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博物館と回想法






 かつて学芸員をやっていた大学の先生と話をしていたら、<回想法>という言葉が出てきました。先生は、博物館実習の担当もされているので、<博物館と回想法>について関心があるようです。

 回想法とは、高齢者が過去の思い出を想起するように働きかける心理療法だそうです。高齢者が、それまでの人生を振り返り、そのまとまりをつける効用があるといいます(専門的には「統合」というそうです)。このことが認知症対策になるということは、容易に想像がつきます。
 年配者が昔話をすることは、ともすると否定的に捉えられがちですが、そのことに積極的な意義を見出すのが回想法です。米国で、すでに1960年代にロバート・バトラー博士が提唱したものです。

 この話で思い出しました。先生と話す2、3日前、特集展示「懐かしい市電とバスのある風景」会場でのこと。
 自分は昭和8年(1933)生まれとおっしゃる男性の方が、私たちに熱心に少年時代のことを話してくださったのです。市電の散水車の写真を見て、こどもの頃、よくこれを見に行ったものだ。まかれる水のそばにいると、とても涼しかったと、昨日のことのように語られるのです。
 まさに、これが回想法なのですね。

 先生が言われた愛知県の旧・師勝町の博物館の例。いま北名古屋市歴史民俗資料館となっています(旧・師勝町歴史民俗資料館)。
 私も、かつて視察に訪れたことがあります。“昭和日常博物館”の別名があるように、戦後の懐かしい街角復元や日常生活に用いられた資料が多数展示されています。あえていえば「三丁目の夕日」的な世界がひろがっているのです。
 この博物館で、回想法が実施されています。詳しくは、北名古屋市の地域回想法、さらには 市橋芳則学芸員の論文 をご参照ください。

 先生に、“なにか参考文献ない?”と訊ねられたので、調べてみました。このブログでも「節分の恵方巻」の専門家として登場し、かつて学芸員でもいらっしゃった岩崎竹彦さんの編著『福祉のための民俗学-回想法のススメ-』(慶友社、2008年)はどうでしょうか。

 私は、近代史を専門とする学芸員なので、<回想>というテーマは自らの仕事に大いに関係があります。かつて行った大阪の写真展や、プロ野球の展覧会、そして今回の市電とバスの展示、いずれも数十年から百年くらい前の出来事を扱うもので、<回想>できる範疇に入りますね。
 こういう展示では、見知らぬお客様同士が昔話に花を咲かせることが多いのです。意図的に回想法と言わなくても、自然にそういうことが行われるのですね。

 この課題については、これまで余り考えたことがなかったのですが、少し勉強してみる必要もあるかと思いました。






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代掻き、溝浚え






 仕事で出掛けた帰り道。こんな風景を見ました。


   代掻き


 代掻き(しろかき)です。

 角川文庫『俳句歳時記 第四版』によると、こうあります。

 田植前の田に水を引いて掻きならし、田植ができる状態に整えること。田掻く・田代掻くともいう。田植の準備ができた田を代田という。

 懐かしい風景ですが、いまはトラクターの作業ですね。

  代かくやふり返りつつ子もち馬  一茶

  代掻きの後澄む水に雲の影  篠田悌二郎

  代掻きてひらたくなりぬ夜の出雲  門脇今次

 歳時記を見ていて、「代掻き」の前に、こんな言葉がありました。

  「溝浚へ(みぞさらえ)」

 もう何十年も聞いていなかった言葉でした。文字通り、溝をさらえることです。
 こどもの頃、家の近所の溝が大人によってさらえられて、溝の脇に汚い木の枝などが上げられていた光景を思い出します。
 夏の季語ですが、もちろん昔はそんなことも知らず、ふつうに聞いた言葉でした。それを何十年も使っていなかったとは… 時代が変わったのですね。

  朝靄の溝浚へとはなつかしや  八木林之助






環状線と山手線は似ている?






 前回、大阪の環状線展を見た話を書きました。

 輪になっている路線といえば、大阪環状線とともに、東京の山手線がありますね。私も東京出張などでよく乗ります。でも、なんとなく分かりにくいのですね、慣れなくて… 山手線に、京浜東北線とか埼京線とかが混じって走っているので、関西人にはちょっと“?”です。

 この山手線、いまは環状ですが、大阪と同じで、もしかすると元々は環状じゃなかったのでは? ということで、調べてみました。
 やっぱり、環状じゃなかった!

 東京に出入りする鉄道は、明治前期、いまの東海道線の起点が新橋、東北線が上野でした。
 東北線を運営していた日本鉄道は、東京の街を縦断して東海道線とつながる路線を敷設したかったのです。しかし、東京市街(いまの上野駅-東京駅-品川駅あたり)に線路を敷くとなると、家が建て込んでいて用地買収や工事も大変になります。そこで、その地域を迂回する形で、東方の山の手側にルートを取ったのでした。これが、山手線の第一歩で、明治18年(1885)のこと。品川と赤羽を結びました。

 当時、そのあたりは東京の外縁部、ひなびたところでした。例えば、そのとき開設された新宿駅。「新宿」という名は、甲州街道の内藤新宿から来た名前。宿場町だったのです。地名としても、新宿というより「角筈(つのはず)」という名が通っていました。また、駅の東には、数年後に広大な浄水場が作られます。ヨドバシカメラの名にも付いている淀橋浄水場です。

 明治36年(1903)には、池袋から東北線の田端まで線路ができ、上野まで列車が走れるようになりました。その後、大正時代には新橋-東京間にも路線が敷設されます。このとき、いまの中央線もできていたので、“「の」の字運転”が始まったのです。
 つまり、上野-田端-池袋-新宿-品川-新橋-東京-四ツ谷-新宿-中野、というルートです。「の」の字というか、「6」の字のような形ですね。


