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「勤労感謝の日」に思う






 「勤労感謝の日」でしたね。
 お仕事だった方、一日お疲れさまでした。

 かつて、源氏鶏太という小説家がおられました。源氏さんは、サラリーマン小説の第一人者で、高度成長期の人気作家でした。


   新サラリーマン読本


 昭和32年(1957)に出された『新サラリーマン読本』(新潮社)に、こんなことを書かれています。


 元住友理事田中良雄氏がよく口にされた言葉に「一隅を照す」というものがある。これは伝教大師の「一隅を照すものは、これ即ち国宝なり」という言葉から引用されたのだと思うが、私が、この言葉をはじめて聞いたのは、もう、二十年も前のことだ。

 その趣旨は、サラリーマンたる者は、一隅を照す人間になるように心がけろ、ということであったように思っている。一隅とは、自分の周囲、というほどの意味なのである。

 仕事の上において、また、人格の上において、絶えず、自分の周囲を照すように心がけているべきである。それをいきなり、会社全体を照そうというような野心を起しては、そこに、どうしても不純なものがまじるから、失敗する、ハッタリと眺められて、敬遠される。

 それよりも、自分は片隅にいるが、その片隅を明るくすることに、つつましい歓びを感じることこそ、人間としての幸せなのだ。一隅を照すためには、自分の仕事を大切にし、全力を注ぎ、その周囲の人人をも愛してゆかねばならぬ。謙虚であると同時に、秘やかな自己満足と誇りが必要である。

 (中略)

 ところで、私自身が、「一隅を照す」という言葉を思い出すのは、たいてい、不遇なときとか、意気消沈しているときだった。そういうときの、
 「そうだ、自分は、一隅を照す人間になっていればいいのだ。」
 という独白の中には、あきらめにも似た思いがひそんでいたことが否定出来ない。

 (中略)

 が、近頃になって、一隅を照し続けるためには、どんなに勇気がいるか、ということを考えるようになったのである。  (「勇気礼賛」、引用文は適宜改行を施した)


 源氏さんは、こう述べて、「勇気」とは無縁と思われるサラリーマン社会で、どんなに勇気が必要であるかを説きます。
 たとえば、<万年平社員で我慢する勇気>、<上役にお世辞をいう勇気>、<上役に憎まれる勇気>、<叱る勇気と叱られる勇気>、<仕事を怠ける勇気>、<バカになって見せる勇気>などなど。

 かなり逆説的な「勇気」も含まれていますが、要は腹をくくって会社で生きていく心持ちを「勇気」と表現しておられます。

 最澄の「一隅を照らす」(または「千一隅を照らす」)という言葉は、仕事哲学において好まれる言葉ですが、おもしろいなと思ったのは、不遇なとき、意気消沈しているときに、この言葉を思い出すというくだりです。

 なるほど。慰めの意味になるんですね。 
 たしかに、立身出世する人、世界を股にかけて活躍する人は、こういう言葉を思い出さないでしょう。

 「一隅を照らす」という言葉ほど、「勤労感謝の日」にふさわしい言葉もない、と思ったりもします。
 なぜなら、どんな仕事にも立派な意義があり、世のため人のためになる、ということですから。

 けれども、私がより大切だと思うのは、不遇なときにこの言葉を思い出すと慰めになる、という点でしょうか。
 仕事はいつも順風満帆なわけではない。そんな辛抱の局面で、どういう考え方をすれば、自分の仕事を続けていけるのか。

 実は、戦後のサラリーマン処世術を読んでいると、これが大きな問題だということに気付かされます。
 伝教大師は考えてもおられなかったでしょうが、「一隅を照らす」は、そういう意味でも、働く人を勇気づける言葉として、貴重なのかも知れません。 
 
 「勤労感謝の日」。少しだけ、仕事のことを振り返ってみませんか。





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