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弁天町の交通科学博物館に行ってきた






 梅雨入りして、今日もずっと雨ですね。
 台風も接近とあって、明日(5月29日)予定されている見学会「大坂ぐるり町あるき」も、中止することに。午後から、担当学芸員らが一軒一軒電話連絡しています。ご苦労さまです!

 しかし、大阪歴史博物館の特別展示室は、かなりの熱気。今週、突如もりあがりをみせた正阿弥勝義人気! その作品を展示する特別展「幕末・明治の超絶技巧」が明日29日までとあって、駆け込みでご覧になる方が多数お見えです。

 そんな中、私は朝の時間を利用して、弁天町にある交通科学博物館に行ってきました。
 ここに来るのは、かなり久しぶり。駅を降りて入口が分からず、売店の人に聞いてしまった…

 お目当ては、これ!


   環状線展


 ここで紹介していて何なのですが、こちらも明日まで! です。
 というわけで、駆け込みで行ったのでした。

 久々に館内に入って驚いたのは、お客様の多さです。かなりにぎわっていて、こどもさんの団体やグループが多そうでしたが、わいわい楽しそう。
 
 企画展は一番奥で。
 <大阪環状線 開業50周年記念 企画展 ぐるっとまわって50年>です。

 環状線の歴史が分かりやすく説明されています。
 なるほど、と思ったのは、創設期のこと。
 環状線は東半分と西半分が別々の経緯で造られたのですが、東の大阪-天王寺間は大阪鉄道が建設しました。
 このルートは、大阪-玉造-天王寺と走っていますが、これまで何とも思っていなかった。
 実は、この経路、大阪の中心市街を避けて通したのだそうです。開業は明治28年(1895)ですから、大阪市が成立してから6年目。当時、このルートは市域外でした。河川も多く、土地の買収も必要なことを考慮すると、市街を避ける方が安価に建設できたようです。
 ちなみに、その2年後の明治30年(1897)に市域が拡張され、この線路(のちの城東線)の内側までが大阪市となったのでした。

 歴史をさかのぼってみると、なるほどと思うことも多いですね。

 環状線がつながったのは、昭和36年(1961)のこと。しかし、当時はまだ大阪-西九条間だけが高架されておらず、ぐるぐる回る環状運転はされていませんでした。
 国鉄的には“逆「の」の字”運転といわれていたようですが、西九条-天王寺-大阪-西九条-桜島と運転していたそうです。つまり、大阪駅から弁天町へ行くとすると、一度西九条で乗り換える必要があったのですね。地上線から高架線へ。
 これも、へえ~、ですよね。

 以前やった写真展で、昭和36年に開業式が行われた弁天町駅ホームの写真を見たことがあります。振袖の女性がたくさん居並び、カメラの砲列が何十台も、後ろは高い脚立を立てている。その背後には、大きな照明が2灯煌々と光を放っている。よく見ると、線路にも記者が降りてカメラを構えている…
 そんな写真です。
 熱気と喜びが伝わってきます。

 それから50年。
 環状線は、大阪にとってはなくてはならない路線になりました。
 こういう展覧会を行って歴史を振り返るのも、意義あることですね。




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