  山手線路線図 <山手線…関西人のために、ちょっと描いてみました>


 結局、上野と東京がつながって、いまのような環状運転が始まったのは、大正14年(1925)のことでした。
 大阪環状線の環状運転は昭和39年(1964)開始ですから、40年も早かったわけです。

 こうみてくると、大阪も東京も、どちらも最初は環状にするつもりはなかったこと、市街地を避けて線路を敷設したこと、環状運転の前に“「の」の字運転”をやっていたことなど、似ている点が多いですね。

 以上の記述あたっては、川島令三・岡田直『鉄道「歴史・地理」なるほど探検ガイド』(PHP研究所、2002年)などを参考にしました。この本は、タイトルのイメージとは異なって、大都市部の鉄道史を詳細かつ平易に述べていて、勉強になります。大阪のこともかなり載っていますので、興味のある方はご一読を。

 たまには東京のことを勉強するのも、都市比較になって面白いですね。





弁天町の交通科学博物館に行ってきた






 梅雨入りして、今日もずっと雨ですね。
 台風も接近とあって、明日(5月29日)予定されている見学会「大坂ぐるり町あるき」も、中止することに。午後から、担当学芸員らが一軒一軒電話連絡しています。ご苦労さまです!

 しかし、大阪歴史博物館の特別展示室は、かなりの熱気。今週、突如もりあがりをみせた正阿弥勝義人気! その作品を展示する特別展「幕末・明治の超絶技巧」が明日29日までとあって、駆け込みでご覧になる方が多数お見えです。

 そんな中、私は朝の時間を利用して、弁天町にある交通科学博物館に行ってきました。
 ここに来るのは、かなり久しぶり。駅を降りて入口が分からず、売店の人に聞いてしまった…

 お目当ては、これ!


   環状線展


 ここで紹介していて何なのですが、こちらも明日まで! です。
 というわけで、駆け込みで行ったのでした。

 久々に館内に入って驚いたのは、お客様の多さです。かなりにぎわっていて、こどもさんの団体やグループが多そうでしたが、わいわい楽しそう。
 
 企画展は一番奥で。
 <大阪環状線 開業50周年記念 企画展 ぐるっとまわって50年>です。

 環状線の歴史が分かりやすく説明されています。
 なるほど、と思ったのは、創設期のこと。
 環状線は東半分と西半分が別々の経緯で造られたのですが、東の大阪-天王寺間は大阪鉄道が建設しました。
 このルートは、大阪-玉造-天王寺と走っていますが、これまで何とも思っていなかった。
 実は、この経路、大阪の中心市街を避けて通したのだそうです。開業は明治28年(1895)ですから、大阪市が成立してから6年目。当時、このルートは市域外でした。河川も多く、土地の買収も必要なことを考慮すると、市街を避ける方が安価に建設できたようです。
 ちなみに、その2年後の明治30年(1897)に市域が拡張され、この線路(のちの城東線)の内側までが大阪市となったのでした。

 歴史をさかのぼってみると、なるほどと思うことも多いですね。

 環状線がつながったのは、昭和36年(1961)のこと。しかし、当時はまだ大阪-西九条間だけが高架されておらず、ぐるぐる回る環状運転はされていませんでした。
 国鉄的には“逆「の」の字”運転といわれていたようですが、西九条-天王寺-大阪-西九条-桜島と運転していたそうです。つまり、大阪駅から弁天町へ行くとすると、一度西九条で乗り換える必要があったのですね。地上線から高架線へ。
 これも、へえ~、ですよね。

 以前やった写真展で、昭和36年に開業式が行われた弁天町駅ホームの写真を見たことがあります。振袖の女性がたくさん居並び、カメラの砲列が何十台も、後ろは高い脚立を立てている。その背後には、大きな照明が2灯煌々と光を放っている。よく見ると、線路にも記者が降りてカメラを構えている…
 そんな写真です。
 熱気と喜びが伝わってきます。

 それから50年。
 環状線は、大阪にとってはなくてはならない路線になりました。
 こういう展覧会を行って歴史を振り返るのも、意義あることですね。




NHKBSプレミアム再放送日について、お詫びと訂正






 昨日ご案内したNHKBSプレミアム「極上美の饗宴」-正阿弥勝義特集-再放送日について、誤りがありました。
 正しくは、下記の通りです。

  5月28日(土)正午~12:58 

 みなさまには、ご迷惑お掛けしました。
 訂正して、お詫び申し上げます。

(なお、該当ページについては、すでに訂正しております)






NHKBSプレミアム・正阿弥勝義特集の再放送予定






 正阿弥勝義を特集したNHKBSプレミアム「極上美の饗宴」。
 見逃した方のために、再放送日をお伝えします。

 NHKBSプレミアム「極上美の饗宴」  
 ≪シリーズいのち映す超絶工芸▽金属に刻んだ一瞬 彫金家・正阿弥勝義≫

  5月28日(土)正午~12:58

 もう一度見たい方もぜひ!

 正阿弥勝義(1832-1908)は、津山藩の金工家に生まれた作家ですが、明治時代、内外の博覧会に出品し続けただけあって、西洋人好みの作品も多いですね。現代人が見るとキッチュな奇作もあります。


   超絶技巧2
  正阿弥勝義「鯉鮟鱇対花瓶」のうち鮟鱇【あんこう】(清水三年坂美術館蔵)


 たとえば、こんな作品。アンコウですが、ハモが巻き付き、写実と幻想の狭間に遊ぶ雰囲気です。BSで紹介された勝義像とはちょっと違った面白さが垣間見られます。
 実は、私はこういう作品も好き。みなさんも展覧会場で見てください。

 大阪歴史博物館の特別展「幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸」も、5月29日(日)まで開催中です!







