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クジャクと建築 ~ フェスティバルホールと大丸 ~






 いよいよ7月も終わり、暑い8月の到来ですね。

 近年は、昔と違って真夏にも数多くの展覧会が開かれるようになりました。
 大阪はもちろん、京都や奈良でも大型展が開催中。暑いけれど、ぜひ興味のある展覧会に足を運んでみてください。

 
   大丸心斎橋店
   株式会社朝日ビルディング蔵


 大阪歴史博物館では、特別展「民都大阪の建築力」を好評開催中!

 これはまた、きらびやかなクジャクのレリーフですね。

 肥後橋にあったフェスティバルホールのホワイエに取り付けられていた意匠だそうです。
 クジャクといっても、かなりデフォルメされており、よく見ると、胴の中に人がいるんですよ… どういう意味だろうか?

 クジャクと聞いて、すぐ思い出されるのは、やはり大丸でしょう。ピーコック(孔雀)のマークは、つとに有名。心斎橋店の心斎橋筋側の入口上部に付いているテラコッタが元なのです。


   フェスティバルホールの孔雀


 大丸さんのホームページにも、<大丸とクジャク>として、その由来が紹介されています。

 建物を建築するとき、フェニックスを米国に注文したのだが、何かの手違いでクジャクが届いたというのは、よく聞く逸話です。
 フェニックスは不死鳥ですが、日輪のように羽根を広げるクジャクにも<不死>のイメージがあります。どちらも似通った鳥ということなのでしょうか。

 山形政昭氏の『ヴォーリズの建築』(創元社、1989年)には、次のようにあります。

 伝えられるエピソードの一つは、ヴォーリズが不死鳥のように蘇えるフェニックスをアメリカのテラコッタメーカーに指示したところ、メーカーのアトランティック・テラコッタ社では、貴種で珍重されるピーコックを提案してきたという。 (『ヴォーリズの建築』)

 いま心斎橋筋に行き、このテラコッタを眺めると、細かなデザインに感心します。

 ところで、大丸さんのホームページには、クジャクの剥製をもつ「孔雀屋敷」なるものの存在が紹介されています。
 私は寡聞にもそれを知らないのですが、「孔雀茶店」なら知っています。『摂津名所図会』巻2にも絵入りで紹介されており、大きな檻に入れられた2羽のクジャクが描かれています。羽根を広げたクジャクを、近世の大坂人が珍しそうに眺めているさまが面白いです。


   摂津名所図会
    「摂津名所図会」巻2より<孔雀茶店>


 こういったもので客を寄せることを「まねき」と言うのだ、と書いてあって、「招き猫」「客寄せパンダ」という言葉が思い出されます。

 クジャクという、ちょっと非日常な生き物を建築に取り込むセンスが素敵ですね。






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“どこへ行こうか”






 「どこへ行こうか」という書名の本がある。

 谷口梨花『春夏秋冬 何処へ行かうか』。大正10年(1921)に博文館から出版された。
 著者の谷口梨花は、鉄道省にいて同省が出した『鉄道旅行案内』の編纂に携わった人物。数多くの紀行文をものしており、この本もそれらを集めた一冊である。
 大正時代から、一部の人たちの間には、休暇をどう過ごそうか、という“悩み”があったことが分かる。

 今日の私の心境も、そのタイトルと同じ。
 そこで、海のある方に行ってみた。


   海景


 鮮やかな海の景色。
 ウミネコがたくさん飛び、鳴いている。
 ここは、ある半島の先端。小さな漁村で、おばさんたちが干物を作ったりしている。
 半島には、集落ごとに民宿があり、小さな浜では夏休みの家族連れが海水浴に興じている。

 
   ソテツ


 先端の集落にある大蘇鉄(ソテツ)。漁村独特の入り組んだ路地の奥の、民宿の裏にある。
 大小8つの株からなり、大きな株は高さ6m余にもなる。樹齢1300年と記されている。

 この集落へは、半島の付け根から車で20キロほど、ぐねぐね曲がった細い道を走らなければならない。最近の大雨によるものか、ところどころ崩落箇所があり、片側通行になっている。

 半島をめぐるこの道は、いつできたのだろうか。戦前は、おそらく船で行ったに違いない…
 そう考えながら車を走らせたが、帰ってから調べると、ひとつの記述に出会えた。

 昭和15年(1940)に刊行された北尾鐐之助の著書だ。


 そこへ行くのには、久々子湖の早瀬から、この辺の漁場をめぐる発動機船によるか、日向から半島の背筋に登つて、300メートルほどの尾根通りを山越しに行くか、少し遠くはなるが、三方から塩坂越に出て、新開の県道をあるくかであるが、どうせ急ぐ旅でもないので、いちばん遠い道の県道づたひに陸行することにした。 (『近畿景観 第八篇 若狭紀行』創元社、1940年)


 北尾が歩いた県道が、私が通った道路である。昭和15年に「新開」とあるから、昭和初期にこの道が開かれたことが分かる。それまでは、海路を行くか、もしくは尾根伝いの山道を歩くかであった。
 北尾は、16キロというその道を先端の村まで歩く間、1日1往復する郵便配達と行き違っただけで、他の誰とも出会わなかった。人の通らぬ道だったようだ。

 漁村では、季節によって、イワシ、マグロ、ブリなどが採れるという。北尾は、そのことを詳しく書き留めている。

 私が見た蘇鉄も登場する。


 海から帰つた息子さんの案内で、天然記念物の有名な大蘇鉄を見に行つた。蘇鉄は、ある漁家の庭になつてゐる狭い段階地の一隅に、亭々と聳えてゐた。堺の妙国寺のものをみた眼には、さほどにもおもはなかつたが、断崖になつてゐる高い後ろの家の窓際まで登ると、建ち列なつた漁家の屋根越しに、白い波頭の走るのがみえて、この蘇鉄を一層大きなものに感じさせた。  (同上)


