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シンポジウム「港湾と中世都市」開催のお知らせ






 シンポジウム「大阪上町台地から都市を考える」(4)として、<港湾と中世都市-堺・益田・高松・大阪->を開催します。

 日程は、12月23日(祝)午前10時~午後4時45分(受付は9時30分から)。
 場所は、大阪歴史博物館・4階・講堂です。

 参加費は、無料。
 申し込みも不要ですので、ぜひご参加ください!

 詳しい内容は、下記の通りです。


 ■報告1  松尾信裕(大阪城天守閣)「渡辺津の姿を求めて」
 ■報告2  長澤和幸 氏(益田市教委)「益田河口部の港湾遺跡」
 ■報告3  佐藤竜馬 氏(香川県埋文センタ-)「野原から高松へ-港町の成立・変容過程-」
 ■報告4  吉田 豊 氏(堺市博物館)「中世の堺」
 ■パネルディスカッション(司会:大澤研一・嶋谷和彦)

 東アジアの東端に位置する日本は、島国であるゆえに古くから水上交通によって文物の交流を行ってきました。中世になると、国内各地の沿岸部には水上交通の流通拠点となる港湾都市が多数出現します。
 大阪には渡辺津と呼ばれた港があり、西日本各地の主要都市や集落をつなぐ港湾都市として存在していました。
 このシンポジウムでは、渡辺津と他地域の中世港湾都市を比較し、その港湾形態や都市構造、周辺部での交流の実態を考えてゆきます。



※このシンポジウムは、(独)日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(A)課題番号:21242031「大阪上町台地の総合的研究-東アジア史における都市の誕生・成長・再生の一類型-」による補助事業です。



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<モダン大阪音楽会・第2章>開催しました!






 11月25日(金)夜、特別展「心斎橋 きもの モダン」にちなんで、<モダン大阪音楽会 第2章>を開催しました!

   音楽会


 今回は、なんと展示室で!!
 美しい絵画を前に、西洋古楽と謡のコラボレーションでした。


   音楽会


 西洋古楽は、第1章に引き続き、そう楽舎のみなさん。森本英希さん、赤坂放笛さん、吉竹百合子さんです。
 謡は、金剛流能楽師の宇高竜成さんにおいでいただきました。

 クープランから始まり、おなじみの「宵待草」、そして「春の海」や「残月」など。謡「石橋」「鶴亀」もご披露いただきました。

 やはり、西洋古楽器と邦楽が意外にマッチするのに感動。
 名画を前に、名曲を聴くのも、いいものですね。

 お客さまも100名ほど来場いただき、盛況でした。


   音楽会


 バックの絵は、高橋成薇「秋立つ」(右・大阪市立近代美術館建設準備室蔵)と、北野恒富「星(夕空)」(中・大阪市立美術館蔵)です。

 特別展「心斎橋 きもの モダン -煌めきの大大阪時代-」は、12月4日(日)まで好評開催中! 

 お見逃しのないように、ご覧ください。





歴博でも、ご遠忌が…






 そろそろコートがほしい季節になってきましたね。

 先日、たまたま京都・東本願寺の前を通ったら、親鸞上人750回忌ということで、ご遠忌の法要(御正当報恩講というそうです)が執り行われていました。

 親鸞上人の御真影をまつる御影堂(ごえいどう)に入ると、和讃が響き渡り、大勢の門徒さんが座っておられました。その数、1000とも2000とも数えきれない人数です。
 この建物は、明治28年(1895)に竣工したのですが、間口が76mもある巨大木造建築です。
 いままで何度も入ったことがありますが、びっしり人がおられるのは初めて。広大な外陣ですが、この広さが必要なのもうなずけました。

 実は、大阪歴史博物館にも、本願寺の御影堂があります。


   本願寺

   本願寺

 門徒が座っている広いところが外陣、その左の狭いスペースが内陣です。
 人形の数は、ちょっと少なめに作っていますが…


   本願寺


 こうして、お堂にぞろぞろ人が入っていくのですが、何をやっているのか?

 実は、永禄4年(1561)3月、親鸞上人300回遠忌の法要が営まれているのです。
 なんと、450年前の同じ風景が展示室にあるのです。

 この御影堂は、当館や大阪城の付近にあった大阪本願寺に建っていたもの。天文2年(1533)に成立した寺院で、寺内町には1万人を超える人たちが住んでいたといいます。
 しかし、織田信長との戦いの末、天正8年(1580)に焼失しました。

 当館・9階の模型は、カットモデルになっているので、その建築構造もリアルにわかります。
 一度ご覧ください!