特集展示「懐かしい市電とバスのある風景」が開幕しました!






 今日から、特集展示「懐かしい市電とバスのある風景」が始まりました。


  特集展示2


 大阪歴史博物館が、大阪市交通局と共催で行っています。
 交通局から、貴重な資料を多数出品してもらいました。昔の写真だけでも、明治30年代後半から昭和40年代頃にかけて、42枚が出品されています。大阪の街を走る市電・バスなどが登場する写真です。

  特集展示1

  特集展示5


 ふだん見られない車両模型も展示!


  特集展示3


 おまけに、グッズ類も展示!


  特集展示4


 初日の今日も、朝から熱心なファンの方がお見えです。年配の方は、懐かしそうに昔の街と電車のことを語り合っておられます。

 この展示は、7月4日(月)まで開催中。

 出品資料については、改めてご紹介したいと思います。

 開催内容は、<なにわ歴博ホームページ> で!






NHKBSプレミアム<極上美の饗宴>、正阿弥勝義特集、オンエア!






 NHKBSプレミアム<極上美の饗宴>で、明治の超絶的彫金家・正阿弥勝義の特集、放映されました!


   柘榴に蝉飾器1 柘榴に蝉飾器 清水三年坂美術館蔵


 このブログでも何回か取り上げましたが、このセミのいる作品もオンエアで出てきましたね。

 今日の9時台、当ブログのアクセス数も急上昇!
 <極上美の饗宴>を見て、いかに多くの方が正阿弥勝義に興味を持たれたかを示しています。

 勝義の技巧、やはり超絶的ですよね。現在の人間国宝の方でも、なかなか真似できないのですから…

 セミのいるザクロや、カマキリのとまった香炉など、放送された作品のいくつかをはじめ、勝義の作品が、大阪歴史博物館の特別展「幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸」で展示中です!

 会期は、次の日曜日、5月29日(日)まで。
 あと1週間!

 実物をご覧になりたい方は、会場へ急げ!!


  <大阪歴史博物館ホームページはこちら>







いよいよ来週から! なにわ歴博講座のお知らせ






 いよいよ来週から、恒例の<なにわ歴博講座>がスタートします。

 今年度の初回シリーズは、≪なにわの考古学 さまざまな視点による過去の復元≫です。

 その第1回は、6月3日(金)午後6時30分から。
 大陸文化にも詳しい寺井誠学芸員が、「渡来人の故郷を求めて」と題して講演します。
 寺井学芸員による内容紹介です。

 
 5世紀の日本列島は、朝鮮半島からさまざまな文物・技術が伝わり、大きく変革します。
 その新しい文化を伝えたのは「渡来人」と言われますが、彼ら彼女らは朝鮮半島のどこから来たのでしょうか。
 考古学の研究成果を見ながら、渡来人の故郷を探り、当時の日本列島と朝鮮半島との交流のあり方についてお話します。


 会 場:大阪歴史博物館 4階 講堂
 時 間:午後6時30分~7時45分(受付6時~)
 参加費:200円
 定 員:250名(当日先着順) 





展示のキャプションを作る(つづき)






   題せん1


 前々回取り上げたキャプション作り。だいぶん出来てきました。
 今日は、その作り方をさらに公開!

 この前に紹介したように、パソコンで作ったデータをプリントアウトします。
 当館では、業務用プリンタで一気に出力。写真は、題簽20枚分です。


   題せん3


 これをベースに貼り付けます。
 ベースは、俗にいう<ハレパネ>。もとは畳1枚ぐらいあるパネルです。スチレンボードというのでしょうか、簡単に切れる化学素材です。


   題せん4

   題せん2


 <ハレパネ>という名称は、プラチナ万年筆の商標ですね。まあ、ノリ付きパネルとでもいうのでしょうか。他に<ウッドラックパネル>(ダウ化工)などの商品があります。
 このパネルは、剥離紙をはがすとノリの付いた面が現れまして、そこにプリントアウトした紙を貼ります。貼ってから、周囲をカットします。


   題せん5


 プリントアウトに、このようなトンボ(切る目印)が付いているので、それをガイドにしてカッターで切ります。


   題せん6


 
 出来上がりです。
 文章を書いてしまえば、あとは案外簡単に作れます。
 当館では、壁に付けるパネルは、手前に置くものより大きめに作成しています。

 ハレパネは、東急ハンズみたいなところで売っているのでは。通販でも買えるようですね。

 とにかく題簽はたくさん作りますから、文章を速く書くことも大切です。そのせいか、結構まちがいが発見されて作り直すこともあるのですが…
 あと、字数が限られているので苦労します。今回(あるいは当館の常設展示の場合)、およそ140字ぐらいで書いています。案外短いのです。最近は、どの博物館も簡潔にする傾向があって、私の先輩が勤めている九州の館は、90字程度だと言っていました。
 
 今回、結局100枚近く作りましたので、会場で全部お読みいただくと、原稿用紙にして30枚以上! の分量になります。
 読んでいただくのも大変なので、やはり短い文章の方がいいのでしょうか。

 というわけで、題簽づくりも一段落。
 陳列は、休館日の火曜日に行います。

 特集展示「懐かしい市電とバスのある風景」は、5月25日(水)スタートです!






NHKBSプレミアム「極上美の饗宴」で、正阿弥勝義が特集!






 以前、「超絶技巧展」がNHKBSプレミアム「極上美の饗宴」で取材されました! でお伝えした通り、番組がいよいよ5月23日(月)午後9時からオンエアです。

 大阪歴史博物館の特別展「幕末・明治の超絶技巧」(5月29日まで開催中)で展示されている資料も、登場します!

