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3月から4月へ






  3月から4月へ。
 私たち学芸員の仲間でも、異動がありますので、ご紹介します。

 【学芸課】
  井上智勝 学芸員    退職
 【企画広報課】
  宮本康治 学芸員    大阪文化財研究所 調査課へ異動

 長い間、お疲れさまでした。

 明日からは、宮本学芸員に代わり、杉本厚典学芸員が企画広報課に赴任します。
 よろしくお願い申し上げます。





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10周年バッヂ






 10周年です。

 バッヂを作ってみました。
 これは蛇の目ふう。



     10周年ロゴ2


 大阪歴史博物館のスタッフで、着用中!
 4月からも引き続き着けていますので、注目してください。

 ところで、10年前の3月31日は、今日のように好天で、すでに桜もちらほら咲いていた記憶があるのですが、やっぱり今年は遅いのですね。





多度大社で馬談議






 滋賀県東近江市と三重県いなべ市を結ぶ<石榑(いしぐれ)峠道路>が完成したという報道を見て、ちょっと行ってみるかと思い立ち、出掛けてみました。
 この峠、国道421号線で、私も以前、旧の峠を通ったことがあるのですが、峠の出入り口にコンクリートの“ゲートのようなもの”が設置されているという、大型通行不可の道でした。マニアの間では<酷道>と呼ばれていたらしい…

 ここ2年あまり、崖崩れで通行不能になっていたそうですが、新たにトンネルが開削され、先週の3月26日に開通しました。近畿地方整備局の記者発表 石榑峠道路 をご参照ください。
 実際に走ってみました。



   石ぐれトンネル


 これが、石榑トンネル入口(滋賀県側)。東近江-いなべ両市役所間が60分で結ばれるとの発表でした。実走してみると、八日市IC-いなべ市役所間が50分程度で、かなり早くなりましたね。トンネルは、片側1車線でさほど広くなく、4km余りありました。しかし、あっという間に三重県に入れて、少し驚きです。

 峠をおりて、いなべ(員弁)に入り、しばらく進むと、多度大社に至ります。多度大社 は、由緒ある式内社です。いま、御本宮は雪害による修理中ですが、周囲には巨石も見られ、背後の崖は滝になっています。最近、巨石信仰がマイブームの私とJ学芸員には好ましい御宮さんです。
 当社で有名なのは、5月に行われる<上げ馬神事>。地区から騎手を出し、馬が急坂を登攀します。


   多度大社


 写真の左端が、その坂です(見えづらくて、すみません)。最後が壁のようになっていて、一見したところ馬が上れるとも思えません。しかし、昨年も3度に1度くらい上れているようで、勢いをつけて走り込んでくると上れるようです。

 その坂の上あたりに、神馬舎があります。ここに神馬の<錦山(きんざん)>号がいます。もちろん、この馬は上げ馬神事に出る馬ではなく、多度の神様にお仕えしている馬です。


   錦山号


 芦毛で、1995年生まれ、もう16歳を迎えます。
 この錦山号の世話でご奉仕しているご婦人と、お話しました。錦山号は、北海道の馬産地・浦河の生まれ。競走馬として活躍していたらしいのですが、脚を故障したようで引退を余儀なくされたと、奥さんは語ります。そのころ、1999年なのですが、先代の18代の神馬が亡くなり、後継を選ぶことになったそうです。すぐに“この馬を”と決めるわけではなく、3頭をここに連れてきて3カ月様子を見たそうです。その結果、選ばれたのが今の錦山号で、決まってからもさらに1カ月様子を見たといいます。そして、いよいよという段になると、襲名式が行われ、お稚児さんと一緒に、お旅所から当社まで行列してくるのです。
 神馬を選ぶのも、なかなか大変です。16歳は、人間でいうと還暦くらい。もう老境です。

 この第19代錦山号のこと、調べてみました。
 競走馬時代の馬名は、エイシンオンワード。デビューは、1997年、小倉の新馬戦。緒戦(芝1000m)は惜しくも2着でした。そのあとも惜敗が続き、有名な南井克巳騎手が騎乗したこともあったようです。オープンのフェニックス賞で2着になったこともあります。念願の初勝利は、11カ月後の中京未勝利戦。18頭立てで堂々の1番人気に応えて勝ちました。その後、500万下の条件戦に出走するのですが勝つことができず、最後は障害で3走して、現役を終えたのです。最後のレースは、99年11月の淀。着順は2着でした。2年半の獲得賞金は3000万円余でした。
 神社の記録には、錦山号は1999年12月献納となっています。

 お世話する奥さんは、錦山号とちゃんとしゃべれるみたいで、仲がよさそうです。もう「きんちゃん」と呼んでいるくらいですから。
 2年に1度、名古屋競馬(地方競馬)で錦山号賞というレースがあるそうです。前回は昨秋だったのですが、奥さんは生まれて初めて競馬場に行って、勝ち馬の騎手に花束を贈呈したそうです。

 芦毛の馬は、若いころは、やや灰色ですけれど、錦山号は今はもう真白です。鼻のところに渦があるのが特徴。もう人は乗らないんですか、と聞くと、ここに来てから鞍を付けることはない、ということでした。

 100円でエサをやれるので、来る人、来る人、みんなニンジンをやるんですね。でも、一気に食べていく。還暦の割には、まだまだ健啖家です。
 
 私はこのあと、海津温泉に入り、お千代保稲荷(おちょぼさん)にお参りして、帰りました。
 最初は「遙拝」で済まそうと思っていた多度大社でしたが、立ち寄って、なんだか心がホッとしました。





大阪市中央公会堂で考えた






    中央公会堂2


 今朝は、仕事で大阪市中央公会堂へ出掛けてきました。
 約束時間より早く着いたので、正面に回ってパチリ。朝は東からの光線なので、東向きに建つ公会堂が撮りやすい。

 今日ここで思ったのは、正面玄関にある<ひさし>のこと。
 3つの入口が開いていますが、いまはその1つ1つに2枚のガラス板で構成されたひさしが取り付けられています。
 2002年の改修以前のことをご記憶の方は、ここに1枚の重厚なひさしが付いていたことを覚えておられるでしょう。そのひさしは、大正7年(1918)に竣工した公会堂の開館20周年を期に設置されたものです。昭和12年(1937)のことでした。
 先般の大改修では、ひさしが、創建当初の建築意匠をそこなうという理由で取り払われ、できるだけひさしを感じさせない改修となりました。写真を見ていただくと分かりますが、入口上部の3連アーチも見えるようになったし、円柱により構成されるオーダーの様子も明瞭になりました。ひさしがなかった大正時代の雰囲気に近づいています。


