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<展望所>のつづきです






 昨日も調べていた明治の大阪の<展望所>。

 今日は、新聞記事からひとつ紹介。
 明治12年(1879)8月16日付の大阪朝日新聞より。(読みやすいように、漢字や句読点は変更しています)


 富士山現ハれ出で、琵琶湖湧き出づといへバ、みなさんびっくりなさるだらうが、この頃その形の現ハれしハ幸町の魚藤が発起にて、這回該町の裏畑を五百坪ばかり譲り受け、高く富士山を築成し、深く琵琶湖(二百坪)を掘り開き、中に活発なるコイ公を養ひ、来客のもとめに応じ、海女をして躍り一躍、水に入らしめ、池底に相□逐せしめ、以て客心を喜バしむべし
  (中略)
 右ハ、一昨日より開業したれバ、南陽の月にうそぶきし人は必ず一着を試み給へ。


 要は、「魚藤」という料亭が、近所の土地500坪(1650平米)を借りて、富士山みたいな小山を造ったり、琵琶湖の形をした池を掘ったりした。池にはコイを飼ったり、海女を潜らせたりした--というもの。
 幸町(さいわいちょう)は、いまの大阪市浪速区です。
 
 大阪では、明治22年(1889)にできた人造富士<浪花富士山>が有名なのですが、それより10年も前に、こんなのを造っていた人がいたとは!

 いろんなことを考え、実行する人がいるものです。




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