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“どこへ行こうか”






 「どこへ行こうか」という書名の本がある。

 谷口梨花『春夏秋冬 何処へ行かうか』。大正10年(1921)に博文館から出版された。
 著者の谷口梨花は、鉄道省にいて同省が出した『鉄道旅行案内』の編纂に携わった人物。数多くの紀行文をものしており、この本もそれらを集めた一冊である。
 大正時代から、一部の人たちの間には、休暇をどう過ごそうか、という“悩み”があったことが分かる。

 今日の私の心境も、そのタイトルと同じ。
 そこで、海のある方に行ってみた。


   海景


 鮮やかな海の景色。
 ウミネコがたくさん飛び、鳴いている。
 ここは、ある半島の先端。小さな漁村で、おばさんたちが干物を作ったりしている。
 半島には、集落ごとに民宿があり、小さな浜では夏休みの家族連れが海水浴に興じている。

 
   ソテツ


 先端の集落にある大蘇鉄(ソテツ)。漁村独特の入り組んだ路地の奥の、民宿の裏にある。
 大小8つの株からなり、大きな株は高さ6m余にもなる。樹齢1300年と記されている。

 この集落へは、半島の付け根から車で20キロほど、ぐねぐね曲がった細い道を走らなければならない。最近の大雨によるものか、ところどころ崩落箇所があり、片側通行になっている。

 半島をめぐるこの道は、いつできたのだろうか。戦前は、おそらく船で行ったに違いない…
 そう考えながら車を走らせたが、帰ってから調べると、ひとつの記述に出会えた。

 昭和15年(1940)に刊行された北尾鐐之助の著書だ。


 そこへ行くのには、久々子湖の早瀬から、この辺の漁場をめぐる発動機船によるか、日向から半島の背筋に登つて、300メートルほどの尾根通りを山越しに行くか、少し遠くはなるが、三方から塩坂越に出て、新開の県道をあるくかであるが、どうせ急ぐ旅でもないので、いちばん遠い道の県道づたひに陸行することにした。 (『近畿景観 第八篇 若狭紀行』創元社、1940年)


 北尾が歩いた県道が、私が通った道路である。昭和15年に「新開」とあるから、昭和初期にこの道が開かれたことが分かる。それまでは、海路を行くか、もしくは尾根伝いの山道を歩くかであった。
 北尾は、16キロというその道を先端の村まで歩く間、1日1往復する郵便配達と行き違っただけで、他の誰とも出会わなかった。人の通らぬ道だったようだ。

 漁村では、季節によって、イワシ、マグロ、ブリなどが採れるという。北尾は、そのことを詳しく書き留めている。

 私が見た蘇鉄も登場する。


 海から帰つた息子さんの案内で、天然記念物の有名な大蘇鉄を見に行つた。蘇鉄は、ある漁家の庭になつてゐる狭い段階地の一隅に、亭々と聳えてゐた。堺の妙国寺のものをみた眼には、さほどにもおもはなかつたが、断崖になつてゐる高い後ろの家の窓際まで登ると、建ち列なつた漁家の屋根越しに、白い波頭の走るのがみえて、この蘇鉄を一層大きなものに感じさせた。  (同上)


 北尾がこの「奇怪な形をした半島の突端」(同書)を訪れたのは、昭和15年の5月らしい。すでに70年が経つが、彼の記述と私が見た光景とは、さほど変化がないようにも思える。

 それにしても、改めて北尾鐐之助という人の描写の的確さに感じ入り、記録を残すということの意義深さを思う。北尾は、大阪毎日新聞の写真部長、優れた写真家であるとともに、山岳随筆や「近畿景観」シリーズを残した一流のエッセイストだった。

 私が訪れた集落と半島の名は、常神(つねがみ)という。






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