 北尾がこの「奇怪な形をした半島の突端」(同書)を訪れたのは、昭和15年の5月らしい。すでに70年が経つが、彼の記述と私が見た光景とは、さほど変化がないようにも思える。

 それにしても、改めて北尾鐐之助という人の描写の的確さに感じ入り、記録を残すということの意義深さを思う。北尾は、大阪毎日新聞の写真部長、優れた写真家であるとともに、山岳随筆や「近畿景観」シリーズを残した一流のエッセイストだった。

 私が訪れた集落と半島の名は、常神(つねがみ)という。






懐かしのプランタン ~ 「民都大阪の建築力」より ~






 先週から始まった特別展「民都大阪の建築力」。
 今日は、私の思い出という主観的基準で、展示品をご紹介します。


   阪急百貨店
   本館蔵(阪急百貨店寄贈)


 今は建て替えられた<阪急百貨店うめだ本店>のステンドグラス。大食堂にはまっていたものだそうです。

 もう10年近く前、大食堂が閉店する直前、私は先輩学芸員と一緒に出掛けました。天井が少し低い感じのする店内に通され、二人でテーブルに着きました。何を食べたかは忘れてしまったのですが(たぶんカレー?)、壁面や柱に張られたタイルが布目だったりして、結構立派だったことを覚えています。
 このステンドグラスは記憶にないのですが、いま展示室で見ると、たいそう綺麗です。

 昭和4年(1929)の開業当初、大食堂はデパート最上階の8階と7階にあって、和洋中にわかれていました。特に、洋食が人気だったことはいうまでもありません。


   プランタン
   京都工芸繊維大学工芸資料館蔵


 もうひとつは、<プランタン心斎橋>の椅子など。

 初めて行ったのはいつだったか、大学時代の友人に連れられて入ったのでした。入口近くでパンを売っていて、なかが喫茶スペース。1階も、地面と同じ高さの席と、地下に掘りくぼめた席があって、そういう席がカッコいいんですね。2階は、確か中2階風になっていて、ここもよかった。満員のときは、3階に通されたこともあります。
 ひとりでも、近くに行ったとき、ちょくちょく行くようになって、あの2階席に座ってコーヒーを飲むと、自分がハードボイルド化したみたいで、なんかカッコいいのです(こればかりですが)。

 もちろん、村野藤吾の作品だと知っていました。村野さんは、私の大好きな建築家ですが、ディテールへのこだわりと空間の造り方がたまらない。ここでも籐(とう)を使った調度がステキです。
 展示室の写真パネルにある籐のパネル(衝立)も記憶にあります。

 上の写真では、黒い椅子はよく覚えています。座りましたねえ。展示室で見たら、ずいぶん華奢な感じがして意外でした。

 やはりプランタンでの村野藤吾の真骨頂は、タテ方向の空間の分節化でしょう。北側が1階から2階へ大きく吹き抜け、南側は地下にくぼんでおり、その上に中2階が被さっています。その段々の構成が絶妙で、1・2階をつなぐ螺旋階段も華やかです。
 客になり、席に腰掛けて店内を見るとき、座る場所によって異なる光景が展開して、それがまた愉しいのでした。

 これが店の外観。


   プランタン
 

 この看板も懐かしいです。もう閉店して8年ほどになるようです。
 建築の展覧会を見ると、なくなった建物が多くて、ちょっとせつないですね。





<難波宮フェスタ!2011>開催のお知らせ






   後期難波宮模型 後期難波宮模型(大阪歴史博物館・10階)


 毎年7月28日は<なにわの日>。“728”なので“なにわ”。
 しかし、単なる語呂合わせではありません!
 7月28日は、難波宮発掘の功労者、山根徳太郎博士の命日なのです。


   山根博士胸像


 大阪歴史博物館・10階の展示室から難波宮をながめる山根博士の胸像。博士を祈念する意味でも、<なにわの日>なのです。

 毎年行われる<難波宮フェスタ>、今年も7月28日(木)に開催されます!

 午前10時からは、講演会「難波宮と古代の難波」。講師は、豆谷浩之学芸員と大庭重信学芸員。
 午後2時から4時にかけては、「石組み遺構特別公開」。ふだん見られない難波宮の遺構をご案内します。
 そのほか、ステージやワークショップも行われます。

 盛りだくさんな<難波宮フェスタ!>、詳しくは当館ホームページをご覧ください。







<節テレ>のススメ






 テレビが地上波デジタルに完全移行する(一部地域を除く)。


   地デジ化


 NHKの隣に勤務しているせいでもなかろうが、ここのところテレビについて、いろいろと考えさせられる。
 しかし、いざ何か書いてみようと思うと、どうもいけない。つい、批判に傾いてしまうのだ。それは本意ではないので、今日は一日、頭を悩ませてしまった。

 私が物心ついたころ、すでに家の中にはテレビがあった。四脚の白黒テレビだった。それがいつからか、脚がなくなりカラーになり、木目調・家具調からブラックになり、そして今はブラウン管から液晶の薄型になった。さすがに街頭テレビの時代は知らないが、ずっとテレビに親しんだ“テレビっ子”世代である。

 その私が、地デジ化を前に、テレビに距離を置くようになった。毎朝、起きたら一番につけていたテレビをつけなくなった。リモコンに手を伸ばさないようにした。いま、このブログをテレビの前で書いているが、画面は真っ黒だ。

 いつだったか、まだ両親と暮らしていた頃、落語家から転身したお笑いタレントが一世を風靡していた。彼が出演する番組を喜んで見る私をよそに、父は目をそむけていた。私も今、父の気持ちが分かるようになった。

 テレビに対してわだかまることは年々多くなってきた。近年、一番疑問に思ったことは、ワイドショーでニュースを紹介する際に、ボードに張った新聞を読むようになったことだ。
 
   テレビが新聞を読む!

