スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「数」の前に立ち尽くす学芸員(4)






 4月になって、大阪市中央区にある大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)の指定管理者が吉本興業グループになり、新たなスタートを切るという報道にふれました。
 大阪府が新たな指定管理者(2年間)を選ぶ際にポイントとなった条件は、年間入館者数40万人以上と、府からの管理運営委託料ゼロというものでした。 詳しくは、指定管理候補者の選定結果 をどうぞ。 

 この報道で、私がどうしても気になってしまったのが、<入館者数40万人以上>という数字でした。
 ワッハ上方の年間開館日は、おそらく307日程度でしょう。すると、1日平均1,300人余の来館者を集めないといけないことになります。
 実は、私たちの大阪歴史博物館の年間入館者数は40万人に届きません。2010年度でいっても、常設展示が約20万人、特別展が約10万人。あわせて約30万人。これはむろん、来館して常設展と特別展の両方を見る方は「2人」とダブルカウントしての数字です。そうしても、当館では1日あたり1,000人弱ということになります。

 そこで、改めて関西の博物館施設の入館者数を調べてみました。

 国立博物館から言いますと、2009年度ですが、京都国立博物館が約45万人、奈良国立博物館が56万人(こちらはドル箱の正倉院展があります)。従来、国立美術館のなかで最も高い数字をあげていると言われていた国立国際美術館が約96万人です。また、大阪市の設置施設では、大阪城天守閣が約125万人でした。水族館の海遊館は約221万人となっています。

 いかがですか?
 年40万人という数字は、なかなか大変なものです。京博くらい入ってもらう必要があります。もちろん、京博は年に何度も特別展を開催していてこの数字です。ワッハ上方は、そういう運営にならないでしょうから、日常ベースの来館者を増やす必要がある。そうなれば、かなり団体に来てもらわないと、この数字にはならないように思えます。
 ワッハ上方の前年度の来館者数は約5万人だそうです。一方、向かいにある劇場<なんばグランド花月(NGK)>の来場者は約80万人だといいます。NGKの入場料は4,000~4,500円、ワッハ上方は400円(団体320円)。NGKの80万人の半分近くがワッハに来てくれると目標達成です。

 実は、この部分は注目されるところなのです。
(私もコドモ時代から大好きな)吉本新喜劇や漫才・落語を見ることと、ワッハ上方という演芸博物館を見ることとが、果たして共存するのか? もし、これが共存するなら、いろんな意味で今後の博物館界も期待が持てるぞ、と。
 つまり、エンターテイメントとインフォメーションとが絶妙に融合して、一時期はやった言葉でいう“インフォテイメント”に昇華される、ということなのです。これは、私たちの間では極めて難しいことだと思われているわけですが、それが可能になるとすれば、博物館活動に新しい地平が開かれます。

 なお、ワッハ上方の再出発については、博物館施設としての本格的な活用を提言する中山市朗さんのブログ ワッハ上方は燃えているか が傾聴に値するでしょう。 


  (この項つづく)






スポンサーサイト

大渋滞で考えた






 昨日4月29日は、広島に行くつもりで、早朝からクルマで出掛けました。
 しかし… 高速道路に乗ったら、ふだん30分で行けるところが3時間半も掛かり、さらに2時間走ってもまだ兵庫県内と分かって、広島行を断念し下道を引き返しました…
 
 昨年も、同じ日に広島へ行ったのですが、こんなに混んではいなかった。今年は休日の並びがよいので集中したのでしょうか。周りを見ると、水戸ナンバーとか湘南ナンバーとか、東日本から走ってきたクルマが多い。
 それにしても、朝6時台でこれほど混むのもマズイ。9時頃には、38kmの渋滞だったように思います。

 いつものことですが、連休や盆、正月など、高速道路は渋滞、列車は満杯、行楽地は行列と、日本国内どこも人、人、人。この集中、なんとかならないものか。

 こんなとき、私が思い出すのが、『豊かさとは何か』(岩波新書)という書物のタイトル。1989年に暉峻淑子さんが書かれた本です。暉峻さんも言われるように、日本人は働きすぎ。真の豊かさを得るためのひとつの条件に、労働時間の短縮を指摘されています。この本が刊行されたのは、もう22年も前のこと。まだバブルが弾ける前ですね。でも、20年以上たっても、状況は改善するどころか悪くなっているように思えて仕方がないのです。

 よくない傾向だと思うことの1つは、モノの値段が年々安くなってきていること。消費者としては有り難いかも知れないけれど、作っている・売っている立場からすると、それを実現するために血のにじむような努力をしないといけない。つまり、労働者にものすごいプレシャーがかかってくる。働き方にも圧力がかかるし、雇用も不安定になる。
 いまひとつ思うのは、社会がギスギスしてきて他人に厳しくなったこと。特に、モノを買う側・サービスを受ける側に立つ人が、厳しいクレームを出すことが多い。ある本に、次のような体験が紹介されています。

 私は鉄道会社に入社し駅員となりましたが、過剰な要求をしてくる乗客と、その状況に何も対処をしない上司との板ばさみにあって、うつ病となり自殺未遂をしました。会社に行けなくなったきっかけは、駅で勤務しているときに自動改札を猛スピードで入り、ゲートが開かなくなった中年の女性から、改札口が開かなかったのはきちんと整備をしていないあんたの勤務怠慢だ、あんたなんか駅にいても仕方がない、あんたの親はどんな育て方をしてきたの、謝罪しなさいよと、ものすごい剣幕で怒鳴られたこと。それに対し反論しようとしても、上司からは何をやっている、お客様にすぐ謝罪しろと土下座を要求されたことが原因でした(34歳男性)。(望月昭ほか『自殺者三万人を救え!』NHK出版、2011)

 ひどい話です。でも、程度の差こそあれ、どこででも起き得るケースでしょう。怒鳴り散らす乗客もひどいけれど、男性を切り離す上司はもっとひどい。なにより、孤立化することほど、人が生きていくうえでしんどいことはないからです。

 私たちの働き方は、<豊か>になるどころか、どんどん貧しくなっているように思います。それは、社会が<豊かさとは何か>を問う力が弱いからなのでしょう。近年さかんに唱えられているワークライフバランスも、ともすれば技術論に終わりかねない。何をめざして働くのか、何のために生きるのか、という大切なことが、私たちの間でなおざりにされているのではないでしょうか。

