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know how から know why へ






 今年も一年間、若い人たちに、いかに「ものの考え方」を身につけてもらうか、随分苦労した。
 中学・高校の教育は、どちらかというと知識を教えるパターンが多く、自らものを考えさせるといっても、その考え方自体も教えることが多い。しかし、“どのようにものを考えるか”という方法を自ら考えることが大切なのだ。

 暮れに新聞を読んでいたら、「失敗学」で知られる畑村洋太郎氏が“know why”が重要だと指摘されていた。その行為を「なぜやるのか」という理由をつかむことが大事だという。
 これまで、教育や仕事で、ノウハウ(know how)が大切だと盛んに言われてきた。あることを「どうする」と出来るようになるか、ということだ。この方法だと、やり方を覚えてしまうと、そのことについては円滑に実行することができるが、すこしズレた応用問題は解けないことになりかねない。しかし、「なぜやるか」を常に考えていると、応用の場面に出くわしても自分で考えて対処することができる。まさに今、この know why が重要だと思われる。

 仕事をしていても、ルーチンワーク(いつもやる決まり切った仕事)はスムーズにできても、新しい問題には対処できないケースが多い。その理由は、実践力の欠如に由来することも多いが、根本には「なぜ」を考える力の不足に依ることが多い。初めて遭遇する場面では、自ら考え、動いて対処することが不可欠だ。
 そして、「なぜ」を考えることと、自ら動いて実践することとは、車の両輪といえる。それらの力は、セットで身に付く。「なぜ」を考え続ければ、自ずと体が動いて問題解決に向かうことができる。体を動かして対処していると、自然に「なぜ」を考えるようになる。

 ひと昔前、「指示待ち族」という言葉がはやったことがあった。その流行から、もう30年余りが経つという。つまり、いま組織にいる人たちのほとんどが「指示待ち」後世代なのだ。これはある意味、どの組織も危機的な状況に陥る種をはらんでいるといえる。多くのメンバーが自ら考えることを止め、指示待ちになったとき、それは“組織の思考停止”につながる。
 現在のデフレ社会は人びとのモチベーションを削ぎ、自ら考える意欲を摘んでいるようにも思える。自分自身も、その弊を免れないと感じる。新年は、そこから脱して、 know why を心掛け、仕事を創造していくことができるだろうか。公私ともに、その力が求められる年になる兆しがある。

 2013年。あなたは自分のなかの何に“why”と問い掛けますか?




秋の深まり






 ついこの前まで、暑い暑いと思っていたら、一気に秋が深まってきました。
 木々の色づきも、かなり進んできましたね。


   紅葉


 朝の寒さが身に沁み、冬の到来を思わせます。

  
   くちびるを出て朝寒のこゑとなる     能村登四郎


 最近、秋がめっきり短くなってきたのは気のせいでしょうか。

 明日から11月。今年ももう二か月です。




菊人形復活!






 先日、このブログで「菊人形って?」と題して、いまの若い人たちが菊人形を知らないということを書いた。

 その直後、菊人形復活の報道が出た!


   菊人形復活
   朝日新聞 6月26日付夕刊


 「ひらパー菊人形展 復活」という大見出しで、開園100年の今年、10月6日から11月25日まで、清盛と頼朝をテーマに開催されると報じている。記事は、こちら。

 ちょっと驚いた。実は、複雑な気持ち。
 7年前に閉幕したとき、とてもさびしかった反動で、いまさら…という気持ちが湧き上がる。でも、記事には「今後も続けたい意向」とあり、一過性ではない決意が感じられて、心強い思いがする。
 
 毎年開催していた最後の頃、私が感じていたのは、次の3つ。

 ひとつは、観覧料のことだ。枚方パークの入園料に加え、別に菊人形観覧料がいるのである。あわせて千数百円もして、これが菊人形離れにつながっているのではと懸念していた。私など、ジェットコースターに乗るでもなく、菊人形を見るだけなのだから、菊人形だけの料金設定もできればリーズナブルと思う。

 いまひとつは、テーマ。今年も大河ドラマにちなんで「清盛」ということだが、どうだろうか。もっと自由な設定があってもいいのではと感じる。大河ドラマ以前には、朝日新聞の連載小説がテーマになっていたから、この種の設定は結構古い伝統なのだが…

 3つ目は、見せ方。いまの菊人形は「見流し」というスタイルで、いくつもの場面をお客さんが歩きながら見ていく形を取っている。かつては、お芝居のように舞台転換する「段返し」が行われていた時期もあり、たしか90年代後半だったか、ハイテクを駆使して復活したことがある。この段返し、経費がかかるのは承知だが、やってみる価値はあるのでは? 菊人形ファンの私だが、毎年見流しばかりでは…

 
 全国的に見れば、菊人形は、二本松(福島県)や武生(福井県越前市)など、まだまだ開催されている。半世紀以上の歴史を持つところもある。
 さまざまな器物や野菜等で人形などを作る「つくりもの」は、近世以来の伝統で、脈々と受け継がれ来た庶民の楽しみだ。大阪では陶器人形が有名だったが、全国では今も各地で行われている。菊人形は、このつくりものの一種で、現在は廃絶した霧島人形(つつじ人形。大阪・淡輪などで開催)などとともに、生花を用いた最も華やかな存在といえる。

 いまや、単なる興行の域を超えた「文化」である。関係者のご努力は並々ならぬものがあると察する。秋にはぜひ見に行って、菊人形の素晴らしさと伝統を再び実感したい。


 最後にひとこと。これまで外国人客をほとんんど見掛けなかったけれど、海外ツーリストを呼び込めば、意外に受けるのでは?




