スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

北原先生のことなど






 なにげなく、雑誌「地方史研究」352号(2011年8月)を見ていたら、北原糸子先生の文章が載っていた。この号は、山形県鶴岡市で開催される地方史研究協議会の大会準備号なので、それに向けての「問題提起」という文章が多数掲載されている。
 北原先生の「問題提起」は、「災害は歴史を変えるか-明治27年庄内地震をめぐって-」というものだ。

 北原先生は、日本災害史研究の第一人者であり、安政地震、関東大震災、磐梯山噴火など、四半世紀以上、この分野に取り組んで来られた。歴史研究者であるから、災害と社会とのかかわりについて考察され、近年では例えば写真などメディアと災害との関係を精力的に研究されている。

 私が北原先生の名前を知ったのは、たぶん大学に入る前のことだったように思う。
 朝日新聞の「ひと」欄に先生が登場された。『安政大地震と民衆』を上梓された時だったのだろう。
 その短いインタビュー記事の最後に、なぜ研究を続けるのですか、という問い掛けがなされた。
 北原先生は、きっぱり、「志です」と答えられ、その言葉が私の脳裡に刻み込まれて、北原糸子という名前が記憶された。

 後年、先生と何度目かにお会いしたとき、その言葉がとても記憶に残っていることをお話ししたが、先生はすっかり忘れておられた。

 記事に添えられた顔写真も印象的だった。
 凛とした、という言葉がぴったりの、強い意志を持った人の顔であった。いまから思えば、現在の私と同い年くらいだったということになる。

 そんなことから、厳しく怖そうな研究者と勝手に思い込んでいたが、実際の先生は優しく気さくな方だった。

 「地方史研究」の文章を読むと、明治27年(1894)の庄内地震で、集散地であり海運で栄えた酒田の町は、壊滅的な打撃を受けたという。
 このとき、多くの学者が現地を訪れ、調査を行った。特に建築学界では、辰野金吾や片山東熊らが訪れているほか、学生たちも実地に学んだという。当時、大学院生であった野口孫市(大阪府立中之島図書館の設計者)も調査に入り、1年後の復興ぶりは「今タ昔時ノ半ニ満ス」(いまだ昔時のなかばに満たず)などと報告した。

 今日は、そのあと、関西学院大学の災害復興制度研究所のウェブサイトで、三陸津波に関する北原先生の論文を読んだり、室崎益輝教授の論考を繙読したりして、しばらく地震と社会について考えていた。

 地域・家族・仕事など、日常における継続性(歴史)を重視した復興が大切だと痛感させられる。

 室崎氏の言葉を引用しておきたい。

 人間は防災だけで生きているわけではないということである。我々には仕事があって、暮らし、家族、コミュニティ、文化、自然がある。自然との共生、豊かな暮らし、生きがいのある仕事をもっと表に出して答えを引き出さなければならない。
 (中略)
 津波の恐ろしい体験をしたあとでなお元の低地に住みたいというのは、防災意識が低いからではない。海のそばに住むことが、仕事だけではなく、歴史や文化を背負って生きることであり、海を捨てたら自分たちの存在価値がないとわかっているからである。  (室崎益輝「『高台移転』は誤りだ」、「世界」2011年8月号所収)



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。