「勤労感謝の日」に思う






 「勤労感謝の日」でしたね。
 お仕事だった方、一日お疲れさまでした。

 かつて、源氏鶏太という小説家がおられました。源氏さんは、サラリーマン小説の第一人者で、高度成長期の人気作家でした。


   新サラリーマン読本


 昭和32年(1957)に出された『新サラリーマン読本』(新潮社)に、こんなことを書かれています。


 元住友理事田中良雄氏がよく口にされた言葉に「一隅を照す」というものがある。これは伝教大師の「一隅を照すものは、これ即ち国宝なり」という言葉から引用されたのだと思うが、私が、この言葉をはじめて聞いたのは、もう、二十年も前のことだ。

 その趣旨は、サラリーマンたる者は、一隅を照す人間になるように心がけろ、ということであったように思っている。一隅とは、自分の周囲、というほどの意味なのである。

 仕事の上において、また、人格の上において、絶えず、自分の周囲を照すように心がけているべきである。それをいきなり、会社全体を照そうというような野心を起しては、そこに、どうしても不純なものがまじるから、失敗する、ハッタリと眺められて、敬遠される。

 それよりも、自分は片隅にいるが、その片隅を明るくすることに、つつましい歓びを感じることこそ、人間としての幸せなのだ。一隅を照すためには、自分の仕事を大切にし、全力を注ぎ、その周囲の人人をも愛してゆかねばならぬ。謙虚であると同時に、秘やかな自己満足と誇りが必要である。

 (中略)

 ところで、私自身が、「一隅を照す」という言葉を思い出すのは、たいてい、不遇なときとか、意気消沈しているときだった。そういうときの、
 「そうだ、自分は、一隅を照す人間になっていればいいのだ。」
 という独白の中には、あきらめにも似た思いがひそんでいたことが否定出来ない。

 (中略)

 が、近頃になって、一隅を照し続けるためには、どんなに勇気がいるか、ということを考えるようになったのである。  (「勇気礼賛」、引用文は適宜改行を施した)


 源氏さんは、こう述べて、「勇気」とは無縁と思われるサラリーマン社会で、どんなに勇気が必要であるかを説きます。
 たとえば、<万年平社員で我慢する勇気>、<上役にお世辞をいう勇気>、<上役に憎まれる勇気>、<叱る勇気と叱られる勇気>、<仕事を怠ける勇気>、<バカになって見せる勇気>などなど。

 かなり逆説的な「勇気」も含まれていますが、要は腹をくくって会社で生きていく心持ちを「勇気」と表現しておられます。

 最澄の「一隅を照らす」(または「千一隅を照らす」)という言葉は、仕事哲学において好まれる言葉ですが、おもしろいなと思ったのは、不遇なとき、意気消沈しているときに、この言葉を思い出すというくだりです。

 なるほど。慰めの意味になるんですね。 
 たしかに、立身出世する人、世界を股にかけて活躍する人は、こういう言葉を思い出さないでしょう。

 「一隅を照らす」という言葉ほど、「勤労感謝の日」にふさわしい言葉もない、と思ったりもします。
 なぜなら、どんな仕事にも立派な意義があり、世のため人のためになる、ということですから。

 けれども、私がより大切だと思うのは、不遇なときにこの言葉を思い出すと慰めになる、という点でしょうか。
 仕事はいつも順風満帆なわけではない。そんな辛抱の局面で、どういう考え方をすれば、自分の仕事を続けていけるのか。

 実は、戦後のサラリーマン処世術を読んでいると、これが大きな問題だということに気付かされます。
 伝教大師は考えてもおられなかったでしょうが、「一隅を照らす」は、そういう意味でも、働く人を勇気づける言葉として、貴重なのかも知れません。 
 