中央公会堂1


 私がいつも思うのは、建築を改修する際、創建当初の状態に戻すことがどういう意味を持つのか、ということです。
 建物は、建築家(設計者)にとっては、設計し、竣工したときがベストの姿かも知れません。一方、使っている人たちにとっては、日々手を加えて改修をしたりしながら<つくりあげて>きた姿の方に愛着があるのかも知れません。このせめぎ合いがあるように思うのです。
 私は、自分が建築家でなく使う側だからでしょうか、当初の形に戻すという思考に、いつも違和感を持ってしまうのです。

 中央公会堂の重いひさしも、なかなか重厚でよかった、と思います。そこに、20周年を記念して、利用者に役立つ立派なものを付け加えようとした昭和初期の人たちの意気を感じるのです。そんな気持ちを大事にしたい。そのために、あのひさしが残っていたらなぁと、思ってしまうのでした。

 ちなみに、20周年の記念式典は、昭和12年(1937)11月17日に挙行されました。亡くなった岩本栄之助氏の夫人をはじめ遺族が招待され、記念品として公会堂をかたどった青銅製置物などが贈られました。このときは、大集会室の緞帳も、化粧品メーカー・中山太陽堂の寄付により新調されたということです。 




海老づくりワークショップ、開催します!






 大阪歴史博物館で、4月13日(水)から開催される特別展「幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸」にあわせて、金属工芸の雰囲気が味わえる≪海老づくり≫のワークショップを開きます。

 申込方法などは、なにわ歴博ホームページ を!

 さて、先日、当館スタッフで試作してみました。
 まず、型紙にあわせて、アルミの薄板を切り抜きます。


 海老づくり1


 海老づくり2


 こんなふうに抜けます。
 それを割りピンなどでつないでいきます。


 海老づくり3


 胴が出来ました。

 そして、一番細かい脚をつけます。針金で取り付けるので、かなり神経質になりそう!


 海老づくり5


 できあがり!


 海老づくり4


 かなりリアルで、胴体や脚などが動きます。インテリアに最適!

 4月24日(日)と、5月5日(木・祝)に開催!
 参加は、こどもさんと保護者のペアで、どうぞ。




田園風景の中に懐かしいものを見た






 のどかな昼下がり、ぶらぶら歩いていると、こんなものが…


  風景1


 この小山のようなもの、何かわかりますか?
 私は、久しぶりに見た気がする。これをわかる人は、ある程度の年齢以上で、“田園風景”の広がる環境で育った人ですね。私も、その一人です。

 わからない方のために、少し背景の入ったカットで。



  風景2


 背後に、まだ何も植わっていない畑がありますね。あそこに使うものです。
 大阪の街中などでは、おそらく絶対に見かけないものでしょう。だから、都会育ちの方は見た記憶がないのでは。


 答えは、<堆肥>(たいひ)です。
 畑に使う肥料ですね。
 写真に写っているものは、ワラを中心に積み上げたものです。私のコドモの頃は、ワラと牛のフンを混ぜたものでした。結構においますよ(笑)
 冬の田んぼで遊んでいて、この堆肥に足を突っ込んでしまったり、友達を押したり(笑)、まあ決してキレイじゃありませんね。小学校時代の話です。

 私は、都市郊外の“田園地帯”で育ったのですが、昭和40年代は近所の農家にまだ牛がいました。おじいさんが牛を曳いて歩いていたものです。そのフンが、堆肥に使われたのですね。

 いろいろと記憶が蘇ってきたのですが、そういえば<肥だめ>もあったのです。久々に「のつぼ」という言葉を思い出しました。私たちは、肥だめを「のつぼ、のつぼ」と言っていたのです。今日まで意識していませんでしたが、漢字をあてると「野壺」なのだそうです。
 この「のつぼ」=肥だめは、人糞尿を掘った穴に溜めておくものです。
 だいたいフタがしてあるのですが、なんだかワラみたいなのが被せてあったりして、わかりづらく、ここにはまる!ケースも…
 私は、はまったことはないのですが(笑)、あぶなかったケースは何度もありました。
 農家の人は、これを長~いヒシャクでまくのです。30~40年前の話です。

 化学肥料が主流になり、このような有機肥料はあまり見られなくなりました。
 日本史の教科書には、干鰯とか金肥とか、肥料に関する語がたくさん出てきます。それだけ、農業の発達においてはキーポイントだったのですね。

 最後に、お口直し的にキレイな写真を。


  菜の花


 菜の花です。

 でも、この美しい植物からも<油粕>(あぶらかす)という肥料が取れるのですねぇ…






春の足音






 3月もあと5日というのに、まだまだ肌寒い日がつづきますね。今日も思わず襟巻をしてしまいました。


   賀茂川


 これは、京都の賀茂川。浅く穏やかな流れと、遠くに北山のなだらかな山並みが控えています。
 ちょっと手が写っているのが邪魔ですが(スミマセン)。

 そして、こんなカットも!

   桜


 サクラです。もう咲いてる! それも満開!!

 少しずつですが、春の足音が聞こえてきます。






<抜きたがね>工場に行く






 今日は市内にある<抜きたがね>工場に行ってきました。
 そこで製造された<抜きたがね>の実物をご寄贈いただいたのです。



  抜きたがね3


 これが抜きたがね。“型抜き”をする道具です。
 みなさんが、台所でニンジンなんかをくり抜くときに使う道具の工場版ですね。
 革・布・紙・ゴム・薄いプラスチックまで、なんでも抜けます。


  抜きたがね1


 この工場では、抜きたがねを作るとともに、型抜きをする作業もやっておられます。
 写真は、抜く作業の実演中。プレス機を使って、抜いていきます。
 試しですので、段ボールを抜いてもらっています。

 たとえば、布などを重ねて抜くと、一気に5枚から10枚くらい抜けるわけです。
 同じ形のものを大量に作れるのが特徴です。

 今日いただいたのは、ベルトの先の革を抜くものとか、こども玩具の部品を抜くものとか、いろいろ。

 抜きたがねは鋼で出来ていますから、製造は鍛冶屋(かじや)などでみられる鍛造の作業になります。


  抜きたがね2


 鋼をたたいて形を作るのですが、熱する必要があるので炉があります。
 形が出来ると、最後にヤスリがけをして刃を付けます。<抜きたがね>という名称のほかに、<抜き刃型>という呼び名もあるようです。

