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「数」の前に立ち尽くす学芸員(3)






 先日、当館の催しにも来館いただいた映画監督・大森一樹さんが、新聞のインタビューで、このように述べています(日本経済新聞、2011年3月5日付夕刊)。


 あいまいさの時代というのかな。すべてがあいまいになった。価値観もあいまい。プロなのかどうかもあいまい。病んでいるのか、いないのかもあいまい。
 数字だけがあいまいでない。はっきりしていて、みんなで話せる。だから何でも数字で語ろうとする。例えば内閣支持率という数字。いつからこんなに執着しだしたのか。31%とか26%とか言っても、僕はどっちもダメじゃないかと思う。5ポイントの差にどんな意味があるのだろう。
 映画だっていろんな価値の映画があるのに、興行収入が20億円いったとか、10億円いかなかったとかいうことでしか語られない。中身の話はなんにもしない。あるいはこの映画は土日は数字が上がるから、これから上向くとか。それは分析でしかないのに、それで映画を語った気になっている。どこかで深く考えることを拒否している。
 (中略)
 中身について最後にジャッジするプロデューサーがいなくなった。じゃあ監督が決めていいんですねと聞くと、それはいけないと言う。じゃあ誰が決めるんですかと聞くと、ちょっと待ってくれと言う。(複数の出資者による製作委員会方式なので)何かそういう意見が出ましたと伝えに来るだけ。その意見には従わなくてはいけないのかと聞くと、いやまあそういう意見もあった、みたいな。変なことになっている。


 大森監督の言うこと、なかなかおもしろいですね。あるある、という感じではないでしょうか。
 いつも言うのですが、「5よりも10の方が多いことは、誰でもわかる」。場合によっては、そういう話も必要ですが、すべてがそれでは淋しい。
 監督が指摘するような「中身の話はなんにもしない」という傾向は、強まっていますね。
 これは、最近ひろく行われている博物館“評価”ともかかわってきます。

 3年前に博物館法が改正されて、評価を行う努力義務が生じてきました(同法第9条)。例えば、日本博物館協会は≪自己点検システム≫というものを作っています。8つの領域に分け、110の項目をチェックすると、その博物館の自己点検ができるようになっています。
 例えば、項目は、≪館の使命(設置目的や基本理念)をわかりやすい言葉で明文化している≫、≪館のホームページを開設し,掲載内容を適時・適切に更新できる体制をとっている≫、≪常勤の学芸員が配置されている≫、≪博物館実習の実習生を受け入れている≫、≪総合的有害生物管理(IPM)の考え方に基づき,日常的に虫菌害の予防措置をとっている≫、≪利用実態に応じて開館時間を延長したり夜間開館を行ったり,開館時間の設定の見直しを行っている≫といったふうで、これが110項目ある。
 結果は、領域ごとに10点満点に直され、レーダーチャートで他館の平均値と比較できます。

 内容は、日本博物館協会のホームページでご覧いただくとして、項目は百以上あるだけに、かなり網羅的です。
 1つ1つ見ると、確かに“そうだなぁ”という「あって然るべき」項目が並んでいます。でも、なにか根本的に違うというか、違和感がある。
 ここで言われていることは、大森監督のいう「中身」じゃなくて「外身」の事柄なのですね。例えば、≪館長の身分は、常勤である≫という項目があります。それは、非常勤より常勤がいいに決まっていますが、これは外身の話であって、その館長サンがどんな博物館哲学や歴史観の持ち主なのか、どういう実行力を持っているのか、どんな経歴や人脈があるのか、そういった中身が大切なんじゃないんだろうか。もちろん、この点検をやってもいいのだけれど(べつに否定しているわけではありません)、問題はその先、というか、そことは違ったところにあるのではないかと思うのです。

 博物館の「評価」と言われるわけですが、「評価」よりも「批評」(レヴュー)が必要なのではないでしょうか。そこでイメージするのは、かなり個人的な価値観に基づく考えが述べられる、というものです。
 批評は、あらかじめ定められた指標があって、それを満たしているか(あるいは、どの程度達成できているか)ということを判断するのではありません。むしろ、指標そのものをオリジナルに考える営みといえるでしょう。
 展覧会を例にとれば、あらかじめ展覧会を開催する事業目的(ねらい)があると考え、それに対して、どのくらい到達できたかを判断する、ということではありません。実際、展覧会をやってみるとわかるのですが、展示を作っていく過程で、当初は予想もしなかった気付きがあったり、あるいは観覧者が見るという行為のなかで展示者が想像もしなかった“発見”が生まれたりするのです。博物館の事業が文化的な営みであるならば、そのような意外性、創造性が生まれます。
 評価でなく批評を行うことで、新たな価値が見出される、あるいは創造される可能性があり、それをベースにして、また先へ進んでいく。それが愉快なのではないでしょうか。

  (この項、つづく)





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