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鉄眼禅師と一切経版木 ~宇治・宝蔵院を訪ねて~






 休みを利用して、歴史ウォークと見学会再下見を兼ねて、宇治へ行ってきた。

 前に、黄檗山萬福寺を訪れた折は、台風接近で諸堂は閉ざされ、十分拝観できなかった。今回はその再訪でもある。

 萬福寺に入山する前に、隣接する塔頭・宝蔵院を訪れた。


   宝蔵院


 前に看板があり、<重要文化財「鉄眼版一切経版木」収蔵庫>とある。
 門をくぐり、板木を叩くと、ご住職が出て来られる。版木の拝観を乞うと、裏手にある収蔵庫へ案内くださった。
 写真の奥に写っている鉄筋コンクリート造の建物が収蔵庫である。

 収蔵庫内に入ると、暗いフロアには、ずらっと棚が並び、そこにびっしりと版木が収められている。サクラ材でできた版木は、約6万枚あるという(そのうち約48000枚が重文指定)。

 鉄眼禅師は、江戸前期、仏教の経典を集成した大蔵経(一切経)を印刷することを志し、多くの信者の寄付を得て、延宝6年(1678)、事業を完成させた。7000巻ほどもあるが、印刷に用いる版木は6万枚にのぼる。
 近世以前、大蔵経は中国からもたらされていたが、江戸初期に幕府の援助を得た天海により版行がなされた。鉄眼の版はそれに次ぐものであった。
 実際の版木も拝見した。大きさは、タテ26cm×ヨコ82cmで、かなり横長である。左右に2丁分彫ってある(今ふうに言えば、4ページ分になる)。裏面も使われているので、1枚の版木で4丁分彫ってあることになる。
 
 6万枚といってもイメージしづらいが、1フロア一杯に高い棚が並び、さらに吹抜けの上階にも棚がある。彫るのも大変だが、これを刷ると思うと気が遠くなる。
 ところが、奥に案内していただくと、1人の男性が黙々と版を刷っておられた! 
 鉄眼の版木は今も活きており、経典が刷り続けられている。
 プロの刷り師さんなので、当然手際はよく、1枚刷るのにかかる時間は30秒ほどでしかない。宇和泉貨紙という黄色い用紙に、くっきりと印刷される。

 ご住職と話をしながら、版木と作業を拝見し、ずいぶん勉強になった。

 最後に、鉄眼禅師の頂相(お姿の木像)をお参りした。亡くなる前年に造られた寿像だから、お姿をよく伝えているのだろう。弟子の松雲元慶禅師(東京・目黒の五百羅漢寺の開基。鉄眼禅師は同寺の開山)の作になる。
 
 ここまで、「鉄眼」という名を出してきたが、大阪の方であれば「鉄眼寺」という寺名をご存知だろう。「鉄眼寺」は正式には瑞龍寺といい、難波の元町にある。この寺を鉄眼禅師が中興されたのである。つまり、大阪とも大いにゆかりがあった。

 帰り際に、禅師のされたことが、戦前の『尋常小学国語読本』巻11に載っていたということを聞き、頒布されている複写を求めて、帰路読んでみた。
 「鉄眼の一切経」というもので、大正から昭和初期のこどもたちが読んだものという。おそらく私の父母も読んだものだ。長くなるが、引いてみよう。(※1929年に文部省が発行したものであり、歴史資料として読まれたい)



 第二十八課  鉄眼の一切経

一切経は、仏教に関する書籍を集めたる一大叢書にして、此の教に志ある者の無二の宝として貴ぶところなり。しかも其の巻数幾千の多きに上り、これが出版は決して容易の業に非ず。されば古は、支那より渡来せるものの僅かに世に存するのみにて、学者其の得がたきに苦しみたりき。

今より二百数十年前、山城宇治の黄檗山萬福寺に鉄眼といふ僧ありき。一代の事業として一切経を出版せん事を思ひ立ち、如何なる困難を忍びても、ちかつて此のくはだてを成就せんと、広く各地をめぐりて資金をつのる事数年、やうやくにして之をとゝのふる事を得たり。鉄眼大いに喜び、将に出版に着手せんとす。たまたま大阪に出水あり。死傷頗る多く、家を流し産を失ひて、路頭に迷ふ者数を知らず。鉄眼此の状を目撃して悲しみにたへず。つらつら思ふに、「我が一切経の出版を思ひ立ちしは仏教を盛にせんが為、仏教を盛にせんとするは、ひつきやう人を救はんが為なり。喜捨を受けたる此の金、之を一切経の事に費すも、うゑたる人々の救助に用ふるも、帰する所は一にして二にあらず。一切経を世にひろむるはもとより必要の事なれども、人の死を救ふは更に必要なるに非ずや。」と。すなはち喜捨せる人々に其の志を告げて同意を得、資金を悉く救助の用に当てたりき。

苦心に苦心を重ねて集めたる出版費は、遂に一銭も残らずなりぬ。然れども鉄眼少しも屈せず、再び募集に着手して努力すること更に数年、効果空しからずして宿志の果さるゝも近きにあらんとす。鉄眼の喜知るべきなり。

然るに、此の度は近畿地方に大飢饉起り、人々の困苦は前の出水の比に非ず。幕府は処々に救小屋を設けて救助に力を用ふれども、人々のくるしみは日々にまさりゆくばかりなり。鉄眼こゝにおいて再び意を決し、喜捨せる人々に説きて出版の事業を中止し、其の資金を以て力の及ぶ限り広く人々を救ひ、又もや一銭をも留めざるに至れり。

二度資を集めて二度散じたる鉄眼は、終に奮つて第三回の募集に着手せり。鉄眼の深大なる慈悲心と、あくまで初一念をひるがへさざる熱心とは、強く人々を感動せしめしにや、喜んで寄附するもの意外に多く、此の度は製版・印刷の業着々として進みたり。かくて鉄眼が此の大事業を思ひ立ちしより十七年、即ち天和元年に至りて、一切経六千九百五十六巻の大出版は遂に完成せられたり。これ世に鉄眼版と称せらるゝは、実に此の時よりの事なりとす。此の版木は今も萬福寺に保存せられ、三棟百五十坪の倉庫に満ち満ちたり。

福田行誡かつて鉄眼の事業を感歎していはく、「鉄眼は一生に三度一切経を刊行せり。」と。



 鉄眼禅師は、自らのなすべきことをよく弁えておられたのだろう。

 宝蔵院への見学者の3分の1は印刷関係者、もう3分1はフォントなどを開発するデザイン関係者なのだそうである。
 明(ミン)からもたらされた大蔵経によって彫られた鉄眼版は、「明朝体」のもととなったからである。






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