 詳しくは、番組ホームページ をご参照ください。

 ≪金属に刻んだ一瞬 彫金家・正阿弥勝義≫です。

 お見逃しなく!






展示のキャプションを作る






 博物館に行くと、展示品に解説が書いてありますね。俗に、キャプションなどともいいます。大阪歴史博物館では、昔ながらに<題簽>(だいせん。題箋)と呼んでいます。

 かつては、これも手書きで作られていました。かなり昔に見た記憶があります。この博物館のどこかにも、大先輩が作った手書きの題簽が眠っている気がするのですが、見付けられませんでした…
 
 その後、ワープロで作っていた時代もあります。私などは、かつて(大阪市立博物館時代)は、ワープロで作成していました(≪書院≫です!)

 そして、いまは… 当然コンピュータで作っています。


   キャプション1


 今日の風景。いまは、特集展示「懐かしい市電とバスのある風景」(5月25日~7月4日)の題簽、パネルづくり。
 イラストレーターというソフトで作成中です。


   キャプション3


 こちらが題簽ですね。
 今回は、100枚まではいかないけれど、それに近い枚数を作る必要があります。いま50枚以上できています。

 下が、コーナーの冒頭に付けるパネルです。これは、たった4枚。


   キャプション2


 まあ、ベースは同僚学芸員の作ったものを流用してるのですが… 色が、前からずっと同じ! みたいなので、今回はバスの色にあわせようかと考え中。

 この題簽づくり。最初は不慣れで難しかったのですが、10年たつと、それなりに出来るようになるみたいです。私のようなパソコン音痴でも…

 これから学芸員になる若いみなさんは、当然、大学などでパソコンに習熟されるでしょうから、心配要りませんね。
 
 でも、同僚が言っていたこと。
 ある博物館では、今あえて手書きの題簽を付けているとか。これって、かえってお洒落ですね。

 ということで、特集展示まであとわずか。取材依頼も、ぼちぼち来ていますので、明日も題簽づくりに励みます!





今回は<歴史>とは縁のない話題。






 いよいよついに、という感じです。
 発売された月刊誌「陸上競技マガジン」6月号(ベースボールマガジン社)。


  陸上競技マガジン表紙


 中京大学3年の市川華菜選手(20)が表紙になりました。
 ゴールデングランプリ川崎(5月8日、等々力)、女子4×100リレー、43秒39に日本新記録が出ましたが、その4走に市川選手が走りました。この大会の枠、昨年までは大阪の長居競技場でやっていたもの。来場者が少ないとか、いろいろ難点もあって、ついに大阪を去り、川崎で行われるようになりました。大阪歴博の私としては大変残念!

 ともあれ、今年は市川選手、大躍進ですね。しかし昨年度から、ランキング的にいえば、100mは7位(11秒66)、200mは4位(23秒73)、世界ジュニア選手権200mで8位入賞ですから、トップクラスの一角であったわけです。でも、まだ19歳だったせいもあったのか、一般にはあまり注目されていませんでした。
 ところが、今年。4月29日、私が観に行こうとして大渋滞に巻き込まれ行けなかった織田記念国際(広島ビッグアーチ)。福島千里が欠場した100m決勝、今年も来日したメリッサ・ブリーン(豪)と競り合い、11秒28(+2.6)で2位。ビッグアーチは強い風が吹くスタジアムですが、追い風参考ながらよく走っています。1位のブリーンとの差は、0.01秒。映像で見た限り、まったく離されない力強い走りで、負けてなお強し、という粘り腰でした(予選タイムは11秒43=日本歴代7位)。

 映像で見た私は、急遽5月3日の静岡国際(エコパ)に駆け付けました。ここでは200m。予選から軽快な走りでしたが、注目したのは決勝。1位は福島23秒13。2位は、高橋萌木子と市川が鋭い接戦となって、市川が競り勝って2位(23秒63=日本歴代7位)。福島とはタイム以上に地力の差が感じられましたが、高橋とは直線肩を並べても一歩も譲りません。高橋が復調未だという感があるとはいえ、ここでも負けてなお強し、という印象でした。

 身長は163cmと大柄でもないのですが、身体がよく動いており、本来200mが強い選手とあって、後半の伸びが見られます。スタートも徐々に改善されているのでしょう。そして、なんといっても競り合っての強さ、これが大きな期待を持たせます。
 福島選手との差は、100mでは、11秒21(福島、日本記録)-11秒43(市川)と0.22差。200mでも、22秒89(福島、日本記録)-23秒63(市川)と、0.74と大きな開きがあり、これは早々には埋まらないでしょう。しかし、高橋、渡辺、佐野、岡部、今井らに対しては凌駕する勢いにあります。
 今夏テグで開催される世界選手権には、4×100mリレーのメンバーに入りそうです。そして、100mと200mでは、B標準突破に向けてがんばってほしい。6月の日本選手権が楽しみになってきました。

 最後にひとこと。静岡国際では、今季復帰の為末大選手が400mハードルに登場。そのときのスタジアムの拍手喝采は、この日一番でした。ベテラン復活を果たしてもらい、陸上競技を盛り上げたいですね。





映像フィルムの保存・修復






 博物館には、膨大で多様な資料が所蔵されています。これらの資料のなかには、傷みが生じたものもあります。その場合、修復が必要になります。
 たとえば、掛軸や屏風の表具(表装)の修復などは、その代表的な例です。