 テレビ人にプライドはないのか-- そういう気がした。一気に、いやになった。

 別に完全にテレビを消そうとは思わない。

 節電ばやりの昨今、テレビも<節テレ>で行こうじゃないか。

 たぶん、見なくっても、どうにかなる。
 いまの私の偽らざる気持ちである。

 
※テレビについて考えるために、少し前の書籍ではあるが、草野厚『テレビ報道の正しい見方』(PHP新書、2000年)が参考になる。テレビの特徴、番組のつくられ方を具体的に検証し、メディア・リテラシーの必要性を説く。


   テレビ報道の正しい見方





<ゆかたでお出迎え>はじまりました!






 7月23日(土)から、案内スタッフが<ゆかた>でお出迎えする恒例行事が始まりました。
 やっぱり、ゆかたは夏らしいですねぇ。


   ゆかた


 8月14日(日)までの土曜日・日曜日に着用します。

 私も一日ゆかたでうろうろですが、なんだか涼しいです。毎年暑いのですが…
 みなさんに涼しそうと言っていただくと、うれしいですね。

 毎年ご協力いただいている呉服屋さん.comさん、ありがとうございます!!

 天神祭の季節、なにわ歴博も夏らしく彩ります。






通天閣ロボ、来館! ~ 特別展「民都大阪の建築力」開幕 ~






 特別展「民都大阪の建築力」、オープンしました!

 今日は、それにちなんで、大阪を代表する建築のひとつ<通天閣>から、<通天閣ロボ>が来館してくれました!!


通天閣ロボ
通天閣ロボ
通天閣ロボ


 目が光り、首や手が動きます! なかなかの迫力で、もちろん話します!!
 
 「ほな、握手や、仲良うしよな」


通天閣ロボ


 「なんでやねん!」、みたいなギャグもあります。

 意外な大人気は、これ!


通天閣ロボ
通天閣ロボ


 小さなロボット。その名も<小天閣>。
 ちょこちょこした動きが、かわいい。


 <通天閣ロボ>は、全長170cm、重量30kg。モーター30個で動いているそうで、製作費は1000万円! と、自分で語っていました。
 詳しくは、通天閣ロボのホームページで。

 ふだんは、通天閣の2階にいるそうで、ぜひそちらでご対面ください。

 今年の10月には、タイにも“海外出張”するそうですよ。

 お客様も大喜びのイベントでした。


通天閣ロボ






展覧会、初日の朝は…






 昨夜は、ブログ更新の際、<工事中>に一部機能がストップしてしまい、閲覧のみなさんにはご心配、ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。

 さて、今日から、大阪歴史博物館では、新しい特別展「民都大阪の建築力」が始まります。
 展覧会の初日の開館時間(9:30)には、いつもエントランスホールでお客様をお出迎えするようにしています。
 初日の朝一番においでいただく方は、それだけ期待度も高いということで、とてもありがたいです。もちろん、二日目以降にご来館の方も同様にありがたいです!
 今夏は暑さも厳しいのですが、博物館内は冷房が効いていますので、涼みがてらのぞいてみてください。

 とりわけ今日は、受付スタッフが<ゆかた>を着てお出迎えします! ふだんよりも、いっそう華やかな初日となりそうです!!
 私も、一緒にゆかたを着て、ご挨拶します。

 ご来館、お待ちしております。
 






特別展「民都大阪の建築力」、記者内覧会を行いました






   民都大阪の建築力


 いよいよ明日(7月23日)から、特別展「民都大阪の建築力」が開幕します!
 
 今日は、それに先立って、報道関係者に公開する記者内覧会を実施しました。


   民都大阪の建築力


 今回は、いつもおいでくださる一般紙以外に、建築関係の業界紙の記者さんも多数お見えになりました。やっぱり、建築の展覧会ですからね。


   民都大阪の建築力


 これは透視図(パース)や立面図ですね。あの有名な……の資料かな?
 前半のコーナーは、図面やスケッチなどが結構たくさん並んでいて、建築ファンには垂涎ものかも!
 私も、ぐるっと見て、今回は建築好きの方は必見の展覧会だと感じました。

 展示品などについては、オープンしてからお伝えする予定です。

 詳しい情報は、大阪歴史博物館ホームページをご覧ください。


   民都大阪の建築力







船の科学館の展示休止






 東京にある海事博物館<船の科学館>が、今年9月末で、本館展示を休止、また羊蹄丸の保存・展示を終了するという。

 船の科学館は、1974年の今日(7月20日=“海の記念日”)に開館した。船の形をしたユニークな建物で、海上には、巨大な“実物資料”である青函連絡船「羊蹄丸」や、南極観測船「宗谷」を展示してきた。

 船の科学館ホームページに、本館展示休止の事情が書かれている。施設・展示の老朽化が理由と書かれているが、発表文を読んでも、詳細はよく分からない。

 私が船の科学館を訪れたのは、12、13年前のことだったと思う。当時、大阪歴史博物館の建設を控えて、各地の博物館の展示を視察していた。東京方面でも、いくつかの館を訪れた。そのひとつが、船の科学館だった。

 ひとりで見に行った。目的は、少し前に完成した青森駅の復元展示を見ることだった。青森駅は青函連絡船の接続駅である。羊蹄丸を展示する同館にふさわしい復元といえた。

 コーナーに入ると、まず駅前の街路が復元されている。道の両側に屋台のような店が並んでおり、青森らしくリンゴや魚介類が売られている。店のおじさんやおばさんの人形が妙にリアルだった。物売りの声なども聞こえたように思う。

 駅構内には大きなストーブが置かれ、待合客でごったがえしている。船に乗る若い女性と男性が別れを惜しみ、悲しげな表情の女性がハンカチを振っている。
 いま本当に久しぶりに、その展示の光景を思い出した。

 見方によっては、人形のリアルさ、生々しさには、過度な面があったかも知れない。 しかし、当時展示づくりに没頭していた私は、長時間かけてこの復元を観察し、写真に撮って吸収した。とても参考になった。
 