 大阪歴史博物館の常設展示・7階(近現代フロア)には、実は<抜きたがね>を作る町工場を復元しています。
 今回の寄贈も、このKさんが展示を見てくださり、“うちもやってるよ”と連絡してくださったのが、きっかけです。

 生きた工場の様子が見られて、大いに勉強になりした。





ありふれた話を…






 ある企業のPR誌を眺めていたら、歌手の石川さゆりさんが登場。

 私にとって石川さゆりとは、「津軽海峡・冬景色」「天城越え」という素晴らしい楽曲を持ったシンガー。とくに「天城越え」は大好きです。
 
 ここ何年か、洋酒のCMでよく耳にした「ウイスキーが、お好きでしょ」。実は20年も前の曲だけれど、胸に沁みますね。

 その詞にある、ありふれた話でいいから、もう少ししゃべりましょ、というシチュエーション。

 
 いつからしていないのか、ありふれた話を、ゆっくりしゃべることを。

 そんな話でいい、というときもある。

 ありふれた話を、それでいいと言ってくれる相手と、ゆっくり話したい。





『大阪の問題集』、刊行されました






 大阪歴史博物館も協力している<なにわなんでも大阪検定>。
 昨年(第2回)の問題を収録した『第2回 大阪の問題集』が刊行されました!



  大阪の問題集


 この問題集、出題された全295問を完全収録し、加えて詳細な解説が付いています。
 内輪話になりますが、この解説づくりが大変なのですね。なにせ大阪検定は、大阪ことば、大阪の歴史から、現代のスポーツ、芸能まで、多岐にわたって出題されます。それをすべてカバーするのは至難の業です。それをおして編集、発行された『大阪の問題集』。



  大阪の問題集・なかみ  右ページには、「世界の国からこんにちは」の出題が…


 図版も多数収録され、原則、1問1ページの読みやすい構成になっています。昨年出版された第1回の問題集とあわせて、大阪検定の受験資料として最適なものです。

 今回の問題から、いくつかご紹介!(問題文は一部短縮等しています)。

≪3級≫
■四天王寺は聖徳太子が創建したと伝えられています。今も多くの参詣者が訪れることで知られる、聖徳太子の月命日は何日でしょう?
 ①11日  ②12日  ③21日  ④22日 

■次の人気グループのメンバーのうち、大阪府出身の人物は誰でしょう?
 ①SMAPの中居正広  ②V6の岡田准一  ③嵐の松本潤  ④KAT=TUNの亀梨和也

≪2級≫
■江戸時代、大阪には幕府が管理する公儀橋が12ありました。このうち、大阪城の外堀として開削された東横堀には公儀橋が3つありました。現在も東横堀川に架かる以下の4つの橋のうち、公儀橋でなかったのはどれでしょう?
 ①高麗橋  ②大手橋  ③本町橋  ④農人橋

■小説家の織田作之助は、出身地である大阪を舞台とした庶民の生活を描く作品を数多く残しています。次の小説のうち織田作之助の作品はどれでしょう?
 ①木の都  ②卍  ③ぼんち  ④上方武士道

≪1級≫
■「日本書紀」によると、5世紀中ごろに現在の住之江区の浜口交差点付近に上陸した外国使節は、ある道を通って奈良に向かったと考えられています。現在の長居公園通にほぼ重なると考えられている道とは次のうちどれでしょう?
 ①大津道  ②丹比道  ③磯歯津路  ④難波大道

■大阪市西区川口界隈は、外国人居留地として定められ、街路樹や街灯、洋館が並ぶ西洋の街へと整備され賑わいました。次のうち、川口の外国人居留地発祥でない学校はどれでしょう?
 ①桃山学院  ②プール学院  ③大阪信愛女学院  ④大阪学院

■1885年、今井佐次平が初めて種子六合を取り寄せ、その後、息子の今井伊太郎が栽培を始め、品種改良を重ねた結果、大阪の代表的な農産品となったものは何でしょう?
 ①水なす  ②玉ねぎ  ③みかん  ④大根

 わかりましたか?

 なかなか、むずかしい問題ぞろいですね。それだけ勉強し、チャレンジする値打ちがあるといえるかも。
 答えは、『問題集』でご確認ください。





煙突の絵葉書を送ってくれた






     生産の大阪えはがき


 仕事関係の方から、こんな絵葉書で便りをもらいました。文面は、もちろん裏です。

 この絵葉書、「生産の大阪」というシリーズで、昭和初期くらいの大阪の産業シーンを扱ったものです。たしか、大阪歴史博物館の所蔵品にもあったはず。なかなか渋いんですよ、工場の写真が多いのですが…

 でも、よく見ると、この絵葉書、本物ではなく複製です。どうも市販されているようで、<「大大阪」絵はがき集>とある。興味のある方は、調べてみてください。

 ちなみに、写っているのは春日出発電所(此花区)。その煙突は、通称<八本煙突>として知られていました。見る角度により、重なって本数が違って見えるため、<おばけ煙突>とも言われました。
 絵葉書には、「濛煙天に冲する春日出発電所の偉観」とあります。戦前っぽい表現です。

 現代の視点で見ると<大気汚染>ですが、当時としては<煙の都>の景観として誇らしい部分があったのです(もちろん100%そうではないにせよ)。だから、絵葉書にも選ばれたのですね。

 当館所蔵の絵葉書も紹介してみたいと思いますが、今日は「借り物」で。
 送ってくれたMさん、ありがとう!