 私の担当する近代資料では、新しい時代ならではの特殊な傷みをもつ資料があります。
 ひとつは、紙の酸性化。ご存知の<酸性紙>の問題で、空気に触れやすい紙の周辺部からボロボロと朽ちてくる現象が起こります。終戦直後(1945年~)の紙質は極めて悪く、半世紀以上たった現在、ほとんどこの状態に陥っています。洋紙に生じる悩ましい問題です。
 修復には、<脱酸化>という手法がありますが、コストの問題から、現実には大量に脱酸化処理を行うのは困難です。

【映像フィルムの種類と素材】

 いまひとつは、映像フィルムの問題。今日は、いま取り組みつつあるこの事例ついて、少し詳しく述べてみます。
 大阪歴史博物館にも、戦前の映像フィルムが収蔵されています。これらは、一般の方が趣味として撮影したもので、家族や住まいの周辺、旅行の様子などが写されています。
 フィルムのサイズには、主に35mm、16mm、9.5mm、8mmがあり、35mmは劇映画のサイズですので当館にはありません。9.5mmは、一般にはご存知ないサイズだと思いますが、戦前家庭用に流行した<パテー・ベビー>などに用いられていたサイズです。コマ送りするための穴(パーフォレーション)が中央に付いているのが特徴です。8mmは、戦後大流行しますが、昭和初期に登場し、戦前でも用いられていました。

 いま私は、この8mmフィルムの保存・修復を検討しています。
 フィルム保存の困難さは、それが人工的に合成された化学物質で出来ている点から生じます。
 古いフィルムが自然発火する、という話を聞かれた方もいるかも知れません。事実、かつては頻繁にこの現象が起こり、映画撮影所などが爆発・炎上する事故が起きていました。これは、フィルムベースが硝酸セルロース(ニトロセルロース)で出来ていたためです。この発火性のあるフィルムをナイトレートフィルムと呼びます。1950年頃まで使用されていました。ただし、このフィルムは劇映画用なのです。家庭用フィルムが発火しては大変ですから、戦前から家庭用は不燃素材で作られていました。その素材が、酢酸セルロース(アセチルセルロース)です。

【ビネガーシンドローム】

 しかし、この素材は保存上の問題を含んでいて、時間がたつと加水分解という作用を起こして、自ずと劣化していくのです。どの程度の時間で劣化し始めるかは条件によりますが、目安30~40年位ともいわれています。つまり、戦前のこのフィルムはすべて劣化していると考えてよく、戦後に撮られたものでもそろそろ始まると考えてよいでしょう。この劣化を<ビネガーシンドローム>と呼んでいます。

 ビネガーシンドロームが始まったことは、簡単に判別できます。鼻を近づけて酸っぱい臭いがすれば、それが劣化の第一歩です。そのあと、ねばつく、白い粉を吹く、ワカメのように波打つ、ほどけない・割れる・折れるなど硬化する、といった現象が起こります。基本的に、これらの現象はどんどん進行していきますから、止めることは困難です。

【保存環境】

 そのため、劣化をやわらげる保存法を講じなければなりません。つまり、保存環境を良好にするということです。通常、博物館の収蔵庫は(資料にもよりますが)温度は20℃代前半、湿度は50~60%程度でしょう。しかし、このフィルムの場合、2℃~5℃、湿度40%前後が好ましいのです。たいへん低温で、専用収蔵庫に入ると寒いくらいの温度です。
 ふつうの博物館で、この環境を持つことはなかなか難しいでしょう。映像専門の国立近代美術館フィルムセンター(神奈川県相模原市に立派な収蔵庫がある)や、関西でも映画に力を入れている京都文化博物館などに専用収蔵庫があります。

【フィルムの実例】

 実際に、当館の8mmフィルム(昭和12~13年頃撮影)を見てみましょう。


  フィルム1


 フィルムは、このような缶に入っている場合が多いのですが、これは劣化を促進させる元になります。密閉がよくないのです。
 フィルムを出してみると、


  フィルム2


 余り劣化していないように見えます。しかし、酸っぱい臭いはします。
 しかし、巻きの内側は、このようになっています。


  フィルム3


 巻いているフィルムが「へ」の字形になっています。硬くなっているわけです。これは危ない兆候ですが、まだ映像内容は取り出せる状態ではないでしょうか。しかしこうなると、何らかの手を打たなければならない、ということになります。

【内容の保存(変換)】

 映像フィルムをビデオテープ・DVDなどに変換する作業を<テレシネ>といいます。当館でも、この変換を行ったことがあり、常設展示室で上映する「戦前のコウノトリ」や「昭和13年の阪神大水害」はこの手法でデジタル化しました。
 いまの時代だからデジタル化すればOK、とは必ずしもいえません。デジタルの記録フォーマットは時々刻々進歩していますから(フロッピーディスクが廃れたことを思い出してください)、数十年たてば再生装置もなくなり、再生できなくなってしまいます。これでは何のための変換か分かりません。それを避けるためには、その都度、新しいフォーマットに変換していく必要がありますが、手間も経費もかかります。

 現在、推奨されている方法は、フィルムをフィルムに変換する方法です。例えば、35mmフィルムを新たな35mmフィルムに移し替えるとか、16mmフィルムを35mmフィルムに移し替える(ブローアップ)方法です。
 この新たなフィルムをマスターフィルムにして保存します。そしてふだんは、そこから起こしたデジタル画像(DVDなど)を利用すればよいわけです。

 つまり、オリジナルフィルム(原資料)とデジタル画像(視聴用)の中間に、保存用フィルムを作るという考え方です。
 この方法の問題点は、中間のフィルムを作るための経費がかかることです(フィルムも安くないのですね)。
 当館では、現在これらの問題について検討しており、今年度、何本かの8mmフィルムを修復する予定です。

 
 2009年に、初めて映画フィルム「紅葉狩」が国の重要文化財に指定されました。ついで、2010年にも「史劇 楠公訣別」が指定され、映像フィルムの文化財としての価値が再認識されてきました。国や自治体、大学、企業、NPO、個人コレクターなど、多くの方が映像の保存に尽力されています。その動向や考え方については、機会があれば紹介したいと思います。
 





tag : /映像フィルムの保存・修復

はなやかに、新しい制服で






 今日は快晴で、外出にふさわしい一日になりました。

 大阪歴史博物館では、1階・6階などの案内スタッフの制服を一新!