 この復元は、葛飾区立郷土と天文の博物館の復元展示などとともに、大阪歴史博物館の近現代フロアづくりの参考となった。特に、青森駅前の復元は、<公設市場>店舗の復元に役立った。

 あと2か月。私にとっては<先生>ともなった同館展示が閉じられるとは、少し感慨がある。

 全国の海事博物館には、多くの観覧者を集めている施設がある反面、運営が苦しい館もあると聞く。船といえば、軍艦・海運・造船・港湾といったキーワードが想起され、それが博物館の展示ともなっている。しかし、時代の変遷とともに、若い世代を中心に“海離れ”“船離れ”が進んでいるのだろうか。

 船の科学館の再スタートと羊蹄丸の行く末を見守りたい。






おけいはんと楢の小川






 今日は、台風接近で大阪も雨模様です。


   おけいはん


 最近、地下鉄車内や駅で、この写真をよく見かけます。

 おけいはん、です(笑)

 いわずと知れた? 京阪電車のキャラクター。

 では、おけいはんが足をつけている川は、どこか御存知ですか?

 この風情のある川、私にとってはとても懐かしい、小学校時代の通学路にあるのです。

 京都・上賀茂神社(賀茂別雷神社)の境内を流れる<ならの小川>です。漢字をあてて「奈良の小川」「楢の小川」とも書きます。いまの名前は、御手洗(みたらし)川ですね。

 浴衣のおけいはんが足をつけているのは、たぶん六月晦日に行われる<夏越の祓(なごしのはらえ)>をイメージしているのでしょう。

   風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける   家隆

 百人一首でも有名な藤原家隆の歌。この禊(みそぎ)が夏越の祓を指しています。

 夏越の祓といえば、茅の輪くぐりをしたり、水無月を食べたり。<水無月>とは、三角形をした<ういろう>のようなお菓子です。

 いま、この小川は、とても浅い川で、歩いて入ることもできます。写真の一番奥に写っているでしょうか、小さな石の太鼓橋が架かっています。私は、毎朝夕、その橋を渡って6年間学校に通っていました。
 いつの時代かと思うような落ち着いた雰囲気ですから、よく時代劇の撮影が行われていました。きものを着たコドモが、しじみを採っているなんて撮影もあったのです。本当は、しじみなんていないのですが(笑)
 
 この川が境内の外へ出ると、明神川と名前を変えて、東に流れます。川の片岸は社家の家並となっており、道路から橋を渡って家に入ります。同級生にも、そこに住む子が何人かいました。
 明神川はちょっと深くて、冗談で友だちを突き落したりもしました(いけませんね)。もちろん、深いといっても膝くらいですが。

 京都といっても、このあたりは郊外、昔風にいうと<洛外>です。つまり、御土居(おどい)の外ですね。私の中学校の脇には、この御土居-豊臣秀吉が造った土塁-が残っていました。蹴ってはいけないドッヂボールを蹴ってパンクさせ、この御土居に捨てたことも… まあ、もう時効でしょうか。

 おけいはんのポスターを見て、のんびりとした懐かしい日々を思い出しました。
 






中央公会堂に来たクライスラー ~うえまちコンサート開催~






  3連休の中日、みなさんはいかが過ごされましたか。よい休日だったでしょうか?
 大阪歴史博物館では、<うえまちコンサート>が開催されました。


   うえまちコンサート



 NPO法人まち・すまいづくり、日本テレマン協会、そして出演者・関係者のみなさん、ありがとうございました。

 今回は、昭和初期の<大大阪の時代>をテーマにしたコンサートで、当時はやった音楽が演奏されました。

 日本からは山田耕筰が、そして西洋からはエルガー(愛の挨拶)や、この人!


   クライスラー 『名曲物語』(中央公論社、1933年)より


 フリッツ・クライスラー(1875~1962)。ウィーン出身の音楽家。少年時代から神童と呼ばれ、晩年は米国で活躍しました。

 今日演奏された曲は、「愛の喜び」「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」の3曲。とても有名なので、どなたも聴いたことがあるはず。軽快な楽曲で、1920~30年代のアメリカの気分を表しているようです。じっくり聴くというより、食事などしながらバックに流す音楽というイメージですね。

 そのクライスラーが、実は当時、大阪に来ているのです!

 ピアノ同好会(という会があった)などの主催で、大阪朝日新聞が後援につき、大阪市中央公会堂で演奏会が開かれました。
 大正12年(1923)5月10日、11日のことで、

 「提琴界の覇者クライスラー氏大演奏会」

 と銘打っています。「提琴(ていきん)」とは、ヴァイオリンのこと。クライスラーは、作曲家でもありますが、むしろ天才ヴァイオリニストとして名を馳せていました。

 演奏曲は、バッハ「ヴァイオリンソナタ」、ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」、ブラームス「ヴァイオリンソナタ第1番」、そして自ら作曲した「道化役者のセレナード」などです。

 当時の著名ヴァイオリニストといえば、クライスラーのほか、エルマン、ハイフェッツ、ジンバリストなどがいますが、ジンバリストもこの前年に中央公会堂に招かれています。

 これらの事実は、塩津洋子氏の「『ピアノ同好会』の活動」(「音楽研究」2010年)という論文で知りました。
 
 その論文によると、クライスラーらの演奏会は、入場料も最低額2~3円、最高額8~10円だったそうです。現在への換算はむずかしいのですが、最低額1万円、最高額5万円くらいのイメージでしょうか。
 当時の洋楽のハイソサエティな側面がうかがえます。