江戸東京博物館との共同研究会






 今日は、毎年恒例の江戸東京博物館との共同研究会を開催しました。会場は、大阪歴史博物館。
 一昨年、昨年につづき3回目です。

 本日は、地震で大変なところ、江戸博から都市歴史研究室の行吉正一さんにおいでいただきました。
 今回のテーマは、「塔」。



   喜多川コレクション報告書


 行吉さんは、昨年、江戸博の調査報告書『喜多川周之コレクション』を編集、刊行されました。
 喜多川周之(きたがわ・ちかし)氏は、浅草の十二階(凌雲閣)という塔を中心としたコレクターでした。
 本日のご報告も、「喜多川周之コレクションから見た、盛り場浅草の塔『凌雲閣』浅草十二階」です。喜多川氏のコレクションは、さすがに貴重な写真や絵画が満載です。
 東京・下町随一の繁華街である浅草。その六区の北辺に建った十二階。明治23年(1890)のことです。当時の賑わった浅草の雰囲気に思いをはせながら、そこに屹立した十二階が彷彿とイメージされました。
 人気が落ち目になった十二階が取った方策が、「百美人投票」。美人コンテストですね。大成功したそうで、なんだかおかしい。

 一方、当館からは船越幹央学芸員が、「大阪における明治20年代の展望所を持つ施設について」を報告しました。
 明治21年、22年(1888~89)に造られた眺望閣「五階」や、凌雲閣「九階」、そして浪花富士山などについてです。

 東西の「塔」を比較して、面白い点が見えてきました。東京の十二階は、浅草という繁華街にあったため、ほぼ単体で建っていた。ところが、大阪の五階や九階は、その足元に遊園をもち、料理を食べたり温泉に入ったり遊戯をしたりできた。アミューズメントセンターですが、これが大阪の特徴です。

 いまひとつは、大阪の展望所は、市街地の外れにあったこと。五階(難波の南)にしろ、九階(梅田の北東)にしろ、少しさびしかったところですね。

 そして、最大の気付きは、五階や九階からは、文明開化の象徴“鉄道”が見下ろせること!
 五階からは南海鉄道が、九階からは官営鉄道が見下ろせます。どちらも、難波駅、大阪駅の近くです。高さは、30m~40m程度ですから、ちょうどよい高さだったのでは。
 展望台というと、遠くを見渡すことばかり考えていたけど、真下を見下ろすのもアリですよね。

 さらに、「塔」の概念についても検討。「閣」「楼」「櫓」など類語は多数ありますが、明治の資料では、大阪も東京も「塔」はあまり使わない。大阪では、第五回内国勧業博覧会(1903年)の「大林高塔」が思いつくくらい。
 日本人はいつから、(宗教での塔とは異なる)世俗的な意味で「塔」の語を使い始めたのか?
 大阪で九階などができた1889年は、パリにエッフェル塔が建った年です。浅草の十二階はエッフェル塔に刺激を受けたというのが喜多川氏の説だそうですが、いつからエッフェル“塔”と訳したのかも、気にかかります。

 そんなわけで、あっという間に3時間が過ぎ、楽しい研究会になりました。

 行吉さん、遠路ありがとうございました。
 また、来年も楽しみです!
 




震災が遠隔地のミュージアムにも影響を与える






 震災の影響は、博物館・美術館の世界にも広がっています。

 直接被災された館園はもちろんですが、遠く離れた地域の館にも影響が出ているのです。

 来月から広島県立美術館で開催される予定だった特別展「印象派の誕生」が、急遽中止になりました。
 フランス政府が、原発事故への懸念から、日本への美術品の貸出を中止したためです。


     広島県立美術館の情報はこちら 


 対応に追われる美術館のみなさん、関係者のみなさんは、さぞかし大変だろうと思います。

 海外ニュースを見ていると、原発事故に対して過大な不安が抱かれているように感じます。
 日本の博物館・美術館で行われる展覧会に、海外展の割合が高いのは周知の通りです。広島の場合、出品作品の60%がフランスの作品だったため、展覧会の構成が難しくなり、中止に至ったそうです。
 この展覧会は、西日本で他館にも巡回される予定だったので、そちらにも影響が出ることになります。

 この地震との関係は、はっきりしないのですが、今日当館で話していたのは、<海外からのお客さまが少なかった>ということ。いつもは多い韓国からのお客さまが数名だったといいます。

 海外からの出品問題は、かなり懸念しています。
 被災地が大変なのはもちろんですが、これから時間が経つにつれ、それ以外の地域でもさまざまな影響が出てくることを心配しています。   





<展望所>のつづきです






 昨日も調べていた明治の大阪の<展望所>。

 今日は、新聞記事からひとつ紹介。
 明治12年(1879)8月16日付の大阪朝日新聞より。(読みやすいように、漢字や句読点は変更しています)


 富士山現ハれ出で、琵琶湖湧き出づといへバ、みなさんびっくりなさるだらうが、この頃その形の現ハれしハ幸町の魚藤が発起にて、這回該町の裏畑を五百坪ばかり譲り受け、高く富士山を築成し、深く琵琶湖(二百坪)を掘り開き、中に活発なるコイ公を養ひ、来客のもとめに応じ、海女をして躍り一躍、水に入らしめ、池底に相□逐せしめ、以て客心を喜バしむべし
  (中略)
 右ハ、一昨日より開業したれバ、南陽の月にうそぶきし人は必ず一着を試み給へ。


 要は、「魚藤」という料亭が、近所の土地500坪(1650平米)を借りて、富士山みたいな小山を造ったり、琵琶湖の形をした池を掘ったりした。池にはコイを飼ったり、海女を潜らせたりした--というもの。
 幸町(さいわいちょう)は、いまの大阪市浪速区です。
 
 大阪では、明治22年(1889)にできた人造富士<浪花富士山>が有名なのですが、それより10年も前に、こんなのを造っていた人がいたとは!

 いろんなことを考え、実行する人がいるものです。




明治時代の<展望所>を調べる






   土佐堀川


 三連休ですが、仕事です。博物館に出る前、大阪府立中之島図書館へ行ってきました。


   府立中之島図書館


 ここは建物が立派で、“知の殿堂”っていう感じですね。
 
 今日の調べ物は、明治時代の<展望所>について。まあ、<塔>のようなものです。
 来週、大阪歴史博物館で、江戸東京博物館の学芸員さんと、共同研究会があるのです。そこで、このテーマを報告します。

 新聞を調べました。今日は、大阪朝日新聞、いわゆる「大朝」。マイクロリーダーで新聞を閲覧すると“酔って”しまうこともしばしばでしたが、朝日は“聞蔵”というコンピュータで閲覧できるデータベースがあるので、酔いません。おまけに、範囲指定の拡大プリントアウトもできるので、便利です。



   眺望閣の新聞記事


 ここに広げているコピーは、俗に「五階」といわれた<眺望閣>の新聞広告です。明治21年のもの。眺望閣は写真も残っていますが、この絵は少し高く誇張されていますね(笑)
 いまの南海難波駅から南へ行ったところにありました。

