!
 


 【大阪城天守閣の復興と第四師団司令部の建設】

 昭和6年(1931)、大阪城内に復興された天守閣と、陸軍の第四師団司令部庁舎が完成した。大阪城には、寛文5年(1665)の落雷炎上以来、長らく天守閣がなかったが、市民から寄付を集めて復興天守が建設された。寄付金150万円のうち、過半の80万円は師団司令部庁舎の建設に充てられた。天守閣の建設費は約47万円で、他は公園整備に用いられた。
 戦後、師団司令部の建物は、大阪市警視庁、大阪府警察本部の庁舎として使用された後、昭和35年(1960)12月1日、大阪市立博物館として再生された。その歩みは、現在の大阪歴史博物館に引き継がれ、満50歳を迎えた。
 平成23年(2011)11月7日に、大阪城天守閣は復興80年を迎え、その4日前の11月3日には大阪歴史博物館が開館10周年となる。




おおさかシネマフェスティバル、準備中!






アジアン映画祭ゼミナール風景


 一昨日の日曜日、「大阪アジアン映画祭特別連続ゼミナール」の第3回が開催されました。
 アジア映画のファンが集まり、斯界の第一人者、暉峻創三さんの熱いお話を聴く講座です。毎回、遠路お出でくださる暉峻さんも熱ければ、参加者も熱い! 岡山から来る方もいらっしゃるほどです。講座が終わっても、みなさん話し足りず、聞き足りず、毎回懇親会で議論が続くのでした。
 本番の「大阪アジアン映画祭2011」は、3月5日~15日、大阪市内(ABCホールほか)で開かれます。



アジアン映画祭ポスター


 その映画祭の1部門として行われるのが、「おおさかシネマフェスティバル2011」。毎年、大阪歴史博物館を会場に開かれています。今年は、3月5日(土)、6日(日)の2日間、行われます。

 毎回、関西の映画ファンによる「ベストテン」も選出されていて、今年の日本映画のベストは「悪人」。以下、「告白」「ゲゲゲの女房」「オカンの嫁入り」「キャタピラー」の順で、10位まで選ばれました。
 ベストテン作品のなかで、なかなかよかったのが第9位の「孤高のメス」。堤真一演じる主人公の外科医が、地方の市民病院で“孤高”に正義を貫くというストーリー。わたし的には、夏川結衣の看護師さんが、主人公と接するうちに仕事に対する責任感を芽生えさせていくプロセスが、見応えがありました。ひとりの看護師と医師との信頼の物語ですね。

 その堤真一さんが、主演男優賞に選ばれました。また、助演男優賞には、大阪でもロケした「オカンの嫁入り」で好演された桐谷健太さんが選ばれています。
 わたし的には、助演女優賞の谷村美月さんに注目です。高良健吾さんと共演した「おにいちゃんのハナビ」、涙が止まりませんでしたが、「明日やること ゴミ出し 愛想笑い 恋愛。」もおもしろかったですよ。関西では年明けに公開された「海炭市叙景」にも出演され、今年も活躍が期待されます。

 表彰式は、3月6日(日)に行われます。堤真一さんらの来場が予定されています。いまから楽しみですね!


 (受賞者の来場については現時点での予定であり、都合により変更される場合があります。受賞者によっては来場されない方もいらっしゃいます)




プロフィール

なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

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