 塩津氏の論文を読むと、大阪の音楽レベルもかなり高度だったと推測され、ホワイトカラー層、インテリ層の台頭がバックボーンとしてあるのでしょう。

 今回、コンサートのトークで少し話すために調べたのですが、ふだん自分としては馴染みの薄い音楽のことをかじって、なかなかおもしろかったです。







狐にやいとで… ~大阪のシャレ言葉~






大阪ことば事典


 大阪検定で、「大阪のシャレ言葉」について問題が出ました。これは、牧村史陽氏の『大阪ことば事典』の巻末にあげられている話題です。

 そこには、私たちが聞いたこともない意外なフレーズが満載されています。なんと300も紹介されているのですが、ほとんど知りません…

 せっかくですから、ちょっと振り返ってみましょう。


 <赤児(あかご)のしょんべんで、ややこしい>
 
  赤ちゃん(ややこ)の小便(しい)で、「ややこ・しい」。はあー… これから出てくるのも、だいたいこういうパターンです。


 <池田の牛で、いたみいる>

 池田の牛が「伊丹」に入るということで、「痛み入る=恐縮する」。なるほど…


 <うどん屋の釜で、湯ゥばっかり>

 湯ばっかりで、「言うばっかり」。つまり、口だけ。いますよね、こういう人。


 <清正のセンチに入りで、槍(やり)離し>

 槍の名手、加藤清正でも、センチ=雪隠(トイレ)に入るときは槍を置いておく。それで、槍離し=やりっぱなし。


 <狐(けつね)にやいとで、こん灸(きゅう)>

 狐の鳴き声は、コン。それに、お灸で、こんきゅう=困窮。んー、無理があるなあ…


 <夏の蛤(はまぐり)で、身ィ腐って貝腐らん>

 「見ィくさって、買いくさらん」。つまり、見るだけの“ひやかし”というやつですね。“しょんべん”とも言いますね。
 「あのお客、夏の蛤や」などと使ったんでしょうね。


 <晩の十二時で、ドン鳴らん>

 昼の十二時は、ドン(午砲=大阪城天守台の大砲)が鳴るが、夜の十二時は鳴らない。ということで、「どんならん=どうもならぬ」。


 <淀川の杭で、大杭で長杭>

 “大食いで、長食い”。


 300近くあるのですが、“なるほど”と思うものはほとんどなく、ん~とうなるものが大多数。あまり紹介できません(笑)
 ほんとうに、洒落、地口という雰囲気で、まあ、近世的な人はこんな感じかと。

 シャレをみても、人の感覚の時代的変遷がうかがえますね。






大阪検定・1級の問題






 大阪検定の問題紹介も、今日がラスト。ついに最難関の1級です!

(1)大阪の人々は古来からシャレ好きであり、近松門左衛門の戯曲の中でもたくさんのシャレ言葉が出てきます。牧村史陽編「大阪ことば事典」の巻末に紹介されている次のシャレことばとその意味の組み合わせのうち、誤っているものはどれでしょう?
 ①淀川の杭   - 大食いの長食い
 ②鼠六匹    - 夢中だ
 ③狐にやいと  - 混乱している
 ④猫の死んだん - 何とも言わない

(2)江戸幕府第3代将軍・徳川家光が税(地子銀)の免除を約束したことに謝意を表して、町人らが造ったもので、大阪市中央区にある町名の由来にもなっているものは何でしょう?
 ①釣鐘
 ②槍
 ③石
 ④鉄砲

(3)江戸時代の大阪では盛んに新田開発が行われましたが、18世紀半ばから開発が着手された新田で、現在の住之江区に庭園を伴う会所建物(大阪市指定文化財)が残されている新田はどれでしょう?
 ①鴻池新田
 ②南島新田
 ③加賀屋新田
 ④市岡新田

(4)「爆笑王」の異名をとった中田ダイマル・ラケットは兄弟コンビですが、その中田ダイマルが弟ではなく兄と組んでいたときのコンビ名はどれでしょう?
 ①中田スーパー・ダイマル
 ②中田ボタン・ダイマル
 ③中田そごう・ダイマル
 ④中田デパート・ダイマル

(5)次の文章の( )にあてはまる野菜はどれでしょう?
 天王寺、阿倍野を中心として耕作せる( )の産額のいかに多くして販路また広く、しかもいかにその味の優れたるかを察すべきなり。 【「天王寺区史」より抜粋】
 ①茄子
 ②南爪
 ③慈姑
 ④蕪

 んん~、さすが、1級!
 いくつ分かりましたか?

 答えは一番下です。

 1級は、これら4択問題に加え、筆記問題もあるので、かなり難易度はアップします。筆記では、お約束の地名問題など、かなりのウエイトを占めますので、正確な漢字で答えなければいけません。
 今年は何名パスされるか、楽しみです。

 今年受験を見送った方も、来年またありますので(笑)、ぜひチャレンジしてみてください!



 【上の問題の答え】
 (1)③ (2)① (3)③ (4)④ (5)④






学芸員が悩むこと。






 学芸員をやっていると、日々悩みが尽きませんね。
 まあ、仕事をやっていれば、どんな職業でも悩みは多いわけですが…

 なぜ急にこんな話題を書こうと思ったかというと、明日から巷では<3連休>だと気付いたから。
 世の中には、土日祝も仕事の方は多いのですが、学芸員も同様です。当館はローテーション勤務ですが、3連休という設定はありません(苦笑)。私個人の実態でいうと、この4月からの15週間で、2連休すら半分に満たないのです(超苦笑)。まあ、ワーカホリックだねと、笑われてしまいますね。


   手帳 手帳が泣いている…


 その学芸員的悩み、いろいろありますが…

 たとえば、学芸員の人数。

 大阪歴史博物館の学芸員は、現在19名です。これは、西日本の博物館では、トップクラスの多さです。そういう意味では、恵まれているといえます。
 しかし、展覧会を回していくという意味では、人数不足は否めません。

 当館は、特別展を年4~5本、特集展示(ミニ企画展)を年6~7本ほど開催しています。
 特別展には、主担当の学芸員1名、副担当1名、さらに分担担当が付く場合もあります。
 特集展示には、ふつう1名の学芸員が担当となります。