 これに対して、キタには「九階」というのが建てられました。みんな対抗しますからね。
 

  凌雲閣 宇田川文海『大阪繁昌誌』下(大阪歴史博物館蔵)より


 こちらは梅田で、阪急梅田駅の東の方(茶屋町あたり)になります。

 今日は、こんな感じで、図書館で新聞記事を調べ、館に帰ってから、昔のガイドブックや地図などに当たり、五階や九階やその他の展望所が出て来ないかを調べたのでした。

 つづきの調査は、また明日です。
 




震災の義捐金






 大阪歴史博物館でも、震災救援のための義捐金を募っています。



    募金箱1



 ご協力、よろしくお願い致します。



    募金箱2





坂口安吾が見た大阪






 今日は、坂口安吾の書いたものを手に取りたくなって、手近にあったちくま文庫の全集を見た。
 戦後、昭和26年(1951)、大阪にやってきた安吾は、見たままの大阪を辛辣な筆で切っている。そこで、なるほどと思わされたのが、競輪場での話だ。

 
 私はひところ競輪に凝って、各地の資料や雑誌や、選手名鑑などを取り寄せて熟読ガンミしたことがある。東京の競輪雑誌は誤植がひどい。一頁にいくつあるか見当がつかないくらい多い。一秒の十分の一という微細な数字が資料の基本となるのだから、誤植だらけの競輪雑誌などは意味をなさないのである。
  (中略)
 関西の雑誌や名鑑はこうではない。私の見たのは競輪ダービーという雑誌であるが、誤植などは殆ど見ることができないし、各人の実力の比較なども一応人が納得できるだけの資料と方法をつくしている。全国に支部があって、各地の競輪の着順やタイムのみではなく、レースの実際を各支部から報告させて表面の記録だけでは分らないことを載せている。そして月々の全国のレースの結果は殆ど全部あつめている。これ以上のぞめない程度の実質の粋をほぼつくしている。レースは水ものだから、こうしても正確は期しがたいが、予想の資料としてはほぼ手のつくしうるところまでの努力をつくした感が多分である。
 ここが大阪のよいところだ。実質的で、お体裁のところがない。 (中略) 損をしても諦めやすい東京人とちがって、大阪人は競輪雑誌や名鑑を基に車券を買って損をした場合にはカンカンに立腹してネジこみもするかも知れんし、第一、二度と同じ雑誌を買わないだろう。大阪人は案外物分りがいいから、賭け事の予想に絶対正確をもとめるようなヤボなところはないようだが、一応手をつくした努力の跡が見えて一応は理に合った実質がそなわらないと商品として通用できないようなところがあるようだ。
 この実質精神や合理精神は大阪の長所であろう。誤植だらけの競輪雑誌が通用するような庶民精神の存在は賀すべきではない。
     (「道頓堀罷り通る」1951年、『坂口安吾全集18』(ちくま文庫)所収)

 どうだろうか。東西の競輪雑誌に対する<厳しさ>の違い。安吾は、「庶民精神」が非常に発揮される領域で、それを観察する。

 私も、この大阪人の健全さを喜ぶものである。近頃、人が優しくなって、「誤植の1コくらい、まあエエやん」となりそうだが、やはりそれは違う。
 その一方で、「大阪人は案外物分りがいいから、賭け事の予想に絶対正確をもとめるようなヤボなところはない」。
 この<寛容さ>。

 大阪の人のいいところは、この<厳格と寛容>のうまいバランスにあったはずだ。ひとりの人のなかにも、世間のなかにも。
 
 安吾が書いてから、ちょうど60年。
 最近はどうかなぁ、と考えてしまう。
 んー、“誤植には寛大だけれど、予想の間違いには厳しい”みたいに、厳格にすべきところと寛容にすべきところが逆転しているんと違うかなぁ?




『大阪市の歴史』をひもとく






 水曜木曜と休みなので、少し夜型の生活です。今晩は、必要があって、大阪市史編纂所編『大阪市の歴史』をひもといていました。


     大阪市の歴史


 大阪の歴史を学ぶ際には、同所が編纂した『新修大阪市史』を参照することが多くなります。しかし、本文編10巻ある『新修大阪市史』を通読することは、現実的ではありません。
 そこで、通して読める市史として本書が書かれたのです。

 1999年4月の刊行。巻末の年表の最後の年には、「10月28日 此花区でユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の起工式が行われる」などとあって、時代を感じさせます。
 序文は、当時の市長・磯村隆文さんが書いています。この方もすでに故人となり、推進されていた「国際集客都市」構想に関することが終章に取り上げられています。
 たしか、2008年の五輪誘致をさかんにやっていた頃ですよね。そのオリンピックも結局大阪でなく北京で開催されました。
 そのころから博物館に勤めていた私には、なんだか妙にナツカシイ。

 『大阪市の歴史』は、旧石器時代から花と緑の博覧会にいたる時代順に書かれています。いわゆる<通史>というスタイルです。
 歴史研究者の究極の目標のひとつが、通史を書くことかもしれません。本書を久しぶりに手に取ったのですが、要点を的確に押さえながら、詳細な事実にも言及しつつ、まことに適切に叙述されている。実際に本書を執筆されたのは、市史編纂所長の堀田暁生さんですが、さぞかし大変な仕事だったろうと、改めて感じています。

 今年も7月に、大阪歴史博物館も協力している第3回≪なにわなんでも大阪検定≫が実施されますが、受験される方は 『大阪市の歴史』 を繙読されると、大阪の歴史のアウトラインがすっきりと描け、役立つこと請け合いです。 






大阪市電の停留所名標を見てきました






 大阪歴史博物館には、8階に特集展示室があります。
 ここでは、1~2カ月ごとに“ミニ企画展”を開催しています。

 4月に入ると、4月6日(水)から、「上方舞・山村流」を開催。そして、5月25日(水)からは、「懐かしい市電とバスのある風景」を開催します。

 すでに「市電とバス」展の準備を進めています。市内の所蔵者から、市電の停留所にあった停留所名標があるということで、見に行ってきました。



       電停看板


 大阪市浪速区にあった電停「幸町(さいわいちょう)四丁目」。大正橋東詰から千日前通を少し東へ行ったところ、いまのバス停「幸町三丁目」の位置にあった停留所です。
 そこにかかっていた停留所名の標示板です。
 やっぱり実物資料はリアルですね。市電廃止にともなって、はずされたものです。

 この資料は、博物館にご寄贈いただき、「市電とバス」展に陳列する予定です。
 40年以上の時を経て、ふたたびお目見えします。





関東の博物館から






 今朝、仕事で関係のある関東の博物館の方から電話がかかってきました。来週に計画していた仕事は、予定通り行えるということでしたが、博物館は休館されているということです。
 設備関係の点検などが必要で、開館までに1週間あまり時間を要するとおっしゃっていました。近々はじまる特別展があったのですが、開催時期が延期になっているようです。たいへんな状況、お察しします。
 東日本の博物館施設では大きな被害が出ており、同じ仕事をするものとして、とても心配しています。