 「勤労感謝の日」。少しだけ、仕事のことを振り返ってみませんか。





「大大阪」の誤解






 当館も開館10周年となって、この間、普及に努めてきた「大大阪」という言葉も、かなり広く知られるようになった。

 先日も、あるテレビ局の記者さんが取材に来られ、「大大阪」について教えてほしいと言われる。
 どうも、華やかで栄えていた時代として、大大阪を紹介したいらしい。
 やっぱり洋装の女性も多かったのですか、と問われる。
 実際は、そんなことはない、女性はほどんど着物ですよ、ということになるのだが、認識のギャップがあるようだ。

 また、先日も書店で、京阪神の“名建築”ガイド本が刊行されているのを見た。
 手に取ってみると、その“名建築”とは、すべて近代建築なのだった。まったく断りなく、建築=近代建築みたいになっている。京阪神といえば、京都を中心として、ずいぶん近代以前の名建築(古建築)があるはずだが… 
 それほど、近代の文化財が市民権を得たということだろう。

 これらの現象は、ここ数年顕著になってきたが、啓蒙が進んだと喜ぶべきなのか、行き過ぎと反省すべきなのか、むずかしい。私はすでに後者に傾いている。

 いま、手元にあった橡内吉胤『日本都市風景』(原著1934年、筑摩叢書に収録)をペラペラ繰っていた。
 そのなかに、「三都街風景」という随筆があった。橡内は、東京朝日新聞の記者などを務めた都市景観・都市計画に詳しい識者だが、東京のことも大阪のことも知っている。
 彼が紹介する昭和初期、すなわち大大阪の時代の街の様子を引いてみよう。

 
 たとえば、大阪なら大丸とか三越といったデパートの屋上に昇って鳥瞰してみれば、一目瞭然たるものがあるが、大阪にもビルディングの新出現によって近代の資本主義時代を印象づけてはおるが、東京に較べると、まだまだ孤立的なものが多くて、そのグループを発見することが出来ない。そしてその平坦な地形……煤煙にかすんだ空……大阪城の天守閣……新世界の望楼……といった特異な物象の聯合観念のもとに、大阪たる所以のものをハッキリと掴むことが出来るのであるが、それにもまして大阪の街の風景をまぎれもなく印象づけるものは、これらの散点するビルディングの島嶼を囲繞して累々たる大阪古来のあのドス黒い屋根をみせた町家の海だ。

 (中略)

 が、三都いずれも、その地方色を鮮明に盛った伝統的町家が近代の洋風建築のために押されてきて、その街景は一様に近代的になりつつあることは共通の現象ではあるが、それでも比較的古い家の多量な大阪の街景から推して、大阪人の性情のどっかに、あの近代色のビルディングを囲繞しておるシックイ造りの燻んだ色がつきまとっておるようにおもえる。大阪に鴈治郎の芝居がうけるのも、天満や御霊の社寺が発行するのも、大阪城の天守閣を復興させたり、街を動いてる男女の姿態にみても東京なんかにくらべて洋装がズンと尠ないといったことも、呉服物の柄や色合いの上にも一種渋い大阪好みというようなものが現われてくるということも自然に解るような気がする。

 私は両三年前あのドス黒い町家の続いておる道修町の薬種問屋の街から平野町へ歩いて往ったが、ここに大阪朝日の上野精一氏(同名異人だったらごめん)の邸宅を見つけたが、その邸宅は、やっぱり大阪固有の塗りごめ造りの豪壮なものであった。新聞なんかいういわゆる尖端的な事業にたずさわっておらるる人がこうした古風な家棟に住んでおるということは、ちょいとゆかしいようなまた一種異様な感じがせんでもない(甚だオセッカイな話だが……)。

 (中略)

 とにかく、一種近代的な色彩でグングン塗りつぶされてゆくようにおもわれる大阪の街に、案外まだまだこうした寂びの風景がシミのように残っておることを逸してはならない。


 この橡内の指摘に、私もほぼ同感である。
 「ドス黒い屋根」の町家や、「シックイ造りの燻んだ色」の町家が、大量に櫛比している街が大阪であり、その屋根の下で日々の暮らしが営まれている。
 この街並みを「黒く低い屋根の海」と呼んだのは小出楢重であった。

 都市に、古いものと新しいものが混在しているのは当然である。歴史を眺めていると、どうしても新しい側面に目が向いてしまうものだが、変わらないもの、伝統的なもの、慣習的なものに注意を払うことを忘れてはいけない。最近、自戒を込めて、そう思うのである。




エコライフ講演会、参加募集中!