 特別展は、少なくとも2年先まで視野に入れ、特集展示も翌年まで見越して学芸員を配置します。ダブりは極力避けねばならず、課長級の学芸員(4名)は基本的には直接の担当には入りませんから、人員はもう“かつかつ”になります。つまり、足りないくらい。

 私は立場上、人員調整も行うのですが、どうしても人が不足するのです。
 当館の20名弱の学芸員は、一般論としては多いのですが、事業量からみると、少ない気もします。

 博物館の仕事は、展覧会だけではありません。講座や見学会などの、いわゆる普及事業もたくさんあります(当館は極めて多いです)。
 また、館を運営・維持するための日常業務も結構たくさんあります。
 私は、企画広報課に籍を置き、広報・宣伝業務も行っていますから、笑い話的ですが、広告代理店からの営業電話の対応だけでもかなりの数にのぼります。
 また、マスコミからの質問、資料提供、取材依頼もなかなか多く、今日も在阪テレビ局の取材に応じていました。

 そういった多種多様な日常業務もこなしながら、展覧会という学芸業務もこなす。どうやったら、よい展覧会が可能になるのか、難しい問題です。

 このような学芸員の日常は、観覧者の方には、ほとんど知られていないでしょう。しかし、いかにして学芸業務を改善するかは、とても重要な課題なのです。内部的な工夫でやりくりできる部分もありますが、構造的に解決が難しい問題もあります。
 それを解決するためには、利用者のみなさんに博物館の仕事をご理解いただくことが、とても大切です。けれども、今それが十分果たされているとは思えません。

 ほんとうの意味での“普及”事業が、いまこそ大事になっているのです。







大阪検定・2級の問題






 昨日に引き続き、「なにわなんでも大阪検定」の問題を紹介します。
 今日は、2級です。

(1)小説「きれぎれ」で第123回の芥川賞を受賞した町田康は堺市出身の作家であり、執筆活動以外にもパンクロック歌手や俳優など多彩な活躍をしています。1996年(平成8年)に出版された町田康の文壇デビュー作で芥川賞の候補にも選出された作品のタイトルは何でしょう?
 ①その街の今は
 ②どぼらや人生
 ③くっすん大黒
 ④世間知らず

(2)京都や奈良に比べると数は少ないものの、4つの本殿がすべて国宝である住吉大社など、国宝の建造物が大阪にも存在します。次のうち大阪府内にある国宝はどれでしょう?
 ①四天王寺五重塔
 ②石切劔箭神社本殿
 ③大阪城天守閣
 ④観心寺金堂

(3)しゃべくり漫才の名人として長く活躍した夢路いとし・喜味こいしのギャグのひとつに、「生きている間が(ア)、死んだら戒名が(イ)」があります。空欄(ア)(イ)に入る組み合わせはどれでしょう?
   (ア)   (イ)
 ①にわとり - かしわ
 ②いわし  - めざし
 ③トラフグ - てっちり
 ④マグロ  - ツナ缶

(4)本年5月28日に公開された映画「プリンセス トヨトミ」は、大阪を舞台とし、数多くのシーンが実際に大阪で撮影されました。この映画で、大阪国総理大臣が登場しますが、演じたのは誰でしょう?
 ①堤 真一
 ②岡田将生
 ③中井貴一
 ④笹野高史

(5)船場料理は大阪の商業の中心地として栄えた船場の商人達が食べた料理のことで、大阪商人の食生活を象徴するものといえます。さて、船場料理のうち、半助豆腐という料理は、豆腐とネギと何を炊き合わせたものでしょう?
 ①ウナギの頭
 ②ウナギの尾
 ③鯖の頭
 ④鯖の尾


 いかがでしたか?
 いろんなジャンルから出題されていますが、ごく一部紹介してみました。
 歴史的な事項もあるけれど、案外、現代の事柄も多く出題されます。

 答えは、一番下にあります。

 ちなみに、2級は通常の問題に加えて、受験者が選べる「ご当地問題」というものがあります。
 これは、<大阪市><北大阪><東部大阪><南河内><堺・泉州>(各5問)から、1つ選んで答えるものです。

 例えば、<南河内>では、こんな問題が!

(6)南河内地域には、大阪府と奈良県・和歌山県との境に山頂がある山が多いですが、次のうち、山頂が府県境から最も離れている山はどれでしょう?
 ①葛城山
 ②神福山
 ③岩橋山
 ④岩湧山

 ん~、聞いたことのない山もあって、むずかしいなぁ。
 


 【上の問題の解答】
 (1)③ (2)④ (3)① (4)③ (5)① (6)④






大阪検定・3級の問題






 7月10日に実施された「なにわなんでも大阪検定」。
 今日は、3級の問題の一部をご紹介します!

(1)JR森ノ宮駅の西側では西日本最大のあるものが発見されています。縄文時代後期から弥生時代中期に至る時代の大阪の姿を解き明かす重要な発見でしたが、さて何が見つかったのでしょう?
 ①ナウマンゾウの化石
 ②ワニの化石
 ③火山灰の地層
 ④カキなどの貝塚

(2)大阪市内にある次の道路のうち、三つは南北方向の道路ですが、一つだけ東西方向の道路があります。それはどれでしょう?
 ①あみだ池筋
 ②三津寺筋
 ③三休橋筋
 ④天神橋筋

(3)「日本のポップスの父」とも言われ、淡谷のり子の「別れのブルース」、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」を世に送り出した音楽家とは誰でしょう?
 ①西條八十
 ②服部良一
 ③藤山一郎
 ④中山晋平

(4)現在、阪神電気鉄道が発売しているスルッとKANSAI対応のプリペイド式磁気乗車券の名前は何でしょう?
 ①STACIAカード
 ②ラガールカード
 ③らくやんカード
 ④ハートカード

(5)現在の大阪城天守閣は3代目で1931年(昭和6年)に建設されました。2代目大阪城天守閣が無くなったのはなぜでしょう?
 ①大阪夏の陣で焼失したから
 ②江戸時代前期、落雷で焼失したから
 ③明治維新の際、戊辰戦争で焼失したから
 ④大正年間、陸軍の失火で焼けてしまったから


 全100問中、5問紹介してみました。
 いかがでしたか?