菊人形って?






 今日たまたま、話が展開していって、若い人たちに「生人形」(いきにんぎょう)について説明する必要が生じた。

 わかりやすいたとえと思って、「菊人形の菊がないみたいなやつ」と言ったところ、20歳前後の彼らは、誰ひとり「菊人形」を知らないのだった!

 ん~、確かに。
 枚方の菊人形が終焉を迎えて、もう7年になるらしい。まあ、今どきの小学生は見に行かなかったろうから、菊人形を知らないはずだ。

 私は、かつて展覧会の一部で菊人形を取り上げ、枚方パークさんから昔のポスターなどを拝借したこともあり、それ以来、十数年間毎年見に行っていた。
 ほとんど一人で訪れ、記録写真を撮るのだから、なんとなくさびしかったけれど、秋の楽しみでもあった。それが思いもよらず、終結したのだった。

 それはともかく。

 若い人たちが「生人形」を知らないのは当然としても、菊人形が分からないのは驚きだった。私たちより上の世代は、誰だって一度くらいは見ているし、見ないまでも知っていたのに。
 どうりで最近話が通じないはずだ…、なんて嘆くのである。

 けれども。
 私たち大人世代には、若い人たちに昔の文化(今あるものも、ないものも)を伝えていく役目があるわけで。
 それを放棄してしまったら、大人の存在価値がない…

 私たち博物館の職員は、博物館に若い世代の人たちに来てほしいと切に願っている。
 そのくせ、今日の私のように、若者が知らないたとえを使ったりして、相手の立場になりきれてない。
 やっぱり、想像力の欠如なのか、はたまたコミュニケーションの不足なのか。

 若い人たちに興味関心を持ってもらうためには、少し「語り方」や「語る場」を考えないといけないかも。
 ちょっと反省している今日この頃です。




昔の調査を懐かしむ






 ここのところ、講座や見学会がつづき、準備の必要から、時間を見つけて書庫に行くことが多くなっています。

 大阪歴史博物館では、2階に「なにわ歴史塾」を設けて、みなさんに図書を閲覧いただけるようにしていますが、そこに配架している図書のほかに、上階の書庫に多数の閉架図書を所蔵しています(その多くは、2階で請求していただければ、みなさんにも閲覧いただけます)。

 私たち学芸員は、その書庫へ行って調べものをするのです。

 先日、何を調べているときだったか、書棚に「大般若経」に関する調査報告書を見つけました。ある地方自治体が20年ほど前に出したものです。
 それを見て、はっと思いました。その調査は、かつて私が参加した調査だったからです。

 その自治体では、1980年代後半から90年代前半にかけて、地域の寺社等が所蔵している大般若経を悉皆調査していました。大般若経は、1セットが600巻もある大部なものなので、調査するにも1人や2人ではできません。チームを組んで、写真を撮影する班や法量(サイズ)を測る班などに分かれて、複数日で作業します。
 いまでも、山の上の宿坊や村の公民館に泊まりながら調査したことが思い出されます。私は、いわゆる調査補助員でした。

 書棚から、報告書の第1冊を取り出しました。内容は、記号のような、門外漢には意味不明のものですが、私は真っ先に調査の経緯を記した後書きを見ました。
 そこには、実に懐かしく、いまでは会うこともできない学生時代の友人たちの名前が並んでいました。しかし、私の名前はない…
 意外の感に捉われたのですが、第2冊を見てみました。すると、そこにはちゃんと私の名前が載っていました。そう、最初の頃の調査には、私は参加していなかったのでしょう。
 友人の名前が誤植されていて、ちょっとおかしかったり、「あぁ、こういうやついたよなぁ」と思い出す名前があったり。急にタイムスリップした思いでした。

 報告書は2冊しか収められていなかったのですが、昔を懐かしむにはそれで十分でした。

 文化財の調査は、決して学問的興味を満たすだけのものではなく、貴重な品々を守り、後世に伝えていく営みです。
 そのような調査を通して、社会や文化への理解も深まりますし、何よりも、それを守ってきた寺社や地域の人びとの思いを感じ取ることができます。

 もうすぐ夏。各地でまた、若い学生たちがいろいろな調査に従事し、大切な経験を重ねることでしょう。






プロフィール

なにわ歴博

Author:なにわ歴博
大阪歴史博物館

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