 明日もまた、高速道路は大渋滞でしょう。でも、そこでしか遠出できないから仕方がない。
 いったい私たちが乗るクルマは、どこに進んでいくのでしょうか。





方丈記を読んで ~寄居は小さき貝を好む~






 職場である大阪歴史博物館の近くに、ジュンク堂書店天満橋店という本屋さんがあります。
 先日、立ち寄ったら、<方丈記と無常観>のミニコーナーが作られていました。文庫で読めるものから、評釈本、小林秀雄の『無常といふこと』まで。それらの本が、初級・中級・上級とランク分けされていて、店員さんのコメントが付けられています。
 なかなかおもしろい。
 一冊買おう、ということで、初級!で、一番わかりやすいという、武田友宏編『方丈記(全)』(角川ソフィア文庫)を買ってみました。


   方丈記


 鴨長明が書いた方丈記。古文の授業で必ず出てきて、「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という書き出しは、誰でも知っています。でも、案外なかみは“?”かも。実は、私は通読したことがありませんでした。

 その内容と、ジュンク堂のコーナーが作られたことには大いに関係があります。
 長明の時代、つまり12世紀後半は、天変地異が相継いだ時代だったのです。長明は、こう書き出します。

 予(われ)、ものの心を知れりより、四十(よそぢ)あまりの春秋をおくれる間に、世の不思議を見ること、ややたびたびになりぬ。

 四十年あまり生きてきて、ありえないような事件を度々経験してきたと言います。
 それは、大火、辻風(竜巻)、福原京遷都、飢饉、大地震です。長明は、見聞きしてきたその経験をつまびらかに書き記します。
 実に方丈記の前半は、この災害・事件の具体的な描写に費やされています。人々が災厄に倒れ伏し打ちのめされるさまは、むごいものがあります。

 私の心にとまった言葉に、次のものがありました。

 寄居(がうな)は小さき貝を好む。これ、こと知れるによりてなり。鶚(みさご)は荒磯に居る。すなはち、人を恐るるが故なり。我また、かくのごとし。ことを知り、世を知れれば、願わず、走らず。ただ、静かなるを望みとし、愁へ無きを楽しみとす。

 現代語訳≪ヤドカリは小さな貝を好んで宿とする。これは、身を守るには、自分の入れる最小限の貝が目立たなくて安全だと知っているからだ。ミサゴという鳥は波の荒い海岸の岩場に住んでいる。これまた、身を守るために、人の近づかない場所を選ぶからなのだ。私もまた彼らと同じだ。災害の恐ろしさと人世のはかなさを、身をもって知っている。だから、むやみに欲張らずあくせく名利を追いかけない。ただ心静かに生きることを望み、平穏無事を楽しみとしている。≫

 <寄居(ゴウナ)は小さき貝を好む>、印象的な句です。
 このような考え方は、その後も私たちの中にあったと思います。いわゆる<身の程を知る>という考え方でしょうか。自らを誇張して大きく見せることのない<ゴウナ>の生き方です。
 この「こと知れる」ということ。これが肝要なところ。「こと」は、火災・地震などの<変事>と捉える解釈もありますが、<世の中に起こる出来事>というふうに考えておけばよいのではないでしょうか。あるいは、敷衍して、<ことわり(理)>とまで考えてもよいかも知れません。
 ヤドカリは、自分を<世の中>という尺度と比較して、決して過大評価しないから、自分を必要以上に大きな存在と捉えず、分相応の小さな貝に住むのだ、と。
 ひろげた解釈ですが、私はそのように読みました。

 翻って、いまの世の中。個人も組織も、自分を大きく見せようと躍起になっているようにみえます。
 鴨長明は、都を離れて閑居したのですが、私たちはなかなかそうもいかない。毎日職場に行って、給金をもらうために仕事をしないといけない。長明とは身分が違うといえるかも知れません。
 それでも、大きな服を着て自分を大きく見せるということは、やめた方がよいのかも知れない。では、どうすればよいのでしょうか?
 長明は、言います。

 おのづから都に出でて、身の乞匃(こつがい)となれることを恥づといへども、帰りてここに居る時は、他の俗塵に馳することをあはれむ。

 現代語訳≪たまたま京の街に出る機会があって、自分が浮浪者同然の姿になっていることを恥ずかしく思うものの、ここに戻って来ると、街の人々が俗事にとらわれて、安らぎを失い、あくせくしている姿を気の毒に思う。≫

 <俗塵に馳する>という言葉、身に浸みます。なぜ、俗塵に馳せるようになったのだろうか? なぜ、俗塵に馳せなければ、毎日が過ごせないのだろうか?
 このことは、もう少し考えることにしましょう。






大阪城公園のナゾの小山?






 いよいよゴールデンウィークですね。

 大阪においでになる方もおられることでしょう。大阪の観光地で絶対にはずせないのは、大阪城天守閣! 私の職場、大阪歴史博物館から見えています。

 最近、仕事でよく天守閣に行くので、行き帰りに写真をパチパチ撮っています。
 今日は連休中に来られる方へ、意外なスポットをご紹介!


  大阪城公園2


 天守閣の右手は小山のようになっています。この丘、なんだかわかりますか?


  大阪城公園3


 近寄ると、木の植えられた単なる丘のように見えます。
 少し、ヒント画像を出しますと…


  大阪城公園1


 どうでしょうか?
 水飲み場? 水に関係あるのか…


 おわかりになりましたか。

 答えは、上水道の配水池です。

 大阪市の上水道は、明治28年(1895)に出来ました。当時は、桜宮(JR環状線の桜ノ宮駅付近)の淀川(大川)から取水していました。取水された水は、一旦この配水池にポンプアップされ、そこから高低差を利用して市内に送られたのです。
 歴史博物館のある場所は、上町台地といって市内でも高いところ。標高20mほどあります。大阪城の本丸はそれ以上の高さで、市内で最も高い土地でした。そこから自然流下という方法で流していたのですね。

 配水池は、60m×30m(深さ7m)の池が3つあり、約35,000立方メートル貯水できます。外見はただの丘ですが、内部には貯水池があったわけです。

 城内は、明治時代には陸軍が使用していましたので、この場所に配水池を造るのにも軍の許諾が必要です。大阪市では、明治25年(1892)に第四師団司令部と契約書を交わして、ここを使わせてもらうことになったのです。

 ところで、大手前にこんな建物があります。


  大阪城公園4


 売店の裏手にあって、あまり目につかない建物。


  大阪城公園5


 「高地区配水喞筒場」と書かれています。「喞筒(しょくとう、そくとう)」はポンプのこと。ポンプ場の建物でした。
 このポンプで、本丸の配水池に水を上げているのですね。
 ただし、これは明治のものではなくて、昭和6年(1931)に造られたものです。設計は、大阪の商業建築の名手・宗兵蔵(そう・ひょうぞう)。ちょっとゴチックスタイルの入ったカッコいい近代建築です。
 
 ちなみに、大正時代に柴島(くにじま)浄水場(東淀川区)が整備され、桜宮水源地は廃止されました。

 あまり知られていない地味な史跡ですが、一度ご覧になってみてください。


※大阪歴史博物館(常設展示)と大阪城天守閣のセット入場券も、好評発売中!