 









 東北地方を中心に大きな地震が起き、甚大な被害が出ています。
 大阪でも、歴史上さまざまな災害があり、約150年前の嘉永7年(1854、安政元年に改元)には、2度にわたる地震と大津波があり、尊い人命が失われました。その経験は、石碑として今日に伝えられています。
 被災されたみなさま、関係者のみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。
 
 





「数」の前に立ち尽くす学芸員(3)






 先日、当館の催しにも来館いただいた映画監督・大森一樹さんが、新聞のインタビューで、このように述べています(日本経済新聞、2011年3月5日付夕刊)。


 あいまいさの時代というのかな。すべてがあいまいになった。価値観もあいまい。プロなのかどうかもあいまい。病んでいるのか、いないのかもあいまい。
 数字だけがあいまいでない。はっきりしていて、みんなで話せる。だから何でも数字で語ろうとする。例えば内閣支持率という数字。いつからこんなに執着しだしたのか。31%とか26%とか言っても、僕はどっちもダメじゃないかと思う。5ポイントの差にどんな意味があるのだろう。
 映画だっていろんな価値の映画があるのに、興行収入が20億円いったとか、10億円いかなかったとかいうことでしか語られない。中身の話はなんにもしない。あるいはこの映画は土日は数字が上がるから、これから上向くとか。それは分析でしかないのに、それで映画を語った気になっている。どこかで深く考えることを拒否している。
 (中略)
 中身について最後にジャッジするプロデューサーがいなくなった。じゃあ監督が決めていいんですねと聞くと、それはいけないと言う。じゃあ誰が決めるんですかと聞くと、ちょっと待ってくれと言う。(複数の出資者による製作委員会方式なので)何かそういう意見が出ましたと伝えに来るだけ。その意見には従わなくてはいけないのかと聞くと、いやまあそういう意見もあった、みたいな。変なことになっている。


 大森監督の言うこと、なかなかおもしろいですね。あるある、という感じではないでしょうか。
 いつも言うのですが、「5よりも10の方が多いことは、誰でもわかる」。場合によっては、そういう話も必要ですが、すべてがそれでは淋しい。
 監督が指摘するような「中身の話はなんにもしない」という傾向は、強まっていますね。
 これは、最近ひろく行われている博物館“評価”ともかかわってきます。

 3年前に博物館法が改正されて、評価を行う努力義務が生じてきました(同法第9条)。例えば、日本博物館協会は≪自己点検システム≫というものを作っています。8つの領域に分け、110の項目をチェックすると、その博物館の自己点検ができるようになっています。
 例えば、項目は、≪館の使命(設置目的や基本理念)をわかりやすい言葉で明文化している≫、≪館のホームページを開設し,掲載内容を適時・適切に更新できる体制をとっている≫、≪常勤の学芸員が配置されている≫、≪博物館実習の実習生を受け入れている≫、≪総合的有害生物管理(IPM)の考え方に基づき,日常的に虫菌害の予防措置をとっている≫、≪利用実態に応じて開館時間を延長したり夜間開館を行ったり,開館時間の設定の見直しを行っている≫といったふうで、これが110項目ある。
 結果は、領域ごとに10点満点に直され、レーダーチャートで他館の平均値と比較できます。

 内容は、日本博物館協会のホームページでご覧いただくとして、項目は百以上あるだけに、かなり網羅的です。
 1つ1つ見ると、確かに“そうだなぁ”という「あって然るべき」項目が並んでいます。でも、なにか根本的に違うというか、違和感がある。
 ここで言われていることは、大森監督のいう「中身」じゃなくて「外身」の事柄なのですね。例えば、≪館長の身分は、常勤である≫という項目があります。それは、非常勤より常勤がいいに決まっていますが、これは外身の話であって、その館長サンがどんな博物館哲学や歴史観の持ち主なのか、どういう実行力を持っているのか、どんな経歴や人脈があるのか、そういった中身が大切なんじゃないんだろうか。もちろん、この点検をやってもいいのだけれど(べつに否定しているわけではありません)、問題はその先、というか、そことは違ったところにあるのではないかと思うのです。

 博物館の「評価」と言われるわけですが、「評価」よりも「批評」(レヴュー)が必要なのではないでしょうか。そこでイメージするのは、かなり個人的な価値観に基づく考えが述べられる、というものです。
 批評は、あらかじめ定められた指標があって、それを満たしているか(あるいは、どの程度達成できているか)ということを判断するのではありません。むしろ、指標そのものをオリジナルに考える営みといえるでしょう。
 展覧会を例にとれば、あらかじめ展覧会を開催する事業目的(ねらい)があると考え、それに対して、どのくらい到達できたかを判断する、ということではありません。実際、展覧会をやってみるとわかるのですが、展示を作っていく過程で、当初は予想もしなかった気付きがあったり、あるいは観覧者が見るという行為のなかで展示者が想像もしなかった“発見”が生まれたりするのです。博物館の事業が文化的な営みであるならば、そのような意外性、創造性が生まれます。
 評価でなく批評を行うことで、新たな価値が見出される、あるいは創造される可能性があり、それをベースにして、また先へ進んでいく。それが愉快なのではないでしょうか。

  (この項、つづく)





大河ドラマ「江」でわく長浜へ行ってきた






 湖北の長浜に行ってきました。

 米原駅から見える某工場に、デジタル温度計が設置されていますが、朝10時で4℃。長浜も寒かった。

 でも、街の中心部には観光客で熱気が! 平日のせいか、年配の方がほとんどで、グループ客、団体客も多い。
 もちろん、お目当ては、こちら。



   江のぼり


 この少女漫画風の三姉妹のイラストが、街の至るところに見られます。私の疑問は、このイラスト、だれが描いたのか? ということ。でも、ちょっと調べたくらいではわかりませんでした。
 そして、まんじゅうとかお酒とか、なんでも江姫。「お江うどん」なんていうのもある…

 当方も花より団子のクチで、昼間から≪長浜浪漫ビール≫を飲みに行ってしまいました。

 ところが、それでも学芸員というべきか、敷き紙に描かれていたマップを眺めていると、浪漫ビールのすぐ東に「下郷家」というお屋敷が描いてある。すぐに、“下郷コレクション”の下郷家とわかりました。当主は代々、下郷傳平を名乗っています。お屋敷を訪ねてみると、外壁の工事中でした(ので写真なしです)。

