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源平布引滝の「悪日」 ~文楽4月公演より~






 国立文楽劇場で、文楽4月公演を拝見してきました。
 今月は、竹本源大夫、鶴澤藤蔵襲名公演です。ただ源大夫さんは病気のため休演され、口上のみに登場です。

 出しものは、「源平布引滝」と「艶容女舞衣」。
 源平布引滝は、いいですよね。近世らしい奇想天外な展開をします。
 今回観て、すごいなと思ったのは、竹生島遊覧の段で、琵琶湖の水面を小まんが泳いで来る場面。なにか、バタフライのような泳ぎ方で泳いで来る。そのスタイルで、何度も何度も現れる。その絵づらが、おもしろいんです。
 
 文楽って、古典芸能で世界遺産で、なんか難しそうで、と思われるかも知れません。でも、気楽に観たらいいんですね。泳ぎ方がおもしろければ、そこで笑ったらいい。文楽(人形浄瑠璃)は、もとをたどれば、人形の動きのケレン味というか珍しさが楽しかったわけですから、そういう見方も許される(という私の考え)。

 で、そのあと船に救い上げられた小まんは、源氏の白旗を持った手を切り落とされるのですが、その腕がまたプカプカと湖面を流れていく。途中でちょっと岩に引っ掛かったりする。それがまたおかしい。
 やっぱり、文楽って、意外さが満ちた異文化です。

 今回、気になった言葉が「悪日(あくび)」。
 浄瑠璃では、こう出てきます。


 (平家に捕えられる小まん)
 「その女こそ源氏方、白旗隠し持つたるぞ。油断あるな」
 と呼ばはる声
 「さてこそ、こやつ曲者」
 と飛騨左衛門飛び掛かり、腕捻ち上ぐれば
 小まんは声上げ
 「ナウ今日は如何なる悪日ぞ。死ぬる命を助かりて、嬉しと思ふ間もなく、この修羅道の責めは何ごと。情けなや浅ましや」
 と歯軋み歯ぎり身を震はし、悶え嘆けば

 
 泳いでいたら船に助けられて良かったと思ったら、それが敵方・平家だった…という天国と地獄。そんな今日を「悪日」と言っています。
 これまで、「厄日」という言葉は聞いたことがありますが、「悪日」は初めて。こんな言い方、江戸時代の大坂ではしたのでしょうか。
 辞書を引いてみると、「あくび」でなく「あくにち」として、次のようにありました(『日本国語大辞典』)。

 (1)陰陽家で、事を行なうのに悪い日。運勢の悪い日。凶日。←→吉日
 (2)不運、不幸にめぐりあわせた日。その人にとって運の悪い日。運のない日。←→吉日

 源平布引滝の「悪日」は、(2)の用例として出てきます。

 ところで、(1)の意味になると、“今日は悪日だからやめとこか”みたいな心持ちにつながります。
 このあたり、“中世のリアリスト”兼好法師が、おもしろいことを言っています。

 兼好法師の頃、「赤舌日」(しゃくぜちにち)というタブーの日が言われ始めたそうです。兼好法師は、それを根拠のないことと一蹴し、人の心は定まりのないもの、物はみな幻の如く変化する、と無常観を述べます。そして、<「吉日」に悪いことをすると必ず凶であり、「悪日」に善いことをすると必ず吉である>と言われることから、<吉凶は、人によりて、日によらず>と断ずるのです。
 つまり、日がどうこうでなくて、人(自分)次第、ということですね。

 これをさらに解釈していくと、禅語の「日々是好日」につながる、ということもあるようです。

 確かに、一日一日に良い日も悪い日もない。自分がベストを尽くせば、どの日も良い日なのだ、と。

 なるほど。
 もう少しネガティブな私は、源平布引滝を観ながら思ったのです。

 <うまく行かない日は、悪い日だと思って、諦めた方がいいんじゃないか>

 <今日は悪日>と思って割り切った方が、かえってスッキリするんじゃないだろうか。なんというのか、受忍的というか、<降り掛かって来るものは、しゃあないか>という諦念。処世術ですね。

 変な教訓譚になってしまいましたが、文楽を観ながら勝手にこんなことを思うのも、愉しい古典との接し方でしょうか。
 





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