大人1200円が→900円に!





なにわ歴博講座の予定です!






 みなさんからお問い合わせのある今年度初回の<なにわ歴博講座>の予定をお伝えします。

  なにわ歴博講座
 <初夏の講座>
  なにわの考古学 さまざまな視点による過去の復元
  6月 3日(金)寺井 誠「渡来人の故郷を求めて」
  6月10日(金)積山 洋「日中古代都城の街並み形成試論」
  6月17日(金)豆谷浩之「豊臣期大坂城下の武家屋敷・再論」
  6月24日(金)李 陽浩「『楼閣風建物』は果たして『楼閣』か?-前期難波宮東方で見つかった一郭の復元的検討-」

 演題の詳細内容は、近日中に大阪歴史博物館ホームページにアップします。

 いずれの日も、午後6時30分~7時45分(開場6時)
 参加費は各回200円です。
 ぜひ、ご参加ください。
 





特別展「幕末・明治の超絶技巧」、記念シンポジウムのお知らせ






 話題の展覧会≪幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸≫、好評開催中です!
 先日は、NHKBSプレミアム「極上 美の饗宴」にも取材され(5月23日オンエア予定)、精緻な作品たちの世界観がますます評価アップの兆し!

 今日は、記念シンポジウムのご案内です。
 本展の主要出品作品を所蔵される清水三年坂美術館館長の村田理如さんをはじめ、各地から専門家が集まって、幕末・明治期の工芸についてディスカッションします。

 5月8日(日)に開催します。
 以下、プログラムです。

 記念シンポジウム<近代工芸と“地方”をめぐる諸問題>

 <特別講演>
 ●村田理如 氏(清水三年坂美術館館長)
 「幕末明治の日本工芸に対する国内外の評価の乖離」
 <テーマ講演>
 ●山崎 剛 氏(金沢美術工芸大学准教授)
 「幕末明治の日本工芸への眼差し~1990年代以降の動向」
 ●佐藤寛介 氏(岡山県立博物館主任学芸員)
 「正阿弥勝義と岡山」
 ●中野朋子 (大阪歴史博物館学芸員)
 「近代大阪の陶画工・藪明山」
 ●内藤直子 (大阪歴史博物館学芸員)
 「近代工芸と『地方』をめぐる諸問題~大阪の事例から」

 この分野をリードするコレクター・村田さん、20年近く前に特別展「工芸家たちの明治維新」(大阪市立博物館、1992年)でこのジャンルに光を当てた山崎剛さん、正阿弥勝義の故郷・岡山で研究をされている佐藤寛介さんというメンバー。加えて、当館学芸員の内藤・中野もお話します。
 楽しみなシンポジウムの参加概要は、以下の通りです。

 日時:5月8日(日)午後1時30分~4時(受付:午後1時より)
 会場:大阪歴史博物館 4階 講堂
 参加費:300円(ただし、特別展の観覧券または同半券をお持ちの方は無料)
 定員:250名(当日先着順)
 主催:大阪歴史博物館
 後援:美術史学会



市電と時計






 土曜日の今日は、一日雨でしたね。大阪歴史博物館の見学会<なにわ考古学散歩>、市内南部を歩いたと思うのですが、最後まで無事歩き通せたのか… 昨晩、担当のT学芸員が空模様を気にかけて、雷雨になったらどうしようかと心配していたんですよね。

 さて、前回ご紹介した北浜交差点の古い写真。
 さらにじっくり見ていて、また別のことに気付きました。

 写真の左端に、難波橋名物の<ライオン像>が写っています。写真では、お尻を向けて座っています。その右に、支柱に据え付けられた時計があるのです。ブログ上の写真では見えないと思いますが、針は8時50分を指しています。
 では、この街頭時計、いったい何のために立っているのか?

 『大阪市交通局五十年史』(同局、1953年)に、<電気時計>というものが写真入りで紹介されており、この写真に登場する街頭時計と同一物であることが分かります。『五十年史』には、次のように記されています。

 路面電車の正常な運転に必要な正確なる統一時間を運輸乗務員に知らせ、また市民の便を図るため大正12年初めて電気時計を主要交叉点18カ所(24面)に設置した。

 市電の定時運行のために、運転手がこの時計の時間を見ながら運行した、ということですね。
 支柱の上に時計が取り付けられており(2つ付けられているタイプもあった)、夜は上部に付けられた電灯により照らされたようです。
 写真の「北浜2丁目」交差点にも、電気時計が設置されたのでした。写真は、昭和3年(1928)撮影ですから、5年前の大正12年(1923)設置のこの時計が写っているわけです。
 いわゆる親子時計で、本局内にあった親時計と市街にあった子時計が結ばれて動いていました。だから、統一された時間(統一時間)ですべての時計が同じ時を刻んだのです。
 同様の電気時計は、京都市電でも昭和4年(1929)から設置され始めたそうです。

 ところで、日本の鉄道が時間に正確なのは、世界的に有名ですね。その事情を調べた三戸祐子『定刻発車』(交通新聞社、2001年、のち新潮文庫)によれば、国有鉄道において定時運行が定着していったのは大正時代頃のことだそうです。明治の列車は、意外にも、結構いい加減な運行だったらしい。
 当初、定時運行を確保するために、沿線に<目印>を定め、そこを決まった時間に通過するように運転士は「時計とにらめっこをして」列車を走らせたのだといいます。

 お分かりになったと思いますが、国有鉄道の列車・運転士は、その頃から時計を携帯していた、ということなのです。そして、大阪市電の場合、路上に電気時計が設置されたということは、運転士は時計を持っていなかったということなのでしょうか?