 ≪大阪の歴史に学ぶエコライフ講演会≫、ただいま好評募集中です!

 この催しは、12月10日(土)午後2時から、大阪市環境事業協会と当館が共催で行うもので、6月に引き続き2度目の開催です。

 環境特使の花田眞理子さん(大阪産業大教授)と、当館の杉本厚典学芸員がお話します。

  *タイムスリップ! 現代に活かす古(いにしえ)の知恵 (花田眞理子さん)
  *縄文・弥生貝塚からみる大阪のくらし (杉本厚典学芸員)

 考古学に関心のある方にも、おすすめです!

 参加費は無料ですが、往復はがきで申し込みが必要です。11月25日(金)消印有効。
 詳しくは、大阪歴史博物館ホームページをご覧ください。

 12月は<地球温暖化防止月間>。
 エコライフの歴史を考える講演会に、ぜひご参加ください!!





見学会は雨…






 先週に引き続き、見学会<昔の観光地を旅する2011>を行いました。

 今日は、宇治!

 しかし、あいにくの雨でした…


   見学会・宇治 傘の花が咲く…


 ほとんどずっと本降りで、歩くのにも、資料を開くのにも難渋。それでも、20名の方がご参加くださいました。ありがとうございます。

 黄檗山萬福寺では、≪萬福寺芸術祭≫なるものが実施されており、雨の中、音楽やアート、フリーマーケット、屋台、ワークショップなど、学生さんたちが催しを運営していました。


   萬福寺芸術祭


 現代の“開かれたお寺”の姿ですね。


   見学会・宇治 ワークショップ風景


 各お堂が会場となり、アート作品が展示されているため、ふだんは内部を見ることができない、三門・法堂・斎堂・東西の方丈などが開放されていました。これが、とってもうれしかったです!
 職員の方によると、三門の上層にあがれるのは、めったにないことだそうです。

 そのあと、三室戸寺や宇治上神社なども拝観しました。


   見学会・宇治 宇治上神社の拝観


 雨でしたが、充実した見学会でした。
 参加者のみなさん、お疲れさまでした!!





五来重『西国巡礼の寺』






 見学会で、西国三十三所の札所を訪れることなどもあり、以前から五来重氏の『西国巡礼の寺』(角川ソフィア文庫、2008年=原著1995年)を参照している。


   西国巡礼の寺


 五来氏といえば、宗教民俗学の大家(故人)で、私も学生の頃、『高野聖』を読んだ覚えがある。

 この書物には、いろいろと教えられる。
 3年前の見学会で訪れた笠置山。そこには修験の場があり、巨石がごろごろしている。そのなかに「平等石」という岩があった。不思議な名前の意味が分からなかったが、あとで本書を読むと、「平等」は「行道」が変化したものであり、修験者がめぐる(行道する)石を指しているという。そのような例は、大峰山や伊吹山にあるそうだ。
 はっとする指摘だった。

 今週末に見学会で訪れる三室戸寺は、西国三十三所の第十番札所。
 五来氏は、すべての宗教は<歩く宗教>から始まったとされ、まず遊行者・聖という“プロ”の宗教者が登場。それに従って一般人(俗人)も歩くようになり、さらには俗人だけが巡礼するようになったとする。
 
 そのプロの巡礼の時代、三室戸寺が三十三所の最後の札所(結願寺)だったことがあるのは、五来氏も指摘するように、つとに知られている。
 平安時代の終わり頃、三井寺の行尊は、長谷寺を振り出しに大和・紀伊・和泉・河内・摂津・播磨など諸国を経て、京都に戻り、三室戸寺で結願した。ただ、行尊の巡礼は史実かどうか疑問な面もある。
 その後、同じ三井寺の覚忠が、応保元年(1161)、那智から始めて、75日をかけて、三室戸寺に至る巡礼を行った。
 五来氏は、「いまはあまりお参りする人がありません。・・・どうしてあそこに霊場ができて、しかも結願寺になったかという問題は、まだ私にもわかりません」と言っている。
 戸田芳実氏らは、天台宗寺門派の三井寺(行尊や覚忠の寺)が代々、熊野三山検校に任ぜられたことから、三十三所の組織化に寺門派が関与したと推測。三室戸寺も三井寺の末寺であったことから、結願寺になったのでは、と示唆する(戸田『歴史と古道』人文書院、1992年)。

