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室戸台風と雑誌「上方」






  また、大型の台風が接近してきた。とても心配している。

 77年前の今日、9月21日、大阪をはじめとする関西地方は、超大型の室戸台風に襲われ、甚大な被害が出た。昭和9年(1934)のことである。

 昭和の初めから戦後の昭和30年代にかけては、関西に大きな被害をもたらす台風が多く、室戸台風(昭和9年9月21日)、枕崎台風(昭和20年9月18日)、ジェーン台風(昭和25年9月3日)、伊勢湾台風(昭和34年9月26日)、第二室戸台風(昭和36年9月16日)などがあるが、9月20日前後に集中している。


   上方・室戸台風
   港区の被害(「上方」46号所収)


 室戸台風は、最低気圧が911.6ヘクトパスカルで、大阪市での瞬間最大風速は60m以上。風速計の針が振り切れて計測できなかった。大阪市内だけでも、死者949名、行方不明者41名、全壊戸数2,782、半壊戸数6,181にのぼった。ことに、午前8時頃に襲来したため、痛ましいことに登校した小学生たちに被害が出、市立小学校で251名の児童の命が失われ、教職員や保護者にも犠牲者が出た。まだ木造校舎が多かった時代、その倒壊が被害を大きくした。


   上方・室戸台風


 昭和初期に発行されていた郷土研究誌「上方」第46号(昭和9年10月号)は、急遽予定を変更し<上方大風水害号>を出した。
 表紙の絵は「大台風四天王寺五重塔倒壊図」。
 この猛烈な台風で、四天王寺の塔が崩壊したのだった。


   上方・室戸台風


 同誌口絵に載せられた四天王寺の伽藍。五重塔のあった場所が、ぽっかりと空白になっている。
 本文には大阪毎日新聞の記事が掲載されている。


 大阪の名刹四天王寺の五重塔が遂に暴風のため幾多の歴史を残して倒壊した、時間は丁度午前八時前、東大阪一帯が突風に襲はれ突如五重塔の上半が異様な音を立てながらメリメリと動きだし折柄雨と風のため塔の下へ避難してゐた参詣者廿数名はその音に逃げ出さんとした刹那アッといふ間に五重塔の南側の仁王門がガタガタとばかりに北東に向つて倒れ約二分間の後五重塔も北東へ崩れ出た、(後略)

 
 この塔は文化9年(1812)に建立されたものだった。
 「上方」は、建築史学の泰斗・天沼俊一(京都帝大)の談話「四天王寺の塔はなぜ倒れたか」を掲載している。
 この記事によると、塔は、まず三層目以上が風のため引きちぎられて空中に持ち上がり、同時に下の一・二層目が倒壊し、その上に三層目以上が折り重なってきたという。
 天沼は「五重の塔が風のために倒れたといふことはわが史上、未だかつてない出来事である」と切り出し、その原因を探っている。
 
 
 四天王寺の塔は江戸時代(文化年間)の建築にも拘らず芯柱は吊上げの方法でなく、古い第一の様式であった [注:第一の様式とは、芯柱を礎石の上に立てる工法。近世には芯柱を四層目あたりから吊上げて根と礎石の間に空間を置く方法がとられたという]、だから根を切り忘れた [ために倒壊した] といふことは全然意味をなさない、また倒壊の原因は根本的に、芯柱が吊上げの方法でなく、礎石の上に固定させた古い様式のためだとも一応は考へられるだらうがそれなら江戸期以前の古塔はすべて風禍の危険に曝されてゐるわけで従来一つや二つは倒壊した歴史がありさうなものである

 塔の構造に原因があるかも知れないが、そうとも言い切れないという見方である。
 
 さらなる推測として、「最初にちぎれた三層目あたりに何か建築上の手抜かりが伏在してゐたのではなかろうか、しかもこの附近を通過した台風が特に猛烈で(中略)風力が不平均に当つて安定を破つたのではないかとも想像される」と述べる。
 また天沼の依頼によって現地調査した佐藤佐(天王寺師範学校教諭)は、外陣の北西の隅柱などに若干の腐食があり、そのこと倒壊につながったという見解を示している。
 
 もちろん、このような文化財の被害は四天王寺のみにとどまらず、関西一円同じであった。
 京都では、建仁寺方丈や醍醐三宝院純浄観が全壊するなど、多くの社寺で倒壊する建物が出た。

 もう80年近く前の出来事であるが、文化財に携わる者としては心が痛む。それにもまして、往時その社寺を護られていた方たちの気持ちは如何ばかりであったろうか。

 四天王寺の五重塔は、室戸台風の7年後、いち早く復興された。
 しかし、その塔も昭和20年(1945)の空襲で焼失してしまったことには、言葉を失う。

 
 「上方」編集人・南木芳太郎は、この号を「将来への備忘」として編んだという。
 そして口絵の冒頭には、安政津波碑の写真と、慶応4年の洪水図を載せている。歴史のつながりというものが、ここにも強く認識されている。
 





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