 電車の運転士といえば、懐中時計を持っているイメージがあるのですが、そうではなかったのか…
 あるいは、いちおう個人的に持ってはいたけど、遅れたり進んだり時刻がバラバラだから、統一時間を知らせるために電気時計を置いたのか…

 いま私には、大阪市電の運転士がいつから時計を携帯するようになったのか、よく分かりません。しかし、戦災で失われた街頭の電気時計は、昭和27年(1952)に復活し、戦後も動き続けたのです。

 今回は、ちょっと“テツ”っぽい話題でしたが、写真を細かく見ていくと、いろいろなことが分かってきて(そして謎がさらに深まって)おもしろいですね。
 






特集展示の資料撮影






 今日は、春らしく暖かかったですね。
 私は、次回の特集展示<懐かしい市電とバスのある風景>を担当しています(会期:5月25日~7月4日)
 この展覧会は、大阪市交通局が所蔵する貴重な写真・ポスター・模型などを展示するものです。

 今日はその準備のため、伊藤純学芸員とともに、西区九条にある交通局へ行き、パネルにする写真を撮影してきました。
 今日の写真は、主として昭和3年(1928)に撮影された台紙貼りのもので、これまであまり公開されていないカットも含まれています。
 私も仕事柄、近代大阪の写真をたくさん見ますが、見たことのない新鮮なカットも多いのです。

 たとえば、この写真は、北浜の交差点を写したものです。難波橋の上から南を向いて撮っています。


   1928年の北浜交差点 大阪市交通局蔵


 画面中央に市電の線路が敷かれています。このあたり、電気局(当時の名称です)らしい視線を感じます。
 レ-ルの向かっている先(南の方)の街路は、堺筋です。この時代、まだ御堂筋は拡幅工事中ですので、大阪で最も広い街路のひとつが、この堺筋でした。12間(約22m)幅ありました。
 画面の左に煉瓦造の建物が写っています。これが、大阪株式取引所(現在の大阪証券取引所)です。現在、ファサード保存されている特徴的な建物は昭和10年(1935)築ですので、昭和3年(1928)時点では未だ明治の香りがする煉瓦の建物です。
 株式取引所の右横の電柱の向こうには、三越が写っています。この建物も、阪神淡路大震災のあと、取り壊されてしまいました。通りの向かい側には、現在の新井ビルや高麗橋野村ビルが建っています。
 画面中央やや右にバスが2台写っています。市営バスと思って、これを拡大してみると、車体に“OSAKA MOTOR BUS COMPANY”と書いてあるように見える。つまり、これは市営バスではなくて民営の<大阪乗合自動車>なのでは? 電気局の撮影写真としては、ちょっとまずいかも?

 この写真、台紙に書かれたタイトルは<ラッシュアワーの堺筋>。橋詰めの時計をよく見ると、午前8時50分。朝のラッシュなのでしょう。
 それにしても、一番手前に、シャツにカンカン帽をかぶった男性が手押し車を押しているのが、なんだか不思議です。これも交通機関の1つだと、わざと撮ったのなら、なかなか洒落たカメラマンですね。

 特集展示では、たとえば、こんな写真を展示します。






源平布引滝の「悪日」 ~文楽4月公演より~






 国立文楽劇場で、文楽4月公演を拝見してきました。
 今月は、竹本源大夫、鶴澤藤蔵襲名公演です。ただ源大夫さんは病気のため休演され、口上のみに登場です。

 出しものは、「源平布引滝」と「艶容女舞衣」。
 源平布引滝は、いいですよね。近世らしい奇想天外な展開をします。
 今回観て、すごいなと思ったのは、竹生島遊覧の段で、琵琶湖の水面を小まんが泳いで来る場面。なにか、バタフライのような泳ぎ方で泳いで来る。そのスタイルで、何度も何度も現れる。その絵づらが、おもしろいんです。
 
 文楽って、古典芸能で世界遺産で、なんか難しそうで、と思われるかも知れません。でも、気楽に観たらいいんですね。泳ぎ方がおもしろければ、そこで笑ったらいい。文楽(人形浄瑠璃)は、もとをたどれば、人形の動きのケレン味というか珍しさが楽しかったわけですから、そういう見方も許される(という私の考え)。

 で、そのあと船に救い上げられた小まんは、源氏の白旗を持った手を切り落とされるのですが、その腕がまたプカプカと湖面を流れていく。途中でちょっと岩に引っ掛かったりする。それがまたおかしい。
 やっぱり、文楽って、意外さが満ちた異文化です。

 今回、気になった言葉が「悪日(あくび)」。
 浄瑠璃では、こう出てきます。


 (平家に捕えられる小まん)
 「その女こそ源氏方、白旗隠し持つたるぞ。油断あるな」
 と呼ばはる声
 「さてこそ、こやつ曲者」
 と飛騨左衛門飛び掛かり、腕捻ち上ぐれば
 小まんは声上げ
 「ナウ今日は如何なる悪日ぞ。死ぬる命を助かりて、嬉しと思ふ間もなく、この修羅道の責めは何ごと。情けなや浅ましや」
 と歯軋み歯ぎり身を震はし、悶え嘆けば

 
 泳いでいたら船に助けられて良かったと思ったら、それが敵方・平家だった…という天国と地獄。そんな今日を「悪日」と言っています。
 これまで、「厄日」という言葉は聞いたことがありますが、「悪日」は初めて。こんな言い方、江戸時代の大坂ではしたのでしょうか。
 辞書を引いてみると、「あくび」でなく「あくにち」として、次のようにありました(『日本国語大辞典』)。

 (1)陰陽家で、事を行なうのに悪い日。運勢の悪い日。凶日。←→吉日
 (2)不運、不幸にめぐりあわせた日。その人にとって運の悪い日。運のない日。←→吉日

 源平布引滝の「悪日」は、(2)の用例として出てきます。

 ところで、(1)の意味になると、“今日は悪日だからやめとこか”みたいな心持ちにつながります。
 このあたり、“中世のリアリスト”兼好法師が、おもしろいことを言っています。

 兼好法師の頃、「赤舌日」(しゃくぜちにち)というタブーの日が言われ始めたそうです。兼好法師は、それを根拠のないことと一蹴し、人の心は定まりのないもの、物はみな幻の如く変化する、と無常観を述べます。そして、<「吉日」に悪いことをすると必ず凶であり、「悪日」に善いことをすると必ず吉である>と言われることから、<吉凶は、人によりて、日によらず>と断ずるのです。
 つまり、日がどうこうでなくて、人(自分)次第、ということですね。

 これをさらに解釈していくと、禅語の「日々是好日」につながる、ということもあるようです。

 確かに、一日一日に良い日も悪い日もない。自分がベストを尽くせば、どの日も良い日なのだ、と。

 なるほど。
 もう少しネガティブな私は、源平布引滝を観ながら思ったのです。

 <うまく行かない日は、悪い日だと思って、諦めた方がいいんじゃないか>

 <今日は悪日>と思って割り切った方が、かえってスッキリするんじゃないだろうか。なんというのか、受忍的というか、<降り掛かって来るものは、しゃあないか>という諦念。処世術ですね。

