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<心ぶら>その1






 大阪歴史博物館の特別展「心斎橋 きもの モダン -煌めきの大大阪時代-」、10月15日(土)から開催です!
 ただいま館内では、着々と準備が進行中。来週からは、陳列作業も始まります。

 近代の心斎橋筋は、ショッピングストリートとして賑わいを見せたわけですが、そこにはショーウィンドーをのぞきながら散歩する<心ぶら>という行為がありました。
 東京の<銀ぶら>になぞらえて、そう呼んだのです。ちなみに、<道ぶら>という言葉もあり、これは道頓堀をぶらつくことを指します。

 今回は、2回にわけて、<心ぶら>する人たちが歩くコースを史料に見ていきましょう。

 初回は、北尾鐐之助『近代大阪』(創元社、1932年)に収められた「心斎橋筋の一考察」より。
 まずは、北尾が述べる<心ぶら>の定義から。
 

 かう分けてみると、世にいふ=心ぶら=とは……その一丁目及び二丁目がもつところの、凡そ七百メートルほどの小売商店街を覗きながら歩くことをいふのである。しかし、何と云つても、心斎橋の魅力といふものは、このうちの二丁目が、その代表的な明朗さをもつてゐることにすぐ気がつく。


 およそ700mの商店街とは、長堀から道頓堀の間を指し、北側が一丁目、南側が二丁目で、その境界は周防町筋でした。


   心ぶら文献


 北尾が見た心斎橋筋の人の流れは、どのようだったのでしょうか。

 
 朝のうちは南から北へ、午後からあやめ灯の輝きはじめる夕方にかけては、北から南へ。そして夜の十時、十一時になると、また南から北へ!。
 かういふのが、平常一日中の心斎橋筋の人の動きだ。
 朝の人の波は、南から来るこの辺りの百貨店や、島之内附近の会社、銀行員の出勤時間。夜の人波は、道頓堀、千日前の芝居、キネマの開場前と、閉場後の人の動きである。成駒屋に随喜の涙を涙した女将さんも、長二郎や右太衛門に頬を熱くした芸妓はん、娘[いと]はんも、ゲーリー・クーパーに昂奮した女学生たちも、みな夜風に吹かれながら、人生の喜び、悲しみを明るいシヨーウインドーの中に求めて歩く。


 朝の通勤は、難波駅で降車して、この筋を勤務先へと急ぎます。
 夜は、道頓堀の劇場や千日前の映画館などで鑑賞した客たちが、心斎橋筋を通り抜けて北へ向かうのでした。初代中村鴈治郎(成駒屋)や、のち長谷川一夫と名乗る林長二郎、市川右太衛門らが活躍した時代。道頓堀・千日前と心斎橋筋は、ひとつながりになった繁華街でした。

 戎橋の南詰(松竹座の横あたり)には、人力車の待合所があり、そこから俥に乗って、心斎橋筋をガラガラと走っていくのが、懐かしい光景だったようです。

 北尾は、彼らしく人の流れを調べてみます。


 南へ流れる人のうごきは、まづ千日前、道頓堀へ散るとして、いったい、北に流れる同じほどの人の足が、どこへ行くかといふことを考へてみたことがある。
 そこで、数をとつてみると
 1、大丸百貨店の夜間営業に入つて、再び南へ引返すもの     四割
 2、心斎橋を渡つて、北詰で電車を待つもの     二割
 3、大丸の横手などに張り込む、辻待ちのタクシーに拾はれて行くもの     二割
 4、どこか中間の横道に外れるもの     二割
 といふことになる。
 心ぶらを北するものよ。大丸百貨店の角まで来たら、惜気もなく廻れ右をして引返し給へ。


 大丸が大きな吸引力となり、その手前の店舗のウィンドーショッピングを促すことになったのでしょう。

 ところで、ぶらぶら歩いていると、必要になってくるのがトイレ。当時、道頓堀の川岸に公衆トイレがあったのですが、やはり女性は綺麗なトイレを使いたいですよね。そこで、北尾が紹介する「立派なトイレートのあるところ」は…

 戎橋南詰から、丸万食料品店、鐘紡出張所、マルシン百貨店、大丸、十合[そごう]で、これらは無料。
 お金を払ってコーヒーなどを飲む気があるなら、森永キャンデーストアー、不二家、丹平商会(ソーダーファウンテン)、阪神喫茶店、つるや食堂、心斎橋食堂などがあるといいます。

 こんな穿った観察をするところは、北尾鐐之助らしい。
 <心ぶら>のいろいろな面が分かってきます。

 次回は、村嶋帰之の見た<心ぶら>を紹介します。




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