 下郷コレクションとは、大阪歴史博物館の縄文時代資料コレクションです。もとは東京の高島多米治氏が収集した資料群で、下郷氏が引き継いだものです。かつては、長浜駅前にあったミュージアム「鍾秀館」に展示されていたと思われます。それがときを経て、大阪に回ってきたのです。



   鍾秀館

 
 旧鍾秀館の建物です。鉄筋コンクリート3階建、2代傳平時代の大正10年(1921)竣工。下郷家は長浜有数の豪商でしたが、地域の文化・福祉への貢献にも努め、明治36年(1903)に下郷共済会を設立しました。同会は『石之長者 木内石亭全集』を刊行したことでも知られています。


   黒壁スクエアのガラス玉 黒壁スクエア

 長浜は、意外に骨董を置いている店が多くて、ちょっと古めの皿とか猪口とか、塗りの御膳とか、いろいろあっておもしろかったです。わたし的には、除隊記念の盃が500円くらいでたくさん売っていたのと、個人的に使えそうな錦手の皿がお手頃価格で売られていたのがうれしかった。

 ともあれ、歴史ファンのみなさんは、一度訪ねられるといいですね。





10周年ロゴマーク、できました!






 大阪歴史博物館の10周年ロゴマークができました!


     10周年ロゴ


 カラーバージョンも用意しています。詳しくは、ホームページで。

   10周年のごあいさつ


 現在使用している当館シンボルマーク(建物をモチーフにしています)を基調に、10周年の感謝の気持ちを表現しました!

 「ありがとう10周年です」という言い回しは、どこかで聞いたような、聞かないような…

 それはともかく、大阪歴史博物館は、今年の11月3日に満10歳になります。

 2001年といえば。
 大阪にUSJオープン。小泉首相就任。米国・同時多発テロ。
 いろいろありました。

 いま、CMをやっていますが、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンも、今年で10周年なのです。
 今日、初めて気付いたのですが、USJが開業した2001年3月31日、その日は、私が勤めていた大阪市立博物館が閉館した日なのです。
 その日、私は休みだったけれど、午後から博物館に向かって、閉館を見届けたのでした。

 当時、すでに新しい博物館の建設準備室があって、市立博物館の仕事と兼務していたのです。
 あれから、もう10年ですか。早いものです。 

 ちょっとセンチメンタル・モードでしたが、今年は10周年にふさわしい催しを行っていきます。
 大阪歴史博物館の展開に、ぜひご注目ください!

 

「絶滅危惧・風景」を見た







     絶滅危惧風景


 大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室で、≪絶滅危惧・風景≫という展覧会が開催されています。3月21日(月・祝)まで。

 これが、なかなかおもしろい。

 西尾美也の作品。
 新世界界隈の、過去の写真にうつった人たちを、いま、レプリカ的につくった当時そのままの衣服を着せて、写真に撮る。過去には小学生だった人が、いまは、ええ歳のおじさん、おばさんになっているのに、コドモ服を着ている。えもいわれぬ雰囲気を醸し出しています。
 
 過去と現在の2枚の写真を見比べならが、人間の脚の形って何十年たっても変わらへんなぁ、と妙なところに感心してしまう…

 でも、さらに衝撃的なのは、下道基行の作品。
 筆で習字した文字が何十枚と天上から吊るされている。そこには、秋葉さんというおじいさんの書いた8文字熟語が記されている(実物はタテ書2行)。

   粒々辛苦 克剋勉励

   人生航路 順風満帆

 などという、人生観を示すものもあれば、 

   政党重視 国益放置

   乱立小党 意味不明

 などという、政治風刺もある。
 野球がお好きらしく、

   投手好球 打者必打

   球団魅力 経営秘訣

 などのフレーズも。
 上海万博もので、

   日中友好 河内音頭

   上海万博 菊水丸

 とかもある。

 でも、意味不明のものも多くて、

   聖徳太子 厩戸王子

 とか、

   三輪素麺 揖保乃糸

 なんてのもある。

 おかしくて、吹き出しながら見ていました。
 ちなみに、習字はチラシの裏面に書かれていて、裏にまわると、ずらっとパチンコのチラシになる…
 竹内力が…

 
 そのほか、トーチカの「ピカピカinナニワ」、ビデオがおもしろい。
 パラモデル、藤浩志の作品も出ています。

 これら、ブレーカー・プロジェクトについては、こちらを参照。

   ブレーカープロジェクト

 あと2週間ですが、いちど、お運びください。 
 





資料収集委員会






 昨日まで映画祭をやっていたと思ったら、今日はもう“資料収集・評価委員会”です。
 これは毎年の恒例行事ですね。当日よりも、事前の準備、つまり受け入れ予定の資料を整理し、リスト化するのが一苦労です。

 資料収集委員会とは、購入や寄贈で博物館が受け入れる資料(俗にいう館蔵品)が適切かどうか、外部委員により検討する会議です。
 資料評価とは、その資料の価値を定めることで、金額により評価します。購入品は当然ですが、寄贈品でも金額評価を付けています。
 一例でいうと、<絵葉書 1枚 200円>といった感じです(チープですみません…)


    収集委員会


 審議いただいた委員のみなさん、お疲れさまでした。
 今年度は、寄贈については、23の個人・団体からお受けする運びとなりました。
 これらの資料は、いずれ常設展示などで、みなさんの目にふれることになります。




おおさかシネマフェスティバル、御礼!






 おおさかシネマフェスティバル2011。
 3月6日(日)、大阪歴史博物館・講堂で≪ベストテン発表&表彰式≫が開催されました。



               おおさかシネマフェスティバル2011


  これが舞台上のようす。主催者撮影とは思えないボケボケ写真ですみません。きっちりとした写真も撮っていますが、今日のところは、これでご勘弁ください。

 舞台中央で立っているのが、【左】浜村淳さん、【右】吹石一恵さん(主演女優賞、「ゲゲゲの女房」)。
 吹石さんは、とってもスマートな方です!