 三室戸寺は、かつてその本堂が清水寺・長谷寺・石山寺などと同じ懸造(かけづくり)だったという指摘もあり(浅野清編『西国三十三所霊場寺院の総合的研究』)、拝観するのが楽しみだ。

 『西国巡礼の寺』で、五来氏が強調されているのは、巡礼の望ましいあり方は、そこまで歩いて行って、その場所でめぐることだという。
 百度石など、まさにその場でめぐる行為。
 氏がおっしゃることでよく理解できるのは、罪を懺悔する(悔過[けか])のに口先だけでなく、からだで懺悔する、という点だ。海外などで今でも見かける<五体投地>は、その例である。
 西国三十三所巡礼は、230里(約920km)もあるという。
 それを歩いてめぐることは大変な苦行。でも、それを行わないと悔過できないということも、なんとなく理解できる。

 西国巡礼をされる方は、深い洞察に満ちた本書の一読をお薦めしたい。




見学会「昔の観光地を旅する」、実施しました!






 11月13日(日)、晴天のもと、見学会<昔の観光地を旅する2011>を開催しました!

 今年で4回目。
 30名弱の参加者とともに、秋の伏見・深草を歩きました。


   伏見稲荷


 この催しは、昔(江戸時代~昭和初期)の大阪人が行った日帰り観光を追体験する試みです。

 伏見稲荷大社は、七五三でにぎわっていました。

   伏見稲荷


 解説する伊藤純学芸員。なかなか見られない神田を拝観しました。


   伏見稲荷


 このあと、石峰寺、宝塔寺、瑞光寺などを拝観し、最後は予定外でしたが旧陸軍十六師団司令部(聖母女学院)を拝見して終了しました。

 次の土曜日は、宇治方面で行う予定!
 楽しみに準備します。


 ※この見学会の参加募集は終了しています。




いとうせいこう・みうらじゅん『見仏記』最新刊、刊行される!






 このたび、いとうせいこう・みうらじゅん両氏の『見仏記 ぶらり旅篇』(角川書店)が刊行されました!


   見仏記ぶらり旅編


 「見仏記」シリーズは、これまで1~4が刊行され(文庫化もされ)、この前は『見仏記 ゴールデンガイド篇』が出版されていました。
 それから、2年半。沈黙を破って、新たな「見仏記」が!!

 「見仏記」とは、少年時代より仏像が大好きなみうらじゅん氏と、“仏友”いとうせいこう氏が、仏像見物の珍道中?を繰り広げるシリーズです。
 文は、いとう氏。ユーモラスで軽妙です。
 絵は、みうら氏。熱のこもった、仏愛あふれる筆致です。

 独特の感性で仏像を捉えるみうら氏と、それに突っ込むいとう氏との絶妙のコンビネーションがたまらなく、ベストセラーになっています。

 今回は、平城遷都1300年を期して、奈良にやってきた二人の物語です。
 大好きな秋篠寺の伎芸天を拝したり、獅子から降りた安倍文殊院の文殊菩薩像を拝んだり。
 猛暑のなか、ふうふう言いながら見仏する二人が楽しいです。

 私も今、読んでいる途中ですが、ぜひ一読をおすすめします。
 楽しい仏像の見方が広がること、請け合いです!





<えんそくのしおり>が、「日経トレンディ」に紹介されました!






   えんそくのしおり
    <えんそくのしおり>第2号


 この夏、創刊した大阪歴史博物館の情報メディア<えんそくのしおり>。
 すでに、このブログでも紹介しましたが、新聞などでも取り上げていただきました。

 今月は、「日経トレンディ」12月号で紹介されました!


   日経トレンディ12月号


 ≪ディープな情報を読み込ませる地方系フリーペーパーが台頭≫という特集記事です。
 別府市の「旅手帖beppu」とともに、2誌だけの堂々掲載!