 変な教訓譚になってしまいましたが、文楽を観ながら勝手にこんなことを思うのも、愉しい古典との接し方でしょうか。
 





「超絶技巧」展、NHKBSプレミアム「極上美の饗宴」に取材されました






 昨日、特別展「幕末・明治の超絶技巧」が、NHKBSプレミアムの美術番組に取材されました。正阿弥勝義の特集だそうです。

 昆虫写真家の海野和男さんが来館され、昆虫をモチーフにした作品を見ながら、その驚嘆すべき技術について熱く語られました。


  NHK取材風景


 展示ケースの前に立って、あるいは座ってパソコンの画像と対比しながら、正阿弥の作品がいかに正確に昆虫の姿と生態を捉えているかを熱弁されます。
 たとえば、セミをモチーフにしたこの作品。


  柘榴に蝉飾器1
  柘榴に蝉飾器  清水三年坂美術館蔵


 上の写真、右が器の身(裏向いています)、左がフタです。フタにセミがとまっていますね。


  柘榴に蝉飾器2


 このセミ、よく見ると少し羽を開いていますね。海野さんいわく、<これ、鳴いているところですよ>
 実際に撮影された映像を見ると、確かにセミは羽を半開きにして鳴くんですね。
 スタッフも私も、なるほど、と感心。でも、実際はザクロにセミはとまらないだろうということで、そこだけはイメージの世界なのです。


 海野さんは、トンボやカマキリについても、どれくらい写実的か滔々と述べられます。
 そしていわく、<彼は虫や蛙、そして自然が好きなんですね>
 好きだからこそ、観察し、スケッチし、制作できる。いい加減な想像で作っているのではない、と。
 さすがに、昆虫写真家ならではの視点です。

 そして、<奇想>たるべきゆえんは、リアルな昆虫をあり得ないものに貼りつけるイマジネーションでしょう。ザクロにセミ、ヒョウタンにテントウムシ、香炉にカマキリ…

 取材は、お客さまへのインタビューや作品撮りも含めて、約6時間かかりました! でも、いい番組に仕上がりそうですね。

 正阿弥勝義を特集するこの番組は、NHKBSプレミアム「極上美の饗宴」(月曜・21時)で、5月23日にオンエア予定です。




展覧会の外部評価が行われました






 大阪歴史博物館は、(財)大阪市博物館協会が指定管理者として管理運営しています。指定管理期間は、昨年(2010年)4月から4年間です。当館のほかにも、大阪市立自然史博物館など4館の指定管理を行っています。

 昨年度の特別展について、外部の有識者による評価が実施され、このほどその内容が公表されました。各館1つずつ展覧会を取り上げ、評価いただいたものです。
 当館は、「水都大阪と淀川」が対象でした。

 内容は、大阪市博物館協会 外部評価結果 をどうぞ。

 評価の手順としては、まず館内で自己評価を行いました。当館の場合、特別展担当者や各部署がデータの取りまとめと分析を行い、A4用紙で38枚にわたる詳細な資料を作成しました。外部評価委員の方々には、実際に展覧会をご覧いただくとともに、この資料も見てもらい、評価していただきました。
 外部評価委員会は、1月19日に実施され、当館分については約1時間40分にわたり議論されました。資料が余りにも大部だったため、それに即した検討というよりも、委員の方からの関連質問や自由なご意見が中心だったように思います。

 私が印象に残ったことを1つ書いておきます。
 それは、川口幸也さん(国立民族学博物館)が言われたことです。スウェーデンの話なのですが、あちらでは国立の博物館・美術館が全て無料で観覧できるのだそうです。そのことが、国政選挙の争点にまでなったらしい。なぜ無料なのかというと、ひとことでいえば、国民の“居場所づくり”なんだそうです。
 このことは、日本の場合、図書館をイメージするとよく分かりますね。朝から行列が出来ている図書館もあるくらいです。図書館は、図書館法で入館料を取ってはならないと定められているのです(ちなみに、博物館法では公立博物館は原則無料であるべきとしている)。
 
 このスウェーデンの無料化、インターネットなどで調べても、なかなか分かりかねますが、たとえば、こういうサイトがありましたので、ご参照ください。

  ガラ空きの会場が一変なるか?

 もう10年近く前の話みたいですね。
 いずれにせよ、スウェーデンの場合、“タダでもいいから、来ないよりは来てもらった方がよい”というスタンスなのだそうです。国民が文化に触れる機会を保障したり、文化水準を上げるという狙いがあるのでしょうか。また、社会の高齢化や地域社会の解体が進むなかで、川口さんが指摘されるように<居場所>を作る意図なのでしょうか。

 ちなみに、今回委員を務めてくださったひとり、河島伸子さん(同志社大学)が2003年に高知県立美術館で実施された評価は、読ませていただいて多々参考になる点がありました。興味のある方は、ご覧ください。

  高知県立美術館の評価と指針

 また、評価についての私の考えは、このブログでも書いていますので、お読みください。

  数の前に立ち尽くす学芸員(3)

 評価が大切だということは誰もが分かっているけれど、自分の問題として真剣に考えている人は案外少ない--そこがたぶん、評価をめぐる一番の問題点かも知れません。




正阿弥勝義<蟷螂置物>






 特別展≪幕末・明治の超絶技巧≫、好評開催中です。

 先日ご紹介した正阿弥勝義の作品から<蟷螂置物>。
 つまり、カマキリです。


   カマキリ置物
   蟷螂置物 明治33年 岡山県立博物館蔵


 展示ケース内に陳列したところを撮影しましたが、妙にリアルですね。
 ケースにカマキリが入り込んだかのよう。

 緑に光る眼は孔雀石、触覚は金で作られています。

 私は以前、金沢か高岡の博物館で、銅で作られたカタツムリを見たことがあります。あまりの精巧さに感嘆したのを覚えています。小さな生き物を本物そのままに写し取ることは、職人たちの腕の見せ所だったのでしょう。
 このカマキリも、小品ながら、正阿弥の写実力が遺憾なく発揮された作品です。





河西英通『東北』、『続・東北』






 今日は、大森一樹監督の映画「津軽百年食堂」を見ました。

 日露戦争後の明治42年(1909)から、青森県・弘前で百年つづく<津軽そば>を出す大衆食堂が舞台。現在の話と明治の話が綯い交ぜになりながら進行します。その重なりが上手に活かされていますね。
 見ながら、主人公・陽一(オリエンタルラジオ藤森慎吾)がいう、弘前っていいなあ、というセリフ。それを聞いて、やっぱり地元はいいなぁ、ふるさとはいいなぁ、と思ってしまうのでした。

