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古本市と多鯰ケ池伝説






 京都・下鴨神社で始まった納涼古本まつりに出掛けた。
 時折、こういう古本市に行って、勉強材料になる古書を求めてくる。

 初日に行くと、いつもお会いする恩師にやはり出会って、挨拶をする。そのあと、いろいろ見て回った。
 30店以上が出店している大規模な古本市で、神社の馬場にずらっと並んでいる。


   古本市

 
 学芸員には、仕事柄、古書好き、古美術好きの人が多い。私はコレクション癖はないので、自分の勉強に資する文献を求める。

 古本市には当たり外れがあって、いい本が一杯あるときもあれば、ほとんど買いたい本がない日もある。今日はどちらかというと後者に近かった。
 
 そのなかで、求めた一冊が、これ。


   湖沼めぐり


 田中阿歌麿『湖沼めぐり』。大正7年(1918)、博文館から刊行された。
 博文館は観光案内書をたくさん出している。この本の存在は前から知っていたけれど、あまりにも安かったので、すぐ買った。800円也!

 田中阿歌麿(あかまろ、1869~1944)といっても、今ではほとんど知られていないが、日本湖沼学の草分けである。
 私はこれまで、田中の『趣味と伝説 湖沼巡礼』(日本学術普及会、1927)を手元においていて、日本の著名な湖沼については、これで内容を確かめていた。先日も三方五湖を訪ねたが、そのときも同書を読んで大変勉強になった。この道の泰斗だけれど、文章は分かりやすいのである。

 『湖沼めぐり』は、湖沼の学術的解説に加えて、そこを訪ねた際の紀行文的な面も持っている。その分、読み物としても楽しめる。
 はしがきに書かれた斯学創始の苦労話も共感させられる。

 ぺらぺら繰っていると、鳥取にある多鯰ケ池(たねがいけ)の伝説が書き留められていた。興味深いので、長文だが引用してみよう。


 昔、因幡国の宮の下村に名高い長者があつた。他にならぶ者のない長者で、多くの田地や、山林を持ち、多くの下男下女を使つて、豪奢な生活をして居た。この長者が或時新しい一人の下女を雇ひ入れた。この女は細川村といふところの者で、名をお種といひ、大変美しい女であつた。お種は主人にもよくつかへ、友達との仲もよく、皆からも愛されて日を送つて居た。(中略)

 或る秋の夜であつた。皆はいつもの様に、一日の仕事を終つて、炉辺に集つて面白い世間話に時をすごしてゐたが、誰かの発議で、何かおいしい物を食べようといふことになつた。其時「私が皆様に御馳走をいたしませう」と美しいお種が云つた。

 やがてお種は支度の為めに、暗い外の方へ出て行つた。皆の者は、お種がどんなおいしい御馳走をしてくれるだらうと話し合つて、お種の帰りを待つて居た。しばらくしてお種は帰つて来た。

 「お待遠さまでございました」と云つて、お種は重さうな籠を皆のまへに置いた。見ると、それには赤く熟して、露の垂れさうな柿の実が入つてゐた。皆の者は、こんな柿を今まで食べたことがないので、喜んで皆食べてしまつた。

 次の夜も、皆が炉辺に集まると、昨夜の柿のおいしかつたことが思ひ出されて、又今夜も食べたいと云つた。するとお種は又外へ出て行つて、昨夜とおなじ柿の実を取つて来た。

 かうしてその秋の間に、お種は度々皆のために、美味な柿の実をとつて来ては食べさせた。皆の者も、初めの中は別に何とも思はないで、柿の実を食べてゐたが、あまり度重なるので、誰いふとなく、「お種さんは何処から柿の実を取つてくるのだらう」といひ出した。(中略)

 或夜お種は、いつものやうに柿の実をとりに出た後で、下男達は、「今夜こそお種が何処へ行くか見届てやらう」と申し合せて、二三人でお種のあとをそつとつけて行つた。

 あとから下男達がついて来るとは露知らぬお種は、暗い中を草履をはいて、スタスタと急ぎ足に歩いて行く。寂しい田舎道を歩いて、やがてお種の着いたところは、湯山村の人里はなれた物凄い池であつた。

 やがて、お種は渚に立つて、静かに池の中に入り、池の真中にある小さな島に着いて、その島にある柿の樹から赤い実をとりはじめた。そのお種の姿を見た下男達は、見る見る真蒼になつて、ぶるぶるふるへながら一散に其処を馳出した。あの美しい女とばかり思つて居たお種が、見るも怖ろしい大蛇の姿となつて、池を泳いで行つたのである。(中略)

 その夜からお種は再び主家へは帰つて来なかつた。それから後は、主人の家に絶えず不幸が続いて、さすがの長者の家も見るまに衰へてしまつた。

 後に、この池を種ケ池と呼ぶやうになつた。村人は毎年沢山の餅を搗いて、池に持つて行き、小さな餅を一つづゝ木の葉に乗せて池に投げ入れると、餅は池の真中に出て、渦巻の中に吸はれるやうに巻きこまれてしまふさうである。(後略)
                 (田中阿歌麿『湖沼めぐり』)


   湖沼めぐり
    『湖沼めぐり』図版 多鯰ケ池


 まるで“日本昔話”のような伝説で、種ケ池(多鯰ケ池)の名の由来譚である。

 あるいは、昨年、西湖(山梨県)で再発見されて話題になったクニマスは元は田沢湖に棲息していたが、この魚の名も田沢湖に飲み込まれて魚に変じた「お国」という女性名に由来するという。田中は、そういったことも書き留めている(『趣味と伝承 湖沼巡礼』)。

 田中阿歌麿は、明治30年代から湖沼研究を開始した。『湖沼めぐり』を読むと、明治の学者らしい幅広い関心と丹念な調査のあとがうかがえる。

 古い文献からは、さまざまな歴史的事実を教えられるのだが、同時に、領域を切り開いた先学の苦心と熱意が伝わってきて、われわれに力を与えてくれる。






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