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学芸員実習に思う(2) ~ 学芸員になった頃 ~






 ≪研修を受ける≫

 学芸員に採用された私ですが、いきなり博物館で仕事というわけではありませんでした。

 4月1日、中之島にある市役所の、さほど大きくない会議室で、教育委員会に採用された新人に辞令が手渡されました。
 そのあとは、市の職員として、研修を受けることになったのです。

 研修所は、旭区の中宮というところにありました。関目駅から10分ほど歩いたところです。いまでは阿倍野区に移転しています。
 初日は、研修所近くの小学校に行き、講堂に集まって市長の話を聞きました。当時の市長は、西尾正也さんでしたが、もう亡くなりましたね。でっぷりとした好々爺という感じの人で、交通局長などを経て、市長に就任していました。
 西尾さんは、市に就職して、当時の清掃局に配属されたそうです(調べると1950年のことでした)。その頃は、「肩曳き車」をひきながらゴミを集めたそうで、しんどい仕事だったそうです。市長講話で私が覚えているのは、そのくだりだけですが、いまになっても忘れられない話です。

 研修所での座学の内容は、もうすべて忘れてしまいました。
 逆に記憶に残っているのは、2、3回実施された「現場」の見学です。大阪市はさまざまな事業を実施しており、数多くの事業所がありますが、そのなかのいくつかをバスに乗って見て回るのです。
 浄水場で当時開発中だった高度処理浄水を飲ませてもらったり、抽水所(ポンプ場)でトラックが入れる巨大エレベータに乗ったり、検車場で地下鉄のメンテナンスを見たり。こんな仕事場があるのかという驚きの連続でした。
 私はいつも、博物館に見学者があると、4トン以上積める大きな荷物用エレベータに乗ってもらうのですが、それはこの研修時の自分の驚きから発しています。

 この現場見学は、本当に為になりました。


 ≪職場に配属されて≫

 3週間ほどの研修が終わって、4月下旬から博物館に配属されました。
 博物館は、大阪城の本丸内にありました。住所は、中央区大阪城1-1です。

 先輩が何かと教えてくれたのですが、とにかく最初の2カ月くらいは、やる仕事がなく、机の前でぼんやりしていたことを懐かしく思い出します。
 
 朝は、割と早く出勤していました。
 だから、大きなコーヒーメーカーで、豆を挽いて水を入れて、みんなの分のコーヒーを沸かしていました。ヤカンでお湯も沸かしていた記憶があるので、ポットがあったのでしょうか。
 先輩たちが出勤してくると、みんなそのコーヒーをカップにいれて飲みます。古いソファがあって、そこに座って雑談しながら飲むのでした。出入りの写真屋さんや美術輸送の人が来たときもコーヒーを出して、しばし歓談するのです。牧歌的な風景ですが、そういうなかで仕事について教わることも多いわけです。

 仕事が終わった夕方も、大勢連れだって帰っていました。
 私はJR森ノ宮駅を使っていましたが、そちら方面の学芸員が一緒になって、お城の中をぞろぞろと15分ほど歩いて帰るのです。いまでは、ちょっと想像できない光景ですね。 


≪古い建物のなかで≫

 博物館は、昭和6年(1931)に竣工した旧師団司令部の建物を転用したものでした。地上3階、地下1階で、1階は事務所と常設展示室、2階は常設展示室と会議室、3階は特別展示室と講堂など、地下に収蔵庫や写場、電気機械室がありました。

 建物が古くて、不便なことは一杯ありました。講堂で講演会するにも、いちいちパイプ椅子を百脚以上並べていたのですから、ご苦労なことでした。
 展示ケースのカギが閉めにくくて(ケースが古いのでゆがんでいる)困ったこと、輪転機が何度も紙詰まりを起こしてイライラしたこと。トラブルは、得てして夜独りのときに起こるもので、泣くに泣けない心境でした。
 他人からみれば幽霊が出そうな古くて暗い建物でしたが、独りで残業していても怖いと思ったことは一度もありませんでした。一種の慣れだったのでしょう。帰り道も、真っ暗ですが、こちらも案外平気でした。

 そんな市立博物館も、2001年3月末に閉館しました。
 もう10年も経ったのですね。


 (この項、つづく)





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