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大阪市中央公会堂で考えた






    中央公会堂2


 今朝は、仕事で大阪市中央公会堂へ出掛けてきました。
 約束時間より早く着いたので、正面に回ってパチリ。朝は東からの光線なので、東向きに建つ公会堂が撮りやすい。

 今日ここで思ったのは、正面玄関にある<ひさし>のこと。
 3つの入口が開いていますが、いまはその1つ1つに2枚のガラス板で構成されたひさしが取り付けられています。
 2002年の改修以前のことをご記憶の方は、ここに1枚の重厚なひさしが付いていたことを覚えておられるでしょう。そのひさしは、大正7年(1918)に竣工した公会堂の開館20周年を期に設置されたものです。昭和12年(1937)のことでした。
 先般の大改修では、ひさしが、創建当初の建築意匠をそこなうという理由で取り払われ、できるだけひさしを感じさせない改修となりました。写真を見ていただくと分かりますが、入口上部の3連アーチも見えるようになったし、円柱により構成されるオーダーの様子も明瞭になりました。ひさしがなかった大正時代の雰囲気に近づいています。


中央公会堂1


 私がいつも思うのは、建築を改修する際、創建当初の状態に戻すことがどういう意味を持つのか、ということです。
 建物は、建築家(設計者)にとっては、設計し、竣工したときがベストの姿かも知れません。一方、使っている人たちにとっては、日々手を加えて改修をしたりしながら<つくりあげて>きた姿の方に愛着があるのかも知れません。このせめぎ合いがあるように思うのです。
 私は、自分が建築家でなく使う側だからでしょうか、当初の形に戻すという思考に、いつも違和感を持ってしまうのです。

 中央公会堂の重いひさしも、なかなか重厚でよかった、と思います。そこに、20周年を記念して、利用者に役立つ立派なものを付け加えようとした昭和初期の人たちの意気を感じるのです。そんな気持ちを大事にしたい。そのために、あのひさしが残っていたらなぁと、思ってしまうのでした。

 ちなみに、20周年の記念式典は、昭和12年(1937)11月17日に挙行されました。亡くなった岩本栄之助氏の夫人をはじめ遺族が招待され、記念品として公会堂をかたどった青銅製置物などが贈られました。このときは、大集会室の緞帳も、化粧品メーカー・中山太陽堂の寄付により新調されたということです。 




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中之島公会堂緞帳の件

突然のメール失礼いたします。
中之島公会堂の中山太陽堂寄贈の緞帳について調べております。
貴殿のブログに、昭和12年11月の公会堂記念式典の際にの緞帳が寄贈されたとのこと拝見いたしましたが、この史実の出典を教えていただけませんでしょうか。
お忙しいところ、誠に恐縮ですが、メールアドレスまでご連絡をいただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

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