 映画を見た帰り、書店に立ち寄りました。ある仕事で、若い学生に薦める本を選ぶ必要があって、書店の大きな棚を見ながら考えていました。目に留まったのが、この本。

 河西英通『東北-つくられた異境』(中公新書、2001年)

 続編に、『続・東北-異境と原境のあいだ』(同、2007年)があります。


    『東北』


 以前、<大阪を模倣する街>、いわゆる<○○の大阪>を調べているときのこと。福島県の郡山が<東北の大阪>と呼ばれる工業都市だと分かりました。東北のことを知りたいと思い、参考図書として手に取ったのが、この2冊でした。
 河西氏は、“遅れた東北”が内から、また外から、どのように認識されてきたかを、幕末から明治(正編)、さらに大正以降(続編)と、丹念に追っていきます。明治期の津波についてなど、災害・凶作についての記述もありますので、一度原著を手にとってみてください。

 興味深かったのは、≪東北=スコットランド論≫。
 例えば、明治30年頃、弘前出身のジャーナリスト・陸羯南(くが・かつなん)が、この説を唱えています。羯南は、「スコット[ランド]は自らスコットたるを名誉とし、敢て英人とよばるるを欲せず」とし、「侮られ、無神経といはれ」る東北は、スコットランドのようにあるべし、と主張しています。
 また、会津出身の二瓶要蔵という同志社卒のキリスト者も、この考えを述べています。
 「東北は日本に於ける『スコツトランド』なりと信じ居り候、(中略)英国の偉人と云ふ偉人は皆『スコツトランド』より出づる由にて候、どうか日本のスコツトランドを以て任じ下されたく候、大なる野心を持たれよ、小成に安んずるなかれ」と記したといいます。いつの日か、東北が成長し偉大な人物を輩出する、という気概でしょう。
 東北=スコットランド論には、強い劣等感とそれを反転しようとするバネが感じられます。

 河西さんも書いているのですが、1988年、大阪の著名な酒類メーカーのトップが「東北は…文化的程度も極めて低い」などと発言して顰蹙を買い、国会でも問題になりました。そんな昔ではない20年あまり前の話です。
 本書でも、大正中期(1920年前後)の青森県の自己意識の例があげられていて、その1つに次のようなものがあります。
 「青森県は世界中の資本国に於て、最も文化の程度の低いと言はれてゐる日本国の中でさへ問題にならない野蛮国だと言はれてゐる。お恥かしい話だが本当だから仕方がない」
 半世紀以上の時を超えて、このような意識が大阪の企業のエライさんに伝播していたといえるかも知れません。そういえば、映画「津軽百年食堂」でも、東京から来たサラリーマンが、名物・津軽そばを東京の味とは違うということで馬鹿にする場面がありました(そこは映画ですから、痛烈に撃退されていましたが)。

 「津軽百年食堂」では、東京に出て行った主人公が、最後は津軽に帰ってくる話になっています。同郷の若いカメラマンの女性も郷里に戻り、スタジオを開くことになります。その展開を見ていて、私は何となく納得していました。“東京が進んでいて津軽が遅れている”などとは、やはり思えず、そんなことより、百年間ずっとそばを出しつづけている食堂の方に魅力を感じているのでした。






特別展「幕末・明治の超絶技巧」、いよいよ見参!






 お待たせしました。
 新年度の特別展第1弾、≪幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸 - 清水三年坂美術館コレクションを中心に≫が、いよいよオープンします。

 今日は、報道関係者向けの内覧会でした。


  超絶技巧内覧


 このブログでは、おすすめの出品作品を順次紹介していきたいと思います。

 今日は、これ!


  超絶技巧2


 これは、なんだ! という作品。
 実は、アンコウなのです。
 よく見ると、その尾のあたりに、ハモがまつわりつき、サザエが潜んでいる…
 これを<奇想>と言わず、なにを<奇想>というのか。深海の夢想。

 正阿弥勝義作、「鯉鮟鱇対花瓶」のうち、鮟鱇です(清水三年坂美術館蔵)

 ということは、コイもセットであるわけで…


  超絶技巧1


 これが、コイ。水から跳び上がっているのか、蓮葉を巻きつけて口を開いた姿。これが幕末・明治のリアリズム! 過剰なまでのリアルさの追求。蓮池の幻影。

 さらに私が驚くのは、資料名から分かるように、これが<花瓶>だということ。だから、2匹とも口を開いているのか… こんな花瓶を作る創造/想像力、尋常ではない。

 正阿弥勝義(1832-1908)は、津山藩の金工家に生まれた作家。明治中期から内外の博覧会に金工品を出品し続け、鋭い観察眼から発揮される高い写実性で、斯界を代表する人物。特に、地元岡山では古くから著名です。
 この作品は、そんな正阿弥の代表作で、写実と奇想が絶妙に合体した名品といえるでしょう。
 ぜひ実物をご覧いただきたい作品の1つです。


 特別展≪幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸 - 清水三年坂美術館コレクションを中心に≫は、大阪歴史博物館にて、4月13日(水)~5月29日(日)に開催されます。





4月11日。






 2011年、年が明けて1月11日、このブログを始めました。
 1か月後の2月11日、祝日、特別展の講演会に超満員のお客さまにお出でいただき、ご案内に奔走しました。
 そして、3月11日。午後から4階講堂で映画関係のイベントが行われている最中、大震災が発生しました。遠く離れている大阪歴史博物館のビルディングも、この10年で経験したことのないほど大きく揺れました。
 そして、4月11日。大阪では桜が満開になり、桜の名所・大阪城公園にはたくさんの花見客が詰めかけています。

 私は、16年前、阪神淡路大震災のとき、大阪城内の旧市立博物館に勤めていました。震災から約2カ月半後、城内ではいつもと同じ桜が満開になりましたが、宴会をする花見客はほとんど見られませんでした。翌年も翌々年も、花見の宴席は少なかったように思います。
 昨日、大阪城天守閣を訪ねる際、私は“自粛”ムードでお客さんも若干少ないかなと思っていたのですが、案に反して大勢の人たちが花見に訪れていました。
 
 今年は、いったいどういう年になっていくのか。とても気懸りに毎日を送っています。

 先ほど会った歴史研究者の先輩が、こんな話を言っていました。

 著名なフランスの歴史家マルク・ブロックが、先輩の歴史家アンリ・ピレンヌとある街を訪れたときのこと。ブロックが、「さて、どこから見ましょうか」と問うと、ピレンヌは「新しく市役所が出来たから、そこに行きましょうか」と言ったという。驚くブロックに、ピレンヌは「もし私が好古家なら古いものしか見ないだろうけれど、私は歴史家だから“生”を好むのだ」と語った、という。

 ピレンヌが言うように、歴史学とは単に古いことを学ぶ学問ではありません。それを敷衍すれば、歴史博物館も単に古いことを扱う施設ではない、ということになります。逆説的ですが、これは「歴史」というものをどう捉えるかにかかわる重要な問題です。
 つねに、そして今こそ、現在の“生”と共に歩む姿勢が博物館に求められています。






大阪城の桜は満開。






  大阪城4


 きれいな桜ですねぇ!
 大阪城の内堀沿いに咲く桜並木。
 
 今日は、午後、打合せで大阪城天守閣へ行ってきました。
 いつものように、自転車で行ったのですが… この通り!


