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ホワイトデーより涅槃会 !? (その2)






 昨秋から、縁あって京都・東福寺には3度ばかり訪れています。

 先回参拝してから、ホワイトデーに訪れるまで、ひとつ気付いたことがありました。
 それは、<浴室>のことです。


   東福寺浴室 浴室・前面

   東福寺浴室 同・背面


 室町時代の遺構で、三門・禅堂・東司(トイレです)などとともに重要文化財に指定されています。

 写真でお分かりのように、この建物、前面の屋根は入母屋造になっていますが、背面は切妻造という、少し変わった形になっています。

 ところが先日、何気なく「四百年前社寺建物取調書」という明治15年(1882)の京都府の資料を見ていたときのことでした。
 東福寺も当然含まれており、主だった建物の概要が紹介された上で、立面図も載っています。その浴室を見てみると、なんと正面も切妻ではありませんか!
(詳しくは、京都府立総合資料館ウェブサイトを)

 不審に思い、さらに調べることに。
 たまたま、大正8年(1919)に刊行された『日本古建築菁華』という本を先日購入していたので、その東福寺浴室を見てみました。
 すると、どうでしょう…


   東福寺浴室
   大正半ば頃の東福寺浴室(部分、岩井武俊『日本古建築菁華』便利堂コロタイプ印刷所より)


 やはり、前面の屋根は切妻になっています。そのかわり、入口の扉(桟唐戸)の上に小さな庇(ひさし)が付いているのが分かります。

 んー、1919年には切妻で、2012年には入母屋。いつ変わったんだろうか?

 ここからは、調べ中でやや不確かですが…
 この浴室は、昔でいう特別保護建造物で、昭和の初めに修理されたようなのです。
 事情により、その記録(今でいう修理工事報告書)は未見なのですが、どうもその際に次のようなことがあったのではないか。

 屋根を解体修理したら、かつて屋根が入母屋造である痕跡が発見され、建築当初の形に戻す復元をしようということに決まって、切妻から入母屋に改められた…

 そのように考えています。

 さて、私の興味はそのあと。
 なぜ、建築当初は入母屋で造られた屋根が、のちに切妻に変えられたのか?

 その推理は、こうです。

 建物の写真を見ていただくと、正面の扉の左右に連子窓がありますね。現地で見ると、タテの材木の間がまばらな窓なのです。
 また、側面の前方にも同様の窓が付いています。
 ここは浴室でした。昔は、蒸し風呂でしたので、この窓から湯気がモクモク出たのだと思います。東福寺は僧侶も大勢いますから、湯気の量もさぞかし…
 すると、だんだん入母屋の庇になっている部分が、湿って腐って来たのではないだろうか。それを修繕するとき、<どうせまた腐るから、いっそのこと切妻にして、湯気が当たらないようにしてしまえ>と考えた。そのかわり、扉の上にだけは小さな庇を付けた。

 どうでしょうか。

 建築したときは、立派な入母屋にしたけれど、使ってみたら案外不便だった…、という感じでしょう。

 このことについては、改めて修理工事の報告を見て確かめてみたいと思っています。今日は、推理だけで。

 涅槃会も、意外な方向に展開し、楽しい一日を過ごせました。




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