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河西英通『東北』、『続・東北』






 今日は、大森一樹監督の映画「津軽百年食堂」を見ました。

 日露戦争後の明治42年(1909)から、青森県・弘前で百年つづく<津軽そば>を出す大衆食堂が舞台。現在の話と明治の話が綯い交ぜになりながら進行します。その重なりが上手に活かされていますね。
 見ながら、主人公・陽一(オリエンタルラジオ藤森慎吾)がいう、弘前っていいなあ、というセリフ。それを聞いて、やっぱり地元はいいなぁ、ふるさとはいいなぁ、と思ってしまうのでした。

 映画を見た帰り、書店に立ち寄りました。ある仕事で、若い学生に薦める本を選ぶ必要があって、書店の大きな棚を見ながら考えていました。目に留まったのが、この本。

 河西英通『東北-つくられた異境』(中公新書、2001年)

 続編に、『続・東北-異境と原境のあいだ』(同、2007年)があります。


    『東北』


 以前、<大阪を模倣する街>、いわゆる<○○の大阪>を調べているときのこと。福島県の郡山が<東北の大阪>と呼ばれる工業都市だと分かりました。東北のことを知りたいと思い、参考図書として手に取ったのが、この2冊でした。
 河西氏は、“遅れた東北”が内から、また外から、どのように認識されてきたかを、幕末から明治(正編)、さらに大正以降(続編)と、丹念に追っていきます。明治期の津波についてなど、災害・凶作についての記述もありますので、一度原著を手にとってみてください。

 興味深かったのは、≪東北=スコットランド論≫。
 例えば、明治30年頃、弘前出身のジャーナリスト・陸羯南(くが・かつなん)が、この説を唱えています。羯南は、「スコット[ランド]は自らスコットたるを名誉とし、敢て英人とよばるるを欲せず」とし、「侮られ、無神経といはれ」る東北は、スコットランドのようにあるべし、と主張しています。
 また、会津出身の二瓶要蔵という同志社卒のキリスト者も、この考えを述べています。
 「東北は日本に於ける『スコツトランド』なりと信じ居り候、(中略)英国の偉人と云ふ偉人は皆『スコツトランド』より出づる由にて候、どうか日本のスコツトランドを以て任じ下されたく候、大なる野心を持たれよ、小成に安んずるなかれ」と記したといいます。いつの日か、東北が成長し偉大な人物を輩出する、という気概でしょう。
 東北=スコットランド論には、強い劣等感とそれを反転しようとするバネが感じられます。

 河西さんも書いているのですが、1988年、大阪の著名な酒類メーカーのトップが「東北は…文化的程度も極めて低い」などと発言して顰蹙を買い、国会でも問題になりました。そんな昔ではない20年あまり前の話です。
 本書でも、大正中期(1920年前後)の青森県の自己意識の例があげられていて、その1つに次のようなものがあります。
 「青森県は世界中の資本国に於て、最も文化の程度の低いと言はれてゐる日本国の中でさへ問題にならない野蛮国だと言はれてゐる。お恥かしい話だが本当だから仕方がない」
 半世紀以上の時を超えて、このような意識が大阪の企業のエライさんに伝播していたといえるかも知れません。そういえば、映画「津軽百年食堂」でも、東京から来たサラリーマンが、名物・津軽そばを東京の味とは違うということで馬鹿にする場面がありました(そこは映画ですから、痛烈に撃退されていましたが)。

 「津軽百年食堂」では、東京に出て行った主人公が、最後は津軽に帰ってくる話になっています。同郷の若いカメラマンの女性も郷里に戻り、スタジオを開くことになります。その展開を見ていて、私は何となく納得していました。“東京が進んでいて津軽が遅れている”などとは、やはり思えず、そんなことより、百年間ずっとそばを出しつづけている食堂の方に魅力を感じているのでした。






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