 3級ですから、5問中3問くらいは正解したいところですね。
 答えは、下に記しておきます。
 
 2級、1級も、また紹介します。
 なお、大阪検定の全問と正解(速報版)は、7月12日~14日の大阪日日新聞に掲載されています。




 【上の問題の解答】
 (1)④ (2)② (3)② (4)③ (5)②






ふらっと、夏の奈良公園






 目的のない旅って、したことありますか?
 
 今日は、空き時間ができたので、夏の午後、久しぶりに奈良に出掛けてみました。


   奈良公園


 別に、奈良に来るつもりだったわけでもない。ましてや、奈良公園に行こうというわけでもなかった。
 なんとなく、来ていました。
 だから、どこに行くとも決まっていません。


   奈良公園


 まず、ここを通ります。おなじみの奈良国立博物館。いわゆる「奈良博」。
 
 明治28年(1895)に開館した奈良帝室博物館。その建物がこれで、設計は日本の宮廷建築家として知られる片山東熊。
 ペアコラム(2本セットの円柱)の上に、櫛形のペディメント(破風)を乗せたゴージャスな雰囲気。細部にいたるまで、バロック、ロココ的な印象で、なかなか好きですね、これ。

 どこに行っても、なじみの建築には挨拶をするのですが、次はこれ。


   奈良公園


 奈良県物産陳列所。現在は奈良博の仏教美術資料研究センター。明治35年(1902)竣工。設計は、大陸の古建築の研究家として著名な関野貞。
 いわゆる「近代和風」の建築なので、ガラス窓が多いのが特徴。写真の左側には、天窓まで設けられています。物産館として建てられたので、採光は大切な要件だったのでしょう。
 私は、これまでこのなかに入ったことはないのですが、来月(8月3日)から公開が再開されるそうです。図書などの閲覧目的で利用できます(詳しくは奈良博のHPで)。一度入ってみたいものです。

 奈良では、この前後に、奈良県庁(現存せず)、奈良ホテルなど、木造の近代和風建築が造られています。


   奈良公園


 この建物の近くに、大きなムクロジの木があります。目通り(幹の周囲)4.5mの大木。よくみると、木の中から竹が生えている!
 奈良公園は、植物の宝庫でもあるのですね。


 そのあと、久しぶりに春日大社に向かいました。

 こんな石灯篭が…


   奈良公園


 春日大社の参道には、大阪の商人が寄進した石灯篭(献灯)が多いのですが、これは砂糖商・伊藤茂七が奉納したもの。
 側面をよくみると、寄進の由来が刻まれているのですが、今日は双眼鏡を持っていないので、よく見えない。明治40年に納められたことは分かります。どうも、この伊藤氏の祖父が春日大社を崇敬していたらしく、その50年忌に際し納めたもののようです(見間違えていたらごめんなさい)。

 さらに歩くと、大きな楠が…


   奈良公園


 幹の下に「明治天皇玉座趾」の碑が立っています。解説板によると、明治41年(1908)に飛火野で行われた陸軍大演習を明治天皇が観兵。そのとき玉座が置かれた場所に、この楠が植えられたといいます。目通り4.25mの大きな木。百年でこんなに育つのかなあ。

 本殿に向かう途中、二の鳥居の手前に、こんな建物が。


   奈良公園

 
 車舎(くるまやどり)。創建は、貞観元年(859)といいます。
 牛車などを停めておく建物。寛永9年(1632)の建造で、重要文化財です。もしかすると現存最古のガレージかも !?
 類例をよく知らないのですが、妻側に壁があるだけのごく簡素な建物で、流造り。五間なので、牛車が5両停められたのかな?

 このあと、参拝。
 付近には、酒殿や竈殿といった殿舎もあります。

 若草山の麓を通り、東大寺の法華堂、二月堂へも行きました。法華堂は修復途中で、昔の荘厳な雰囲気とは随分異なっていました。
 
 帰路、お参りするつもりもなかったのですが、なんとなく大仏様を拝したくなり、久しぶりに拝観しました。
 大仏殿の大きさに、改めてビックリ!

 わずか3時間のミニ・トリップでしたが、初めてのものもたくさん見たし、いろいろ勉強になりました。
 奈良公園は、やっぱり史跡の宝庫ですね。書き切れなかったものも含めて、視点を変えれば、いろんなものが見えてくる。

 おまけ情報。
 今秋、東大寺南大門の脇に「東大寺ミュージアム」が開館するそうです(2011年10月10日予定)。国宝の仏さまが安置される機会もあるそうです。






特集展示<新発見! なにわの考古学2011>、好評開催中!






   なにわの考古学1


 特集展示<新発見! なにわの考古学2011>、開催中です!

 今回は、次の5コーナーで構成されています。


  1 新発見の遺跡が語る大阪の成立ち

  2 大発見に沸く難波宮

  3 祈りと供養

  4 大坂城・城下町と蔵屋敷

  5 近現代の貝ボタン産業と大阪


 古いところから近現代まで、さまざまですねえ。
 いくつか写真でご紹介!


   なにわの考古学2


 こちらは、平野馬場遺跡(弥生時代末~古墳時代初頭)で出土した土器群です。


   なにわの考古学4


 これは、難波宮跡で発掘され話題を呼んだ壁土です。
 漆喰を用いて表面を白く仕上げており、注目されます。宮の東方の谷から出土しており、大半が火を受けて捨てられたもので、焼失した前期難波宮のものと考えられます。


   なにわの考古学5


 近世の遺構では、蔵屋敷跡から数多くの焼物が出土しています。佐賀藩蔵屋敷跡の鍋島焼や、写真の鳥取藩蔵屋敷跡から出土した幕末・明治初期の焼物などです。
 鳥取藩のものは、染付の土鍋や土瓶、丹波焼の徳利など、蔵屋敷の日常生活に使われた品ですね。土鍋で何を料理したのか、想像すると楽しいですよね。私は、このあたりに興味を持ちました。

 そして、それ以上にオモシロかったのは、これ!


