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田端義夫さんを悼む






 4月25日、歌手の田端義夫さんが亡くなった。
 大正8年(1919)生れ、享年94。愛称「バタヤン」。

 田端さんは三重県生まれだが、幼少期は大阪で過ごした。大阪は“第二のふるさと”だ。
 昨年から、その生涯に迫ったドキュメンタリー映画「オース! バタヤン」の制作が行われていて、当館で3月に開催された「おおさかシネマフェスティバル」でプレミア上映された。
 この5月から公開開始という矢先、逝去された。

 私は、バタヤンと同時代を過ごした世代ではないのだが、実に親しみのある歌手だった。それは、父がバタヤンを好きだったからだ。

 「波の背の背に ゆられてゆれて」

 で始まる代表曲「かえり船」。

 この<なみぃ~のぉ~せぇのせにぃ~>という印象深いフレーズが、コドモの耳の中では、いつも<のせのせ>という部分が独立し、意味の分からない語呂として響いていた。その<のせのせ>の歌として、「かえり船」のワンフレーズは耳にしみついた。

 胸前でギターを水平にかまえる独特のスタイルと、微妙なビブラートを効かせた唱法、そして何といっても「オース!」という威勢のいい挨拶。
 舞台に登場すると、勢いがいいのだが、歌い始めると、その歌声と表情は哀愁を帯びる。田端義夫は、稀有な存在だった。

 デビューは戦前だが、「かえり船」がテイチクから出されたのは、昭和21年(1946)。復員・引き揚げという戦後多くの人たちが体験した苦労と「かえり船」が一つになり、その経験を持たない人たちも含めて、共有体験として受け入れられた。
 私の父は昭和5年(1930)生れで、戦地に赴いてはいないが、戦中戦後を生きた一人として心にしみるものがあったのだろう。

 訃報には、田端義夫は「マドロス歌謡」、と書かれている。昭和24年(1949)に出した「玄海ブルース」は、

 「どうせ俺らは玄海灘の 波に浮寝のかもめ鳥」

 と歌う。

 歌の主人公は船乗りで、「星がたよりの人生」を送っている。
 「情けしらず」と他人には思われているが、「男の泪(なみだ)」はひとには見せず、孤独な心をかかえている。

 田端義夫の「マドロス歌謡」の代表歌だが、高度成長期の歌謡曲、特に演歌で盛んに歌われる「港」や「船」のイメージとは異なっている。ちあきなおみが「玄海ブルース」のカヴァーを歌っているが(ちあきなおみは素晴らしい歌手だけれど)やっぱり違う。
 バタヤンの歌う「マドロス」は、陸(おか)の人間とは違う「波に浮寝」の人生。それは(全く筋違いに聞こえると思うが)かつて網野善彦らが指摘した農耕民・定住民に対する海民や漂泊民そのものだ。
 そういった「マドロス」的なバタヤンの歌、バタヤンの立ち居振る舞い、そして生き方が多くの人たちの心を掴んで放さなかったのだろう。

 「かえり船」から60有余年。その歌に涙した人たちの心情は、バタヤンとともに遠い彼方に退いてしまうのだろうか。

 ご冥福をお祈りします。



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