   制服1


 前はオレンジ色でしたが、今度は薄いピンク色です。
 華やかな感じがしますね。
 スカーフも、ちょっとポイントです。

 今朝から、この制服でお客様をお迎えしています!


   制服2

 



いつの時代もマナーは…






 今朝、地下鉄に乗ろうとしたら、階段の降り口に<階段ではお互いに譲り合いましょう>という貼り紙がしてありました。

 いつも古いことばかりやっている私は、≪あー、いつの時代も同じだ≫と思ったのです。


  マナー図2


 これは、昭和初期のマナー広報です(大阪市電気局の市電運転系統図)。
 われ先に電車に乗り込もうとするマナーの悪い人たち。一方で、整然としたアリの行列を見て考え込む人。
 これは市電(路面電車)でしょうけど、こんなふうだったんでしょうか?
 さすがに、最近では整列乗車は徹底してきましたね。


  マナー図1


 こちらは、「言葉の花」というタイトルの広報(同前)。
 足を踏んだ男性が帽子を取って謝っています。踏まれた人も、いやいやこちらこそ的な感じで、平和ですね。
 こんな広報があるからには、逆に電車のなかで口論したりするケースがあったのでしょうか。
 私もたまに、駅や車内で口論している場面を見掛けます。あるときは、若い男性と年配の男性が口喧嘩になり、最後は若い男性が年配の男性を蹴り倒すという、なんともやるせない光景を目撃しました。
 朝から機嫌の悪いときもあるのでしょうが、穏やかにいきたいですよね。<譲り合い>の精神で。

 ※上記の資料(大阪歴史博物館蔵)は、特集展示「懐かしい市電とバスのある風景」で展示される予定です。





休館日とメモ帳






 雨の火曜日。休館日です。
 なんだか、梅雨の到来を感じさせますね。蒸し暑いです。

 今朝は、来年度の特別展の打合せ。東京から関係者が来館。おもしろいイベント案も聞かせてもらいました。でも、どんな展覧会かは“大人の事情”で秘密です…
 午後からも、学芸員の定例会議。

 ところで、5月18日は<国際博物館の日>です。
 ICOM(イコム:国際博物館会議)が定めた日ですが、あまり知られてないですか?

 大阪歴史博物館では、この日を少しでも知っていただくために、毎年ささやかなプレゼントを行っています。
 今年は、メモ帳。
 

   メモ帳


 その日に先立つ5月14日(土)、15日(日)の二日間、展示をご覧のすべての方に1冊ずつ進呈します。
 
 国際博物館の日とメモ帳と、どういうつながりかは秘密です(笑)
 いちおうオリジナル(非売品)なので、もらいに来てみてください。

 明日は、私は休み。
 週の後半は、特集展示の準備や資料修復の打合せ、秋のイベントの打合せ、そして秘密の会議(もういいか)など、予定が目白押しです。 





「数」の前に立ち尽くす学芸員(5)






   キュレーションの時代


 今年の2月に、佐々木俊尚『キュレーションの時代-「つながり」の情報革命が始まる』(ちくま新書)が刊行された。情報そのままでなく、情報に意味づけ、価値づけをすることの重要性が具体例を通して指摘されている。
 
 紹介される事例は示唆に富むが、例えばブラジルのミュージシャン、エグベルト・ジスモンチの公演を日本で開催しようと企画するプロモーターの話。プロモーターは、どのようにすれば来日が実現できるかを思案。ジスモンチと共通性のありそうなアサド兄弟ぐらいの来場を見込めるのではないかと予測を立てたり、「現代ギター」という雑誌に着目し、ギターを演奏する人がターゲットになるのではないかと考えたり。結果、700席のホールでの公演はチケット即日完売。追加公演500席も即日完売となった。2007年のことだ。
 佐々木氏は、このような隠された客、氏の言葉でいえば<情報を求める人が存在している場所>を<ビオトープ>と呼ぶ。プロモーターは、ジスモンチにつながるビオトープを見事に見付け出し、成功につなげたのだ。

 本書の最後には、<中間文化はすでに消滅した>として、次のように書かれている。

 しかしこうした大衆的な中間文化は、21世紀に入るころからもろくも崩壊しはじめます。(中略)「月収3万5000円くらいの課長クラス」と「月収8000円の町工員」が同じ文化を共有した中間文化の圏域は衰退して、その基盤のうえで成り立っていたマス的な記号消費も消滅しつつあります。
 (中略)
 自分の仕事、自分の業界、自分の生活場所、自分の趣味、自分が生活の何を大切にするかというそのプライオリティ(優先順位)の違い。そして自分の人生の目的。
 そうした細分化された圏域によって、必要とされる情報は大きく異なってきます。

 佐々木氏の著書を読んで、書棚から中島梓『ベストセラーの構造』(講談社)を取り出した。1983年の刊行である。中島梓(栗本薫)は、30年前に知識階層の3層というべきものを指摘していた。