 「“カワイイ”ものを女子目線で探して紹介する」媒体で新たな来館者獲得を狙う、と紹介されています。

 「学芸員による学術的な情報とは異なる視点が新鮮」と、当館担当Sのコメントも掲載されています。

 東京・渋谷のフリーペーパー専門店代表の石崎孝多氏は、「フリーペーパーは、作り手の表現したい欲求が強く反映され、濃密な情報となるのが魅力」と解説しておられます。
 <えんそくのしおり>も、独自媒体なので、たっぷりと館の魅力を伝えることが可能ですね。
 先日発行したばかりの第2号も、特別展「心斎橋 きもの モダン」と常設展示を絡め合わせる異色の内容で構成しました。


   えんそくのしおり
   上段左には特別展を、右端には常設展7階を紹介。
   下段には、遠足に役立つ市内の“給茶スポット”も紹介されている。


 <えんそくのしおり>は、ギャラリー・アビィ、シネ・ヌーヴォ、袋布向春園本店をはじめとする、大阪市内のカフェ、ギャラリー、書店、映画館など約80カ所で配布しています。
 配布先は、大阪歴史博物館ウェブサイトで、どうぞ!

 ますます注目されそうな<えんそくのしおり>。

 みなさんも、品切れにならないうちに、ご覧ください!!





開館10周年の記念日。






 2011年11月3日、大阪歴史博物館は開館10周年を迎えました。

 これもひとえに、当館をご利用、ご愛顧、ご支援いただきました皆さまのおかげと存じます。あつく御礼申し上げます。

 今日は、特別展の講演会や、こども向けイベント「かえっこ」など、盛りだくさんでした。
 また、懐かしい仲間も来てくれたりして、うれしかったです。


   10周年


 特別展講演会「モダニズムを生きる女性たち」は、肥田晧三さんと明尾圭造さんをお招きして開催。
 心斎橋筋の往時のようすや、阪神間の女性気質などについて語っていただきました。

 こちらは、「かえっこ」。


   10周年

   10周年


 おもちゃをポイントと交換して、新しいおもちゃがゲットできる遊びです。
 たくさんのこどもたちが来館! 熱中して「かえっこ」していました。
 当館オリジナルのポイント「銭モドキ」でグッズがもらえるのも、楽しかったようです。


   10周年


 グッズ販売の「れきはく市場」もにぎわいました。

 今日は、開館記念&「関西文化の日」で、常設展示を無料でご覧いただきました(明日11月4日、明後日11月5日も常設展無料です)。

 午後、展示室を歩くと、いつもより遥かに多くのお客さまがおられます。
 ふっと、10年前の今日のことを思い出しました。

 その日は、6000人以上の来館者がありました。開館したうれしさもあり、とても感激しました。
 今日も、大勢のお客さまの姿を見ながら、私はやはり感動したのでした。
 10年経って、今日は何も感じないかなと昨日は思っていたけれど、やはり10年前と同じような気持ちになったのです。

 今日も思い出したもの。それは、いつも想起するアメリカ映画「ナイトミュージアム」のラストシーン。
 不人気な博物館が、主人公の活躍?によって夜間に“事件”が起こり、それがテレビニュースに流れると、翌朝、大勢の来館者が詰めかけ、主人公もクビを免れる、というものです。

 博物館の階段を上がって、続々と市民が入場してくる映像に、私は何度見ても感動せずにはおれません。

 博物館に人が大勢来ると、なぜ感動するのだろうか?

 私にとって、なかなか難しい問題です。

 おそらく、誰もが歴史や文化に触れ、知的な愉しみを覚えるということが、すばらしいと思えるからでしょうか。

 今日もそうでしたが、皆さん、実に楽しそうに展示をご覧になっています。
 家族で、ひとりで、友達と、カップルで… さまざまな方が展示を楽しんでおられる。それは、理想的な社会のあり方のひとつを示しているのかも知れません。
 皆さんの背中を後ろから眺めていた私は、うれしさに堪えないのでした。

 今日思ったこと。
<来年からも、11月3日に「関西文化の日」を実施して、この日を常設無料開放日にしたい…>

 やはり、大勢のお客さまの姿を見て、初心を思い出したのです、今日は。

 だから、来年も再来年もそれから先も、11月3日に初心を思い出せれば…
 これは、個人的な感想ですが。

 今日は、当館の3,650数日の1日に過ぎなかったけれど、この1日がないと明日も来ませんものね。

 1日1日を大切に、また歩んでいきたいと思います。 
 

いよいよ10周年!






 11月3日、大阪歴史博物館、10周年記念日です!!

 常設展示の無料開放も行います!(11月3日~5日の3日間限定)

 この機会に、ぜひご来館ください。





プロフィール

なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

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