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服部文祥 『百年前の山を旅する』







 昨日の摩耶登山に関連して、昨年末に読んだ本をご紹介します。
 
 登山家の服部文祥さんの『百年前の山を旅する』(東京新聞)です。

 服部さんは“サバイバル登山家”として有名な方で、極力装備を減らして山に登る(山で釣りや狩りもやる)というスタイルを取っています。
 本書は、昔の人の装備・衣類で山に入ったり、先人の登ったルートをたどったりと、サバイバルに歴史色が加わったものです。


百年前の山を旅する


 歴史家で、歩いて歴史学をする、といえば、戸田芳実先生とか小山靖憲先生(いずれも故人)らがおられ、熊野古道の踏査などがなされています。
 でも、登山家の方から、こういう歴史的なアプローチをされるのは珍しいのではないでしょうか。

 目次のをあげると、

   過去とシンクロする未来

   100年前の装備で山に入る

   日本に沢登りが生まれた日

   ウェストンの初登攀をたどる

   鯖街道を一昼夜で駆け抜ける

   「ある登攀」を追いかけて

   黒部奥山廻りの失われた道

   火を持ち歩くということ

 
 服部さんは、さかんに、現代文明や最新装備に慣れることについて疑問を抱く。例えば、現代人と明治の人たちとの違いについて。

 「肉体的なちがいではなく、その肉体をどう使うのかという世界観が現代と100年前とは根本的にちがうのだ。昔の人は強かった、とわれわれは簡単に口にするが、それはたぶん正確ではない。昔の人と同じことはわれわれにもできる。(中略)発達した交通機関とそれを可能にする土木技術により、現代人が移動にともなう時間と労力を省略することに慣れ親しんでしまっているだけなのだ」

 山の登り口まで、今ならバスに乗っても行けるが、かつては登り口までも延々歩いて行かなければならなかった。そういう違い。
 大正から昭和初期にかけて、信仰の山にケーブルカーや登山鉄道ができます。関西でも、比叡山、愛宕山、高野山、男山、能勢妙見、そして摩耶山など。これはまさに「時間と労力を省略すること」に他ならない。

 さらに、

 「『便利・快適』の裏には、本来体感すべき経験を捨ててしまうという方向性が含まれているのである」

 ふぅふぅ言いながら、1時間もかけて山に登ってお参りするのか、それとも、ケーブルカーで5分で上がって参るのか?
 これは価値判断なのだけれど、“歩いてする歴史学”をやってみると、やはりこういうことを考えてしまいます。

 テクノロジーの進歩は、人を自由にしたのか?
 
 この問題には、単純に議論できない面があって、私のように「追体験」したらすべてが理解できるというわけではありません。
 このことは、もう少し考えていきたいと思います。


 
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