 最も上には、戦前(あるいは前近代)から続く教養主義的な<知識人>がいる。彼らは阿部次郎「三太郎の日記」や西田幾多郎「善の研究」などを読む人である。このことは、私たちにとっても、一昔前までは常識だった。筒井清忠『日本型「教養」の運命』(岩波現代文庫)をみると、旧制浪速高校の生徒の愛読書調査が掲載されているが、倉田百三「出家とその弟子」、夏目漱石「こころ」、阿部次郎「三太郎の日記」、西田幾多郎「善の研究」、ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」などがあげられている。彼らが知的エリートであった。
 逆に下層には、<知的ロウアー・クラス>がおり、彼らは活動写真や芝居、落語で欲求を満たし、「講談倶楽部」「キング」や「鞍馬天狗」「のらくろ」の読者であった。
 中島はいう。「誰も、それを高尚なものだなどと考える必要も、いわれもなかった。かれらはおのれの求めているものが慰安であることをよくわきまえており、求めているものを得た。かれらは大衆であって、文学になど用はなかったのだ」。
 中島がいう、あるときまで文学と読み物とは全く別物であったという指摘は正しい。

 そして、上と下との間に、新たに<知的中流階級>が登場した。彼らは、知的虚栄心の持ち主である。中島の鋭い言葉でいえば、<知的になる>のではなく<知的にふるまう>ことをめざす人たちである。
 つまり、

 本来、教養小説に見られるように、教養主義の基本とは、発展し、進歩し、蓄積してゆくたえざる過程である。しかし、それは同時にこれまでの自己自身をたえず未熟とみなし、排斥し、批判してゆく行為であることを意味する。
 中流階級は自己を排斥し、批判し、客観視し、止揚してゆくことを望まない。なぜならかれらの望んでいるのはその正反対のこと、自己に満足し、ちょっとしたものだと考え、甘やかなゆるしと導きのなかで互いに容認しあうことにほかならないからだ。

 と、明快である。

 この、上・中・下という3層構造。いま、その<中間>が消えていく。それはつまり、≪週刊○○≫や≪○○新聞≫を読むということがなくなり、地上波の≪○○放送≫を見ることがなくなることなのだろう。
 また、教養主義はすでに死滅し、<知的エリート>も消え去った。それは、マルクスやカントや和辻哲郎といった名前を知らなくても恥ずかしくない、ということだろう。
 このことは、いわば<知的グレード制>の崩壊といえるし、<文化のグレード制>の崩壊ともいえる。つまり、夏目漱石「こころ」が「ONE PIECE(ワンピース)」より上位であるとか、クラシックが演歌より高級であるとか、そのような優劣が言われなくなったということだろう。

 これを博物館でいえば、(大阪市立博物館-大阪歴史博物館の例でいえば)「桃山文化展」が高尚で、「阪神タイガース展」が下劣だ、と即断できず、両者は等価であることになる。だからこそ逆説的に、<数>が誰にでも分かる指標として浮上してくる。
 戦前でいえば、「善の研究」と「講談倶楽部」の読者数は、かなり差があっただろう。だからといって、少数派の前者がダメだということにはならず、むしろそのエリート性ゆえに“上”だといわれたのではないか。
 
 <知的グレード制>の解体が、<数>の論理を加速させている。高尚だからといって<数>が少なくてもよいといわれることはない。
 しかしながら、旧来のグレードに代わる新たなグレードを確立することも正しい方向とは思えない。
 そうであれば、対象が既定のどのグレードに属するかで価値判断するという方法ではなく、1つ1つの事例に即して、その価値を判断するという方法しかないのではないか。
 これは、展覧会でいえば、それぞれの催しについて、地道に<批評>を行っていく、ということでしかない。
 
  (この項、つづく)




「月刊百科」の休刊






 「月刊百科」といっても、もう御存知ない方が多いかも知れない。
 平凡社が刊行している月刊誌である。この5月号で、通巻583号。40年以上続いてきた。
 この「月刊百科」が、6月号を最後に休刊になるという。それは、私にとって軽い驚きであった。5月号に「『月刊百科』休刊のお知らせ」として、次のように記されている。

 『月刊百科』は、PR誌として小社の出版活動をご案内し、また時事に即した記事や読書人のための連載をお届けしてまいりましたが、ご高承のごとく近年の日本社会におけるWeb環境の進化は目覚ましく、その中で小誌の役割は終えたものとの判断に至りました。

 出版社のPR誌といえば、岩波書店の「図書」をはじめ、新潮社「波」、講談社「本」や、筑摩書房の「ちくま」、東大出版会の「UP」など数多くある。
 しかし、「月刊百科」は単なるPR誌ではない。ご承知のように、平凡社は百科事典の老舗であり、ある時期までは、家庭の書斎や応接間に麗々しく並べられていた百科事典の最大手であった。百科事典は森羅万象を網羅しているけれど、一度出してしまえばその情報は日々古くなっていく。改訂には途方もない労力がかかるため、すぐに実施できない。そこで平凡社は、毎年『百科年鑑』というものを刊行していた。これは、その1年間の事件事故などの出来事を国内海外にわたってまとめたもので、百科事典と同じ装丁になっていた。
 その毎月版が「月刊百科」である。連載記事もあるが、1か月の出来事を日付順にまとめ、物故者を掲載したページがある。例えば、今月は2011年2月の出来事がまとめられている。2月2日には「林原(はやしばら)が会社更生法適用申請」として、負債総額が1500億円にのぼるなどと記されている。9日には「ウズベキスタンと資源開発で協力」、13日には「JRAで最高馬券」、21日には「トランス脂肪酸の表示指針を公表」など、あらゆるジャンルにわたる。