   なにわの考古学6


 貝ボタン!

 ボタンですから、当然近代の出土品で、天王寺区の細工谷遺跡・上本町遺跡から出たボタンの廃材です。
 高瀬貝など、現代のワイシャツのボタンに使うような貝が当時から使われているのですね。

 こちらは、参考資料。


   なにわの考古学7


 こんな感じでボタンを抜いていくのです。

 近代大阪では、ガラス、ブラシ、魔法瓶、メガネレンズ、革ベルトなど、今からすると少し意外な産業も発展しましたが、ボタン製造もそのひとつ。こういうものが発掘されるなんて、ちょっとステキでしょう!

 大阪歴史博物館の特集展示<新発見! なにわの考古学2011>は、10月3日(月)まで開催中!

 詳しくは、当館ホームページをご覧ください。





大阪検定、試験日!






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 今日は、第3回<なにわなんでも大阪検定>の試験日。

 今年の受験者は、約3,500名(申込者数)。個人の受験者のほか、会社などで団体受験されるケースもあります。ホテルやハイヤー、タクシーなど、お仕事に役立つ場合もあるのですね。
 試験会場は、堺市の大阪府立大学です。

 1級、2級、3級と、級別に試験が実施され、いま最後の2級の試験時間が終わったところです。

 大阪検定については、このブログでも何回か紹介してきました。大阪歴史博物館も、大いに協力させていただいています。

 合格者への特典のなかに、当館への入場優待もありまして…
 1級合格の方には、無料入場券(常設・特別展)1枚を、2級合格の方には無料入場券(常設)1枚を、3級合格の方には、常設展の割引が、それぞれ特典になっています!

 歴史分野からの出題も多い大阪検定ですから、受験者の方は事前に当館の見学においでのような気もするのですが(笑)

 昨年の問題は、ちょっと難しく、特に1級合格者は10名!という超難関でした(551名中)。

 今年はどんな問題だったか、楽しみですね。
 
 大阪検定については、大阪検定公式ホームページをご参照ください。

 受験者のみなさん、お疲れさまでした!!
 すばらしい結果が出ることをお祈りしています。

 そして、実施に尽力された事務局のみなさんも、お疲れさまでした!






今日は展示替






 今日は火曜日で、休館日。特集展示の展示替を行いました。自分もやっていたもので、写真を撮る暇がなくてスミマセン。

 昨日までの特集展示「懐かしい市電とバスのある風景」が終了。その資料を撤収し、明日からの特集展示「新発見!なにわの考古学2011」が陳列されます。

 当館の場合、8階の特集展示の入れ替えは、わずか1日で行います。これは、ふつうは無理かな? という日程ですが、それを可能にするのが学芸員の努力ですね(笑)
 午前中に前の展示を片付け、引き続き次の展示を並べます。だいたいは夕方までには終わらず、夜に至る作業となります。
 今回は考古学の展示で、展示点数も多く約300点。これは時間が掛かりますね。並べ終わってからも、ライティングをやったりしますから、さあ、何時まで掛かるのか…

 その一方で、明日は「市電」展の展示資料をお返しに回ります。借りた資料を無事返し終えて、展覧会は終了なのです。

 あと12時間で、新しい特集展示「新発見!なにわの考古学2011」が開幕します。
 展示品などのレポートは、また改めてお伝えします!







難波宮発見50周年を記念した講座です!






 昨日(2011年7月1日)の朝日新聞夕刊<テーブルトーク>に「難波宮研究 託された課題」として、中尾芳治さんが紹介されていました。


  朝日新聞・中尾芳治さん


 京大出身の中尾さん。考古学の先輩たちから学んだこと、山根徳太郎博士との出会いなどを語っておられます。

 今年は、難波宮(なにわのみや)の大極殿が発見されてから50年になります。

 それを記念して、大阪文化財研究所の≪金曜歴史講座≫は、難波宮特集に!

 7月8日(金)から4週連続で、大阪歴史博物館講堂にて開催されます(午後6時30分~、参加費200円、定員250名=当日先着順)。

 初回は、記事に登場した中尾芳治さんが「前期難波宮跡の年代と宮号を求めて」と題して、講演されます。
 2回目以降も、植木久さん、八木久栄さん、長山雅一さんと、難波宮の調査研究に携わって来られた方々が登場されます。
 
 詳しいプログラム等は、当館ホームページで、ご確認ください。


オリックス・バファローズ<大坂夏の陣>、行ってきました!






  オリックス1


 6月25日、当館に来られた<オリックス・バファローズ イケメン武将>のみなさん。京セラドーム大阪で行われる対ソフトバンク・ホークスとの3連戦(7月1日~3日)、称して<大坂夏の陣>のキャンペーンでした。

 いよいよ、<大坂夏の陣>が火蓋を切って落とした!

 ということで、初戦、京セラドーム大阪に馳せ参じました!!


  オリックス2


 のぼりが、盛り上げてます!


  オリックス3


 この日の観衆は、約24,313人。ふだんより1万人くらい多い! やっぱりキャンペーンの成果ですね。


  オリックス4


 イニングの合間などに、イケメン武将が登場! これは、バックスクリーンで歌うイケメン武将。よく見ると、大画面の下に二人が立っています(笑)

 試合は、この日、名前を“兵州男”に改めたヘスマンの2ホームランなどの活躍で、オリックス・バファローズが9-3で圧勝しました!

 7月2日、3日の土日にも開催されます。
 プロ野球好きな人も、戦国武将好きな人も、イケメン好きな人も、ぜひどうぞ!!


  オリックス5






プロフィール

なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

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