  大阪城1

 
 自転車に乗るどころではなく、ほとんど押して歩いた… 

 天守閣は、今年、いまの天守閣が建設されてから80周年になります。「復興80周年」の幟が、そこここに。


  大阪城2


  旧市立博物館


 ついでに、昔の大阪市立博物館。私は、10年前まで、ここで働いていました。案外、この建物を写真に撮る観光客が多いのです。人気があって、うれしいです! 天守閣と同じ昭和6年(1931)に出来ました。

 そして、天守閣!


  大阪城3


 80年たつと、やはり名城ですね。
 チケットを買うのにも行列、エレベータに乗るのにも行列。今日は、1万人くらい来館されるのでは、という話でした。

 大阪城公園の桜は、完全に満開ですが、あと2、3日は持ちそうでした。まだの方は、月曜・火曜がチャンスです!







山村流 舞の会






  山村流舞の会1
  山村若さん(「どんでん」)

 本日は、<山村流 舞の会>第1回を開催しました。

 山村流 六世宗家の山村若さんをはじめ、山村郁子さんら13名の方の舞が披露されました。
 はじめに宗家が「どんでん」を舞われました。


  山村流舞の会2
  「どんでん」を舞う山村若さん


 短いものでしたが、上方舞らしさに加え、弾んだ愉しさも感じられる舞を拝見しました。
 山村流の舞の世界。なにかと忙しい日常に追われている身としては、ほっとするような、気持ちが落ち着くような、結構な会でした。

 来場者のみなさま、関係者のみなさま、ありがとうございました。

 次回は、4月23日(土)です(午後1時より入場整理券配布、1時30分開場、2時開演)
 舞組をご紹介しておきます(やむを得ぬ事情により変更される場合もございますので、ご了承ください) 

   萬 歳    山村 光
           山村若光音

   ひなぶり   山村若光帆

   姫三社    山村若光瀬

    ぐ ち     山村若光子

   十二月    山村 光   唄・三絃 澤千左子

   浪花十二月 六世宗家
            山村 若   唄・三絃 菊央雄司


 次回も、常設展観覧券のご提示で、ご覧いただけます。
 ぜひ、お越しください。
 




山村流舞の会、開催します!






 4月9日(土)、<山村流舞の会>を開催します!

 開演は、午後2時から。大阪歴史博物館・4階・講堂にて。
 午後1時から、入場整理券を配布します。
 無料でご覧いただけますが、常設展観覧券が必要です。

 はじめての方も、お気軽にご参加ください。

 詳しくは、当館ホームページ を!

 なお、4月23日(土)、5月21日(土)にも、開催します。


  上方表紙
  特集展示に陳列中の『上方』(肥田晧三氏蔵)



新年度の特集展示ラインアップ






 今日は、大阪でも最高気温が21.8℃まで上がり、暖かい一日でした。桜も満開になりましたね。

 昨日から開催している特集展示「上方舞・山村流」。上方らしい、粋(すい)な、しっとりとした世界を展観していますので、ぜひご覧ください。今日は、そのあとに控える新年度の特集展示ラインアップを紹介します。


  5月25日~7月4日 ≪懐かしい市電とバスのある風景≫

  7月6日~10月3日 ≪新発見! なにわの考古学2011≫
 
  10月5日~12月5日 ≪古文書からみる大坂の町≫

  12月7日~2012年2月13日 ≪摂河泉の古瓦≫

  2012年2月15日~4月2日 ≪装剣奇賞出版230年記念 刀装・根付・細密工芸の華≫


 展示の概要は、大阪歴史博物館のホームページでもご紹介しています。

 大阪歴史博物館の特集展示は、そのほとんどが大阪の歴史や文化を扱っています。あわせて、豊富な館蔵コレクションの紹介にも努めています。
 年間6本ほどの展観を実施しており、学芸員が自らの調査研究活動を通して温めてきたテーマを展示します。特別展に比べると小さな展示なのですが、キラッと光る企画も多く、お客さまに好評です。

 今年度も、6本を展開。
 ≪懐かしい市電とバスのある風景≫では、大阪市交通局が所蔵する貴重な写真、ポスターなどを一堂に展示。
 毎年恒例の新発掘された出土品を展示する≪新発見! なにわの考古学2011≫は、7月からの開催です。
 ≪摂河泉の古瓦≫では、当館所蔵の古代・中世の瓦を紹介します。なかなか渋い企画ですね。年末年始に展示します。
 
 常設展示の一部ですので、常設展示観覧券でご覧いただけます。







特集展示「上方舞・山村流」 オープンしました!






 特集展示「上方舞・山村流」が、本日オープンしました!


    山村流3


  山村流は、江戸時代にはじまり、<上方舞四流>のひとつに数えられる大阪の舞踊の流派です。今回は、当地ゆかりの舞の世界を、山村流のご協力をたまわり、紹介する展観です。


   山村流2


 展示は、次のコーナーから構成されています。


  *流祖・初代山村友五郎の時代

  *歌舞伎舞踊と山村流

  *近代の山村流

  *地唄「雪」と流石庵羽積


 下の写真は、<近代の山村流>で展示している衣裳です。


   山村流1


 大阪の画家・菅楯彦(すがたてひこ)がデザインした着物だそうです。楯彦の夫人は、以前このブログでも紹介した南地・富田屋の芸妓・八千代。彼女もまた、山村流だったのですね。この着物は、八千代さんが二代目山村友を襲名する妹弟子・豆奴に贈ったもの。写真では分かりづらいですが、細かい絞りのついた華やかな衣裳です。

 このほかにも、興味深い資料が多いので、追々紹介していく予定です。
 
 展示は、5月23日(月)まで、大阪歴史博物館・8階・特集展示室にて開催中です。





電柱のない街 ~ 綿業会館界隈 ~






 今朝は、会議でガスビルに行ってきました。こちらでは、大阪ガスの本社ビルを親愛の情をこめて<ガスビル>と呼んでいます。

 帰り道、いい天気なので、大阪歴史博物館まで歩いて帰りました。そうしたら、途中で綿業会館に遭遇。
 綿業会館の前を通るのは久しぶりの気がするけど、街路がずいぶん綺麗になったなぁ。