 私は、こどもの頃から、平凡社の『世界大百科事典』を繙読し、毎年発行される『百科年鑑』を楽しみに待っていた。学生時代からは、黄色い装丁で、気鋭の学者が執筆した『大百科事典』を文字通り座右に置いて愛用してきた。近代史を専攻する私にとっては、日本史事典の類よりも『大百科事典』の方が頼れる味方であった。例えば、「ラジオ」などという項目は、日本史事典には立項されていなかったのである。
 その私も、さすがに近年は百科事典を引くことが少なくなってきた。その一番の理由は、やはり新しい事象が掲載されていないということだろうし、一方で、ローカルな事象の記述が比較的少ないということかも知れない。

 休刊の理由として記されている「近年の日本社会におけるWeb環境の進化」と「月刊百科」の休刊とが、具体的にどう関連するのか、私にはよく分からない。
 しかし、印刷刊行された百科事典の代わりに、インターネット上のウィキペディアが盛んに利用される現在、高い代価を払い、大きなスペースを取って百科事典を書棚に置く必要もないと考える人は多いだろう。
 2010年現在、インターネットの普及率は78%だという。さかのぼって、1995年は0.4%と推定されている。この15年の間に、飛躍的にインターネットが普及した。

 インターネットで知り得る情報がピンポイントの<点>であるのに対し、書物で知り得る情報は<面>的である。百科事典は、書物のなかでも<点>的な傾向があったから、インターネットの浸透に抗えなかったのかも知れない。

 いま、インターネットで<月刊百科 休刊>と検索してみると、皮肉なことに、ほとんどヒットしてこない。いくらネット社会になったといえ、マイナーな情報はその世界には現れないのである。

 「月刊百科」に敬意を表し、ありがとうの言葉を捧げたい。





BKワンダーランド春が開催中!






 ゴールデンウィーク後半の中日。3日から、大阪歴史博物館と隣接して建っているNHK大阪放送局で<BKワンダーランド春>が行われました。どちらかというと、こどもさん向けのイベントで、毎年春秋に行われます。
 今日は、アイドルが来場するイベントも。東京女子流のみなさんですが、私には…です。


  BKワンダーランド4


 当館も、特別展「幕末・明治の超絶技巧」をはじめ、にぎわっています。


  BKワンダーランド1


 今日、私が注目したのは、コレ!


  BKワンダーランド2


 ≪アニソンのど自慢≫! 
 いやー、NHKホールでこういうのやるのは…、なかなかですよね。

 アニソン、つまりアニメ番組のテーマ曲をNHKのど自慢形式で歌うイベントなんですね。
 昨日、予選! が行われ、157組が出場したそうです。すごい、数…
 いろんな方のブログを見たのですが、この予選に出るのにも厳しい抽選があるらしい。すごすぎる。

 そして、今日の本選には15組が出場したといいます。NHK大阪ホールは約1400人収容ですから、それが満員になると思うと、これもすごい…  
 司会は、森口博子さんなのですが、こちらもブログを見てみると、意外(失礼)に大人気! 

 スタッフも、こんな感じ。


  BKワンダーランド3


 みんな、ノリノリですね。

 ということで、今日は歴博とあまり関係ない話題でしたが、お隣のよしみということで。
 明日5日も<BKワンダーランド春>は開催されます。5日は、今秋の朝ドラ「カーネーション」主演の尾野真千子さんも来場される由。尾野さんは奈良県出身で、同じ関西人として応援しています!

 当館も、常設展示入館料を割引にいたします。ぜひ、ご来館ください!






同期の学芸員が来てくれて…






 今日は、連休の谷間の1日。こういう日は、案外小学校の団体がたくさん来られます。まあ、学校にいても、コドモたちは授業に身が入らないんでしょうね。
 小学生たちも、特別展「幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸」を見てくれました。 

 今日は特別に、そのコドモたちに、大阪市立自然史博物館の初宿学芸員が解説してくれました。初宿君は、私と同期で、専門は昆虫。つまり、金属工芸のモチーフとなったムシを専門家の目から説明してくれたのです。
 ちなみに、初宿君のウェブサイトは、こちらです! しやけのドイツ箱


 初宿学芸員


 結構、コドモたちものぞきこんでいますね。作品は小さいけれど、登場する昆虫たちはリアルです。
 そのあたりが、小学生にもグッと来たんでしょうか?





山笑ふ






 五月になりました。
 今日、なにげなく山を眺めていたら、そう、「山笑ふ」という言葉を思い出しました。


  山笑ふ


 樹々に新芽が出て、薄緑になってくる。すると、山がふくらんでいるように見える。芽吹く色もいろいろらしく、まだらになってくる。その、ぼこぼこ、ぽこぽことした雰囲気が、ほのぼのと暖かい。

 自然から離れた現代の都会人からは<山笑ふ>という発想は浮かんで来ませんね。自然と寄り添いながら暮らして来た私たちの祖先だからこそ、<笑う>という擬人化を受け入れたのでしょうか。
 山から緑が、ふっふっふっと噴き出してくるような、そんな立体感が<笑う>と言わせたんでしょうね。

 もっとも、歳時記を見ると、この言葉はもともとは中国に出典があるということです。昔の中国の山を見たことがないからわかりませんが、日本の里山にぴったりの言葉だと思います。

  故郷やどちらを見ても山笑う  子規

  うすうすと色を重ねて山笑ふ  稲畑汀子

  山笑ふ村のどこかで子が生れ  尾形不二子

  山笑ふまだからつぽのランドセル  目黒孝子

  寝過して着きし終点山笑う   泉田秋硯

 今日の私の気分は、秋硯の句に親近感を覚えます。
 春のうららかな日、列車に乗っていると暖かくていい気持ち。ついうとうとしたら、乗り過ごして終点。しかたなく降りた田舎の駅。目の前に、ふっふっと笑っている新緑の山があった。
 そんな句ですね。

 連休後半も、みなさま、楽しくお過ごしください。





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なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

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