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学芸員実習に思う (1) ~ 学芸員の採用試験を受けた ~






 いま、大阪歴史博物館でも、学芸員実習の真っ最中です。
 
 学芸員になりたい学生さんは、全国に大勢おいででしょう。
 昔語りで恐縮ですが、なにかの参考になればと思い、私が学芸員になった頃のお話をしたいと思います。


≪先輩からの電話≫

 私は、1980年代後半から90年代初めにかけて大学院に在籍していました。
 その頃は、いわゆる“バブル”の好景気で、学部の同級生は文学部にもかかわらず証券会社に就職したりしていました。私は就職活動もせず、大学院に進んでいました。
 修士論文を書いて、後期課程に進んだ2年目のある秋の日、先輩から電話が掛かってきたのです。

 「大阪の博物館で、近代史の学芸員を募集している」

 最初はピンときませんでした。当時、近代史専門の学芸員は、関西の博物館にはほとんどいないような時代でした。
 そして、締め切りまであとわずかだという。
 とりあえず、その「大阪市立博物館」に電話を掛けて、速達で願書を送ってもらうことにしたのです。

 先輩ご夫妻は、すでに専門職としてこの業界におられたので、大阪市博の募集をご覧になったのでしょう。私は、その募集を見ていませんでしたから、先輩の有り難い電話がなければ、いまこの仕事に就いていなかったわけです。

 願書は持参でもよいというので、着いたらすぐ記入して、大阪城のなかにある博物館に持っていきました。かつて「写された大阪」など特別展を見に行ったことがあるので、場所は知っていたのです。

 鉄の古いドアを開けると事務所の窓口があって、後に一緒に働くことになる庶務課のHさんに願書を手渡しました。締め切り最終日でした。


≪試験を受けた≫

 試験前には、短期間ですが、受験勉強をしました。大阪の歴史の本を読んだり、公務員試験の問題集をやったり。

 試験は、12月の初めに行われたような気がします。会場は、中之島の大阪市役所でした。
 受験生は28名で、なかなか多いなあ、と思ったものですが、私より後輩は50人などと、もっと高倍率だったようです。私は後ろから3番目の受験番号でしたから、最終日に出した私よりも後で願書提出した人もいたわけです。

 まずは、筆記試験です。
 専門の問題は、歴史用語の漢字の読みを問うもの、大阪の歴史事象を簡単に説明するもの、引札(チラシ)に書かれている崩し字を読むもの、そして論述でした。論述の問題は、さすがに忘れてしまいましたが、博物館の社会的役割に関するものだったような気もします。
 これに加え、公務員試験と同じような一般常識に関する試験がありました。まあ、公務員になるのですから当たり前です。SPIというのでしょうか、簡単な足し算を一杯やるみたいな、適正検査も受けました。

 そのあと、昼休みを挟んだような気がするのですが、筆記の結果が発表されました。私は運よくパスし、面接に臨むことになりました。
 面接試験は、私を含め3人が受けました。目の前に、試験官が5人ほど座っています。あとから思えば、役所の人事の人のほかに、館長と学芸課長が同席していました。
 質問は簡単なもので、自分の性格を一言で言うとどんなものですか、といったような問いでした。僕は「まじめで几帳面な性格です」みたいな、ほんまかいなという答えをしたのを覚えています。まあ、隣の人も似たような答えをしていたのですが。
 いまから思えば、やたらに真面目に応対していたように思います。若いって、いいことですね。


≪結果の通知≫

 一緒に面接を受けた人とは、待ち時間などに話していました。一人の受験者は近世史の専門だと言っていました。受かる“確率”は3分の1、あるいは近代史選考者を選ぶということでいうと、2分の1です。

 通知は、クリスマスの日に届きました。余りにも押し詰まった時期ですが、なんとか年内に決定しようということだったのでしょう。後に仕事で使うようになる大阪市の封筒に入った、じつにぺらっとした通知文で、残念賞みたいな薄さでした。しかし、結果は合格だったのです。

 12月末とは遅い時期と思ったのですが、それ以降に行われた採用からすると、年内に決まるとは随分早い決定でした。

 私は、いわゆる増員での採用で、これまでいなかった近代史専攻の学芸員を採るということでした。
 その後、バブル景気は崩壊し、増員での採用は行われなくなりました。いまでは、欠員補充でさえ汲々とする有り様です。個人的にいえば、いい時期に採用してもらったわけです。

 正直なところ、私はどうしても学芸員になりたいと思っていたわけではありませんでした。まあ、“でもしか”学芸員かも知れません。またそれ以上に、大阪で働くとは思ってもいなかったのです。京都生れの京都育ち、大学も京都だった私。大阪と縁ができるとは、想像外のことでした。それが、こんなに長く、毎日大阪で大阪のために仕事をしているのですから、人生って不思議なものですね。

 
 (この項、つづく)
 




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