  綿業会館


 よくご覧いただくと、電柱がないでしょう。
 この街路、三休橋筋(さんきゅうばしすじ)というのですが、近年、電線の地中化が進められているのです。私は、仕事でよく北の方へは行くのですが、そこも地中化されていたので、もうすべて完成したのでしょうか。計画の概要は、大阪市のホームページ でご覧ください。
 よく見ると、信号機もこげ茶色に塗られています。

 そして、瓦斯灯も設置。


   瓦斯灯


 大阪ガスなどの寄贈によるもの。こちらは、大阪ガスのホームページ をご覧ください。

 綿業会館は、1931年竣工で重要文化財に指定された名品ですが、アメリカンボザールの影響を受けた渡辺節の作品らしさが際立ってきましたね、この街路改修で。景観が、アメリカの都会風にすっきりしました。
 戦前の堺筋周辺の写真を見ると、とても大阪とは思えない、欧米の薫りがします。“清新な白亜のビル街”という感じなのですね。その雰囲気が、いまの綿業会館あたりには漂ってきた。愉快なことです。瓦斯灯、夜はさぞかし美しいでしょうね。ちょっと時代感がミスマッチかも知れませんが、“時代を超えた融合”と考えれば、これも楽しい。

 北の方にある高麗橋ビルディングと日本基督教団浪花教会も、通りの電柱がなくなって、とても美しく眺めることが出来ます。前がアパホテルなので、スペースもゆったりです。
 
 たかが電柱、されど電柱。
 こういう動きが広がると、街も生き返るでしょうね。





後期難波宮の柱根を展示中!






     難波宮柱根展示


 大阪歴史博物館の常設展示(10階)で、先日から後期難波宮の柱の一部を展示しています。


   難波宮柱根


 掘立て柱の柱根で、コウヤマキの材と考えられます。
 難波宮の発掘で、建築部材が出土するのは珍しいこと。

 コウヤマキ(高野槇)といえば、こちらでは庭木でもよく見かけますね。紀伊半島の湯の峰温泉に行ったとき、ある旅館では浴室の材にコウヤマキを使用していました。
 古墳時代には、木棺の材料としても使われたといいます。

   難波宮柱根アップ


 この写真では分かりにくいのですが、チョウナで削った痕跡も観察されます。

 ぜひ一度、展示室で確認してみてください。
 詳しくは、当館ホームページ で!







初対面の人の名前を覚えるには…






 4月ですので、新社会人の方にも役立つ話題を提供。
 それは、初対面の相手の名前を覚えるコツ。

 私たち学芸員は、モノ相手の仕事と思われがちですが、モノは必ずヒトとくっついています。つまり、誰のものでもないモノはない、ということで。
 あるいは、一社会人としても、仕事関係の方の名前を覚えないといけない。

 しかし、同僚と話していても、<名前が覚えられない…>という悩みが多いようです(もちろん、もう悩まない! と割り切っている人もいるようですが)。

 私は昔から、<プロ野球選手連想法>を使っています!

 つまり、会った人の名前と、知っている野球選手とをくっつける方法です。

 たとえば、≪高田さん≫と会ったら、巨人V9時代の≪塀際の魔術師・高田繁選手≫とくっつけて覚える。≪柴田さん≫は、≪赤い手袋の盗塁王・柴田勲≫で覚える。≪高木さん≫なら、≪ドラゴンズの名二塁手・高木守道≫とくっつける、などなど。
 ちなみに、現在プロ野球に在籍している監督・コーチ・選手は700人近くいます。私たちが出会う人の名前をほとんど網羅している? ともいえそう。
 もちろん、過去の選手も覚えているのですから、だいたいOKです。
 私くらいの年齢になると、コドモ時代に覚えた選手とくっつける方が、確実に覚えられます。

 もし、あなたが、野球は苦手だけどJリーグはいける、というのならば、サッカー選手で覚えればいい。こちらもかなりの人数がカバーできるはず。

 この記憶法は、あながちいい加減なものではないのです。
 ギリシャの昔から<記憶術>というものがありますが、その有効な方法として、自分の知っているものと新規のものとを結び付ける方法があります。
 たとえば、家から駅までのルートの場所を用いる方法。つまり、①玄関、②ポスト、③図書館、④コンビニ、⑤交番…というふうに、歩く途中で目立つものをマーキングしておき、そこに①伊藤博文、②黒田清隆、③山県有朋、④松方正義、⑤伊藤博文…と結び付けていく方法です。
 あるいは、①頭、②眉毛、③目、④鼻、⑤口…と、自分の身体を目印にする方法もあります。

 私は、そのような方法は、とても無理なのですが、<プロ野球選手連想法>はすごく覚えられるんですね。それで、ずっと活用しています。
 まあ、プロ野球選手にない名前というのも、たまにはあるのですが… それは、なんとか覚えます(笑)

 みなさんも、新年度、ぜひ試してみてください!






ナゾの缶






 大阪歴史博物館の学芸セクションには、2つの課があります。
 すなわち、学芸課と企画広報課です。
 学芸課には、3つの係、すなわち、学芸第1係、学芸第2係、学芸第3係があります。最初の頃は「刑事ドラマみたいやなぁ」と喜んでいたのですが、まあそれは初めだけ。
 企画広報課には、2つの係、すなわち、企画広報係と情報資料係があります。

 4月1日には、その係間で人の異動があります。異動といっても、同じ部屋の中なので、たいしたことはないのですが、なにせ学芸員には“持ち物”が多い人もいるものですから、席替えは一大事です。

 席替えのついでに、古い荷物の整理もやってみました。
 すると、こんなものが出てきた… 



   なぞの缶1


 銀色をした謎の缶。“Mini Pax”と書いてある。でも、何か分からない。堅いフタが締められているが、開ける勇気もない。


  なぞの缶2


 フタの上部には“CAUTION”の文字が!
 なんなのか、かなり警戒!

 こいつが入っていた段ボールに<H>という写真会社の名前が入っていた。うーん、写真関係の溶剤とか何かなのか…

 そこで思い出した。今日は確か<H>の営業マンが来られる日だ。

 そして、夕方。営業のKさんが来館。見せてみると、即答! 
 「シリカゲルですね」。
 なーんだ、と胸をなでおろしたのは言うまでもありません。


  なぞの缶3
 

 よく見ると、4年前の購入物でした。
 まだ使えるとのことでしたが、整理整頓は早くやるにこしたことはありませんね。






プロフィール

なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。