 受賞者で出席された方は、次の通りです(登壇順)。

  真利子哲也さん(インディペンデント映画賞)
  辻 智彦さん(撮影賞)
  川井郁子さん(音楽賞)
  呉 美保さん(脚本賞)
  福本清三さん(特別賞)
  三池崇史さん(監督賞)
  谷村美月さん(助演女優賞)
  桐谷健太さん(助演男優賞)
  吹石一恵さん(主演女優賞)
  堤 真一さん(主演男優賞)


 お客さまには、東京など遠方からお出でのみなさんもおられ、満員の会場のなか、受賞者が登場されるたびに“オゥー”という歓声が上がりました。

 大阪ならではのアットホームで、あたたかい映画祭。
 でも、私が1階に立っていたら、いきなり独りでふらっと現れた桐谷健太さん。あんまりアットホームすぎます(笑) かなりびっくりしたけど、カッコよかった。もちろん!大阪出身。

 やっぱり、受賞者の方やお客さまが喜んでくださるのが、何よりうれしい。

 あらためて、受賞者のみなさん、おめでとうございました! そして、ファンのみなさんも、おめでとう!





おおさかシネマフェスティバル2011、開催中!






 はじまりました、おおさかシネマフェスティバル2011。
 ただいま上映中です。「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」。大阪城天守閣復興80年記念として、この映画を上映。いまごろ、大阪城がバルゴンに凍らされている?!



おおさかシネマフェス初日会場風景


 大阪大学・上倉庸敬先生のトークショーもありました。


上倉先生トークショー


 まもなく初日の上映が終わります。



おおさかシネマフェスティバル、明日からです!






 恒例の≪おおさかシネマフェスティバル2011≫、明日から開催です!
 今日も準備に奔走。

 明日、5日(土)は、当日券の発売があります!

 第1部は、昨年亡くなった高峰秀子さんの追悼上映「花つみ日記」(1939、石田民三監督作品)。いつも好評の阪大・上倉先生のトークもあります。

 第2部は、大阪城天守閣復興80周年を記念して、三船敏郎主演「大坂城物語」(1961、稲垣浩監督作品)と、「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」(1966、田中重雄監督作品)を上映します。

 各部入れ替え制です。

 詳しくは、 
 おおさかシネマフェスティバル公式サイト  をクリック!

 なお、6日(日)は、チケット完売のため、当日券の発売はありません。



「数」の前に立ち尽くす学芸員(2)






 博物館の運営は、スポーツや芸術の興行・運営と相通ずるものがあります。
 経済が低迷する昨今、順調という団体は少ないのですが、今日考えてみたいのは、収入源の内訳です。

 たとえば、サッカー・J1。クラブの営業収入の内訳をみると、次のようになっています(2008年、クラブ平均。典拠:「週刊東洋経済」2010年5月15日号)。

   広告収入    43%(14.8億円)
   入場料     21%(7億円)
   Jリーグ分配金 9%(3.2億円)
   その他     27%(9.3億円)

 スタジアムの入場料は2割にすぎず、4割あまりが広告収入です。
 欧州の場合は、どうでしょうか。マンチェスター・ユナイテッド(イングランド・プレミアリーグ)の場合、入場料収入が39%、放映権料が36%などとなっています。一方、ユベントス(イタリア・セリエA)の場合、入場料は8%にすぎず、放映権料が65%に上ります(典拠:同上)。日本のプロ野球でもそうですが、一般にプロスポーツは放映権料が大きな収入源になります(巨人の場合、約25%が放映権料という)。
 八百長問題で揺れる大相撲ですが、その過程でNHKの放映権料が1場所あたり5億円程度であることがわかってきました。大相撲の本場所収入は約86億円(年6場所)とされますが、そのうち35%(30億円)が放映権による収入です。これは、マンチェスター・ユナイテッドと同程度の比率ですね。

 スポーツの場合、スタジアムに来るお客さまからの入場料収入だけでは経営は成り立たず、広告や放映権、グッズ販売、ロイヤルティー収入などによって多くの部分を補っています。もっとも、プロ野球のように、多くの球団が親会社から多額の補填を得ないと成立しないケースもあります。


 次に、音楽分野で、オーケストラについてみてみましょう。
 日本のオーケストラの収入源の内訳は、次のようになっています(典拠:大木裕子『オーケストラの経営学』東洋経済新報社、2008年)。

   事業収入  55% 
   行政助成  34%
   民間助成   7%
   その他    4%

 事業収入と助成金が、半々に近くなっています。日本の場合、事業収入の比率が高いそうです。米国は助成金52%、事業収入38%、フランスは助成金81%、事業収入19%です。助成金は、欧米の方が多額なのです。 
 また、『オーケストラの経営学』では、定期演奏会の収支例についても記されています。定期演奏会を1回開くためには、1800万円の経費がかかるといいます。「かなり甘めに見積もって」5000円のチケットが1000枚売れたとして、500万円。1300万円の赤字になります。出演料の高くない指揮者・演奏家にオファーしたとしても、定期演奏会ごとに200万~500万円の赤字が出るのそうです。
 大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)の定期演奏会で試算すると、支出906万円をペイするためには、9000円のチケットを1000枚売る必要があります。しかし、実際のチケットは3500円~5500円なのです(※現在の価格は4000円~6000円)。
 以上のことから、外部からの助成金がなければ、オーケストラの運営はままならないということがわかります。

 では、博物館の場合、どうなのか? 特別展で考えてみましょう。
 必要な経費を(もちろん展覧会により異なりますが)、3000万円だとしましょう。観覧料が1000円だとすると、3万人に来館いただくとペイすることになります。ところが、公立館の場合、無料で観覧いただける方もいらっしゃいます。有料・無料の比率も展覧会ごとに大きく異なりますが、仮に5:5だったとすると、総計6万人の方に来館いただければ支出を回収できることになります。逆にいえば、3万人の方しか来なければ、観覧料は2000円の設定となります。
 これは、あくまでも図式的に、見掛け上の数字でシミュレーションしてみたものです。
 博物館の場合は、プロスポーツのような広告料収入はほぼなく、放映権料は全くありません。グッズ収入なども一般的には僅かです。つまり、収入の大部分を来館者からの観覧料でまかなっている構造です。
 このことが、前回ふれた≪来館者数が気にかかる≫要因のひとつなのです。ユベントスのように、収入の2/3が放映権料だったら、実際に足を運ぶお客さまが少なくたって構わない(あくまでも“経営的”にですが…)。でも、観覧料が収入源のほとんどを占めれば、そこに気を遣わざるを得ない、ということかもしれません。

 これまで、博物館をめぐる「数字」の問題は、美徳ゆえか、あからさまに議論されることは少なかったと思います。しかし本当は、博物館を利用する方も含めて、「数字」について考えていくことが不可欠でしょう。
 
 (この項、つづく)




プロフィール

なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

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