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江戸東京博物館との共同研究会






 今日は、毎年恒例の江戸東京博物館との共同研究会を開催しました。会場は、大阪歴史博物館。
 一昨年、昨年につづき3回目です。

 本日は、地震で大変なところ、江戸博から都市歴史研究室の行吉正一さんにおいでいただきました。
 今回のテーマは、「塔」。



   喜多川コレクション報告書


 行吉さんは、昨年、江戸博の調査報告書『喜多川周之コレクション』を編集、刊行されました。
 喜多川周之(きたがわ・ちかし)氏は、浅草の十二階(凌雲閣)という塔を中心としたコレクターでした。
 本日のご報告も、「喜多川周之コレクションから見た、盛り場浅草の塔『凌雲閣』浅草十二階」です。喜多川氏のコレクションは、さすがに貴重な写真や絵画が満載です。
 東京・下町随一の繁華街である浅草。その六区の北辺に建った十二階。明治23年(1890)のことです。当時の賑わった浅草の雰囲気に思いをはせながら、そこに屹立した十二階が彷彿とイメージされました。
 人気が落ち目になった十二階が取った方策が、「百美人投票」。美人コンテストですね。大成功したそうで、なんだかおかしい。

 一方、当館からは船越幹央学芸員が、「大阪における明治20年代の展望所を持つ施設について」を報告しました。
 明治21年、22年(1888~89)に造られた眺望閣「五階」や、凌雲閣「九階」、そして浪花富士山などについてです。

 東西の「塔」を比較して、面白い点が見えてきました。東京の十二階は、浅草という繁華街にあったため、ほぼ単体で建っていた。ところが、大阪の五階や九階は、その足元に遊園をもち、料理を食べたり温泉に入ったり遊戯をしたりできた。アミューズメントセンターですが、これが大阪の特徴です。

 いまひとつは、大阪の展望所は、市街地の外れにあったこと。五階(難波の南)にしろ、九階(梅田の北東)にしろ、少しさびしかったところですね。

 そして、最大の気付きは、五階や九階からは、文明開化の象徴“鉄道”が見下ろせること!
 五階からは南海鉄道が、九階からは官営鉄道が見下ろせます。どちらも、難波駅、大阪駅の近くです。高さは、30m~40m程度ですから、ちょうどよい高さだったのでは。
 展望台というと、遠くを見渡すことばかり考えていたけど、真下を見下ろすのもアリですよね。

 さらに、「塔」の概念についても検討。「閣」「楼」「櫓」など類語は多数ありますが、明治の資料では、大阪も東京も「塔」はあまり使わない。大阪では、第五回内国勧業博覧会(1903年)の「大林高塔」が思いつくくらい。
 日本人はいつから、(宗教での塔とは異なる)世俗的な意味で「塔」の語を使い始めたのか?
 大阪で九階などができた1889年は、パリにエッフェル塔が建った年です。浅草の十二階はエッフェル塔に刺激を受けたというのが喜多川氏の説だそうですが、いつからエッフェル“塔”と訳したのかも、気にかかります。

 そんなわけで、あっという間に3時間が過ぎ、楽しい研究会になりました。

 行吉さん、遠路ありがとうございました。
